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2007年03月13日 川上 義正さん  「ゴルフ、苦行の軌跡」

 

  私は自分のスウイングは成ってないことを自覚している。以下はあくまでも私見である。

  私の第一の悩みはスウイング中にボールが視界にないことである。それでも不思議にボールに当たるのだ。また不思議に空振りをしないのだ。高ハンデイの恩恵で、コンペや月例会で優勝したことさえある。 優勝カップの取りきり戦のときに、自分の意思、意図がボールに反映しないことに意気消沈した。


  自分のスウイングはおかしいと自覚してから、それは何か、何故かと考えた。

  アドレス時にはボールを見ているが、一旦、バックスウイングが始まるとボールは目の中にないのだ。クラブがボールに当たるころには顔はフィニッシュのポーズである。これは絶対に直さねばならないと意を決した。


 ゴルフはストレスの発散という人もいるが、私には逆にため息、嘆き節とストレスが溜まるのである。お金を払ってストレスをもらうとは腑に落ちない。そもそも練習場で出来ないことが本番で出来るはずがないと私は思うのだ。こう思う私は、練習場で納得する打ち方が出来るまでコースに行かないことにした。練習に重点を置くことにした。 

 初期のころ、ゴルフ教室に通ったことがある。そのときに「ボールを凝視しなくてよい。そのへんを見ていればいい」とインストラクタに言われた。他人の所為にするようだが、この言葉がボールに集中しなくなった遠因かなと思う。私は理屈が理解できないと納得しない性質のようだ。そこで、インストラクタに散々質問した。その当時はバブルの最盛期であった。暗に、「うるさい人は来なくても、客はいくらでもいる」的意味合いのことをインストラクタに言われた。最近のインストラクタの言を立ち聞きしていると「その人に合わせたスウイング云々・・・」といっている。理想的なスウイング云々・・・ではない。この点が私には不満である。


 過って、私はハウツウ物をたくさん読んだ。頭でっかちなのだ。自分の欠点を知っている。「ボールを見る」練習をすることにした。

 ダウンスウイングで手首がトップからインパクトの位置に直線的に来るのだ。打ちたい気持ちが先行するのである。打つ準備が整ってから、打ちに行くべきと考えた。

 家ではスポンジボールを打っている。そして、まずまずかなと思ったら練習場で試す。しかし、いざ実弾となると「力む」のだ。また家で練習をする。ためしに練習場にいく。その繰り返しをする。それが何年か続いた。

 ボールを見よう、見ようとすればするほど体は硬直する。今度はこの硬直を解消しなければならない。身に染み付いたボールを見ないスウイングとボールをみようとする動きの間にはリズムのずれがあるのだ。身に付いた癖を変更すのは大仕事である。連鎖反応のように次々と課題が発生する。 
 脱線するが、体重移動と右足、左足の踏ん張りはスキーのターンをするときのキックからヒントを得たのだ。

 

 NKHの趣味悠々の中で福島晃子が「アマチュアのスウイングはインパクトが抜けている」と言った言葉が気がかりだった。つまりバックスウイング→ダウンスウイング→(   )→フォロースル→フィニッシュとなり、インパクトが無いということだ。

 これもNKHの趣味悠々の中で森口裕子は「左手の親指にシャフトが乗ったことを感じてダウンスウイングを始める」という。

これもまたNKHの趣味悠々の中で金井清一がロープにかけてある洗濯物を勢いよく引き下ろす仕草をして「ダウンスウイングはこうして」といったこともポイントだと思った。

 またある民放テレビでゴルフ未経験の2人の女の子を連れてきた。1人はあるインストラクタに、もう1人はあのさくらパパにゴルフをレッスンさせたのである。そして2週間後に2人の女の子を競わせるのである。さくらパパは始めからボールを打たせていた。一方、インストラクタは女の子に鍬で地面を何度も何度も耕させていた。これを見て、私はピンと来た。手の上下運動を体に沁みこませるためだと。

 

 そこで私は森口裕子と金井清一とインストラクタと福島晃子を連ねようと考えた。 

 トップで手首をバックスウイングモードからダウンスウイングモードに切り替えてから、右腰の横に引き下す練習をした。次に、左足を踏ん張り、手首のスナップを使いながら右腰の移動に合わせてボールを打ち抜き、左足に乗り移る。するとフォロースルでクラブが吹っ飛ぶ感じを掴んだ。

 手首がトップから右腰の横に引き下ろせるとボールが見えた。パースで試そうと思う。苦難の5年であった。

 


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