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2007年03月02日 川上 義正さん  「西オーストラリアでゴルフ行脚」


 
 遠からずリタイアーを考えていたある日、私は海外旅行の新聞広告をぼんやりと見ていた。旅行の中身が同じでも出発日の違いによって料金に2倍近い差があることに私は気付いた。我々夫婦は2人とも自営業であるから時間の融通は効く。

 私が「もし行くとすればこの日が安いな」。すると妻が「そうね」。私が「じゃ行くか」と、いたって簡単にオーストラリアに行くことが決まった。時差や言葉のことなどを考えて、初めての海外旅行は、もし行くとすればオーストラリアあたりかなとは思っていた。初めてづくしということから旅行業者がお膳立てするパックツアーの東海岸三都市巡りにした。

 オーストラリアの空は東京の空より高いのではないかと思われるほどに限りなく透き、まさに混じりけの無い紺碧の空であった。私はごちゃごちゃ感のない町、建物と空だけのシンプルさが気に入った。

 パックツアーは決められた時間、決められた乗物、決められた食事、決められた場所を我々に押し付けた。まるでベルトコンベアに乗せられた物体のよう移動させられたのだ。我が身の自由がなかった。これが帰国してからの私の感想である。

 引退後、私は如何に時を過ごすべきかを考えている時に、このオーストラリア旅行が、消化不良であったことが気掛かりだった。飛行機に乗って海を越えて外国に行ったことは事実だが常に日本人の同伴の人たちと一緒であった。外国にいたと言う実感が少なかった。リタイアーしたから時間は十分にある。もう一度、じっくりと時間をかけてオーストラリアに行きたいなと思った。ただの観光だけではつまらないからゴルフをしながらでもと。ケアンズは暑い。ゴールドコーストは厭きそうだ。シドニは人が多い。ならば未知のパースへとなった。

 こんな動機から私は仕事を辞めた2000年から毎年、ゴルフバッグを担いで一人、パースに通ったのだ。観光ビザの有効期限(90日)をフルに利用した。まず、ゴルフ場を探し出すことから始めた。パースで地図とガイドブックを買い、電話帳をも調べてビジターのプレイ可能コース、30コースを見つけた。

 年金生活者には経費を抑える必要があった。そのための工夫をした。その第1は極力「自分」の力で行動することに努めた。そこからは行動の自由を得るとともに旅の楽しみも倍増した。
  第2に「足」は公共の交通機関を使うことに徹した。タクシーを使えば余りにも穏やか過ぎる。身に危険が及ばない程度のトラブルは楽しいものだと思っていた。電車とバスでの行きかたをインフォメーションで調べ上げた。ときには「徒歩」も含まれた。

  第3に「宿」はユースホステルを活用した。ユースホステルにはいろいろの国から、様々な人が来ているからホテル住まいでは味わえない経験をする。格好の英語の勉強の場にもなった。 ゴルフ場の予約をとるためやゴルフ場への行き方を尋ねるには自分自身の「口」を使わなければならなかった。なにやかやと英語が必要だ。英会話の勉強という課題が加わった。

Golfing Westralia
新風舎 ¥2,100

 調べ上げたパースの30コース中の20コースを初回にして廻ることができた。案ずるより生むが安しであった。もう1回来て、残りを廻れば「パースのゴルフ場は制覇」だとの思いが頭を擡げた。事実、2回の訪問でパース近郊のゴルフ場をすべて訪問した。意外にもスムーズにゴルフ場廻りができたことが私の制覇心を煽り、範囲を広げて西オーストラリアを廻ってみようとなった。

 そこで3回目以降は北は熱帯にある真珠の町ブルームから南は南極海に面するエスペランス、過っての捕鯨の基地アルバニーまでとインド洋沿いの殆どのゴルフ場を廻った。4回目以降は制覇心がさらに膨らみ、ゴルフ場のあるところを地図で探しながら廻りだした。パースの東約600Kmもの内陸部にある砂漠の中の金鉱の町カルグールリにも廻った。総計60ヶ所のゴルフ場を訪問してプレイをしてきたことになる。

 これはそのときに集めた各ゴルフ場のグリーンフイをはじめ住所、電話番号、予約方法、さらに車、電車、バスでのアクセス方法などの資料をまとめたものでる。余禄として西オーストラリアでの旅の要領を得たことも大きな収穫だった。西オーストラリアでのゴルフを希望しているゴルファの皆様への助力になれえばとの思いからまとめた。追記:出版社に持ち込んだら、「本にしましょう」となった。

タイトル:Golfing Westralia                                               続編は「こちら」へ




<管理人> たまたま当ホームページに私が西オーストラリアのパースに行った際のことを書いたのをご覧になったようです。それで何度かメールでやり取りをしました。しかし、今回の投稿を見て、感動しました。

 私も20代に1ヶ月、一人でヨーロッパ列車の旅をしたことがあります。おっしゃる通り、一人ですと、旅で出会ったいろいろな人が声をかけてくれました。考えてみれば一人だったから声をかけてくれたので、反対にもし私が日本で通りを歩いていて、外国人が団体でいたら、声をかけようとも思わないですものね。
  それと、パリに居ようがニューヨークにいようが、日本人が数人いたら、そこは日本の社会。日本語も通じるし、日本の習慣もそのまま通用する。でも、それってその地に行った意味を半減させてしまうかもしれませんよね。

 それにしても定年を過ぎてから、海外を個人で歩き回るなんて、その行動力、すごいですね。いや〜、感動しました。

 


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