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312. 定年消滅時代をどう生きるか(中原圭介、著) ・・・ (2020/07/12)



 この本のタイトルからして、「もしかしてシニア向け?」かと思ったがそうではなかった。むしろ30代、40代の人たちに、あなた方、今後、定年制度が消滅するなど大きな変化が起きそうですが、どうしますか?と問うたものだった。

 この本の中で私が興味を持ったのは第3章  トヨタ「採用の半数が中途」の衝撃、だった。


 ・50年の会社員人生で転職2回の時代

 まず、「50年の会社員人生で転職2回の時代」になるという。著者によれば、かつて(1960年)のアメリカで大企業の平均寿命は60年を越えていた。しかし近年ではその半分にも満たない24年にまで短くなってきている、と。ゆえに、いずれは日本で大学を卒業した人が70〜75歳まで働くとすれば1つの会社だけ、という訳にはいかなくなる、という。つまり計算上は、人生で2つ、ないし3つの仕事や会社を経験することになるだろうと予測しているそうだ。


 ・世界でも突出して学び直しをしない日本人

 また著者に言わせると日本人は「世界でも突出して学び直しをしない」という。このあたりはリンダ・グラットン教授の著書「100年時代の人生戦略」とも符合するが、健康寿命が長くなると、老後のためにも働き続けなくてはいけなくなる。ただ、ずっと働きっぱなしでは疲れてしまいますので、仕事をしたり(放電をしたり)、勉強をしたり(充電をしたり)と、交互に経験しながら人生を過ごしていくことになるはず、と。恐らく日本人でも先読みが出来る人たちは学び直しをしていくことだろう。


 ・副業のメリット

 最近、企業が社員の副業を、黙認どころか正式に認めるケースが出だしている。それも必ずしも本業と関連がなくても良いというのだから面白い。企業は企業の都合で副業を認めだし、個人はまた個人の都合で副業を活用し始める。その背景として、会社の寿命が短くなり、定年まで一社にて勤めあげることが出来ないのなら、将来を想定した副業を持つことは個人の安心感へと繋がるだろう。

 この著者個人の意見として書かれていたのはこう。企業が終身雇用や定期的な昇級を保証できない時代を迎えつつあるなかで、社員は副業経験を本業に必ずしも活かす必要はなく、自らのスキルを高める場として割り切って副業に従事してもいいのではないかと考えています、と。

 確かに相手(会社)が一生雇ってやるぞと言ってくれれば、また定年が60歳くらいであれば、終生を会社で過ごしますと忠誠を誓っても良いのかもしれない。しかし企業自体が、「ゴメン、それはもう無理!」というのであれば、働く側も考え方を考え直さなくてはいけないのは当然だろう。


 ・人生とは仕事を何度もやり直しが出来る世界

 ・3年で一つの領域のプロを目指す

 このあたりは私自身の経験として「その通り!」と言えること。下のチャートは「自分史」。最初に勤めたのは大学時代の指導教授が経営コンサルトとして関わっていた二部上場の印刷会社だっが。3年半勤め、もうこの分野は終わりにして先に進んでもいいかな?と判断し、退職してアメリカへ留学した。帰国後は(指導教授が推薦してくれた会社を勝手に辞めたくせに)再び指導教授を頼って仕事を紹介して貰おうとした。このあたり、子弟の関係とは良いものだ。


 留学から戻り、紹介して貰ったのは学術交流団体(財団法人)。ここで法人の立ちあげとその後の運用全般に関わった。職員はたった数人だったが、資産は十分あり、オフィスも高層ビル内にあった。この時代、隣のオフィスのスタッフ達と仲良くなったが、英語、ドイツ語、ロシア語が堪能な人たちとの交流は楽しかった。恐らく、この時期が仕事人生で一番ゆとりのあった時代かもしれない。

 仕事にゆとりがあったせいで、今でいう副業ということなのかと思うが、日経パソコンを含む、雑誌数誌に投稿をしていた時代。その時感じたのは、新しい分野でも3年一生懸命勉強していると、そこそこ専門家になれそうだぞ、ということ。そんなことを感じていたのが40才少し前のことだった。,
胆石で入院することになった、聞いてみると知り合いの社長達の中で入院中にあたらしいビジネスを思いついたそうだが、それは入院すると行動は制限されるが考える時間は沢山出来るからだろう。退院し半年後、41歳(1991年)の時にそれまで副業だったパソコン関連の業界に転職を果たした。といってもIT分野での実績の無い私、手始めに業界団体(社団法人)に入所した。入ってみれば、私以上にパソコンに詳しい人は一人もいなかった。
 1994年になって日本で始めての個人向けインターネット接続会社(ISP)が出現したように、このあたりの年代は、インターネットが大きく注目された時代だった。私自身も、水を得た魚のごとく、いろいろなことを吸収した。アメリカで開催された展示会やシリコンバレーの企業訪問をしていたのはこの時代だった。

 47歳(1997年)になって、イスラエル系企業が東京でオフィスを開設した際に誘われ転職した。そこからだけで4回(5社)転職し、日本支社の立ちあげ、立て直しを繰り返し任され、そして定年を迎えた。

 定年後はもう勤め人に戻るつもりはないが、次になにをしたら良いかは分からなかった。そこで、まずは留学時代の同級生を頼ってガーナに渡航 した。そこで見た諸々のことはとても刺激的だった。ガーナ旅行からヒントを得、帰国後、中古車輸出ビジネスを個人で始めた。今年2020年は古車輸出ビジネス10年の節目の年となる。小成りといえど、自分で経営者として活動したのは正解だったと思っている。というのも、それまでの自分は、優秀なトップを補佐するのが自分の役割と思い込んでいた。しかし、自分でやってみたことで、私のような我が儘な人間は、自分で事業をやるのが一番良いことなのだと悟った。


 ・人生を豊かにするためのヒント

 著者によれば、「誰であろうが仕事を楽しむということが、その人の人生を豊かにするヒントになります。仕事が自分にとって好きなこと、やりがいのあることであれば、おのずと熱中できるはずなので、すきるは着実に上達していく傾向が強いはず」と。

 同感です。ゆえに、息子が大学生の時に私が彼に伝えたのは、「まず好きなことを見つけなさい。見つかったらそれを一生懸命やることは苦ではないはずなので、全力でやってごらんなさい」と。世の中には天才もいるが、小さな分野でエキスパートになれば、その分野では天才とでも互してやっていけるはずだから、と。


 いうまでもないが、「自分の人生は、自分で作るもの」 そう考えれば社会がどう変化していきそうなのかが見通せれば、自分の行動もそれに沿った生き方が出来るだろう。私の場合はけして先が見通せた訳ではなく、たまたま上記のチャートのような仕事と勉強を交互に繰り返してきた人生だった。そんな私からしてみれば、自分の人生をどうしたいのか?そのためには人はもっと我が儘で良いと思う。なぜなら、親でさえ、子であるあなたの人生を保証出来ないのだから。(生物の法則は、先入れ先出し法なので、先に死ぬ親が、愛する子の人生まで保証のしようがないから)

 若い方々!、もっと自由に生きてください。もっと(自分の生き方について)我が儘でいてください!なぜなら、あなたの人生は、あなた自身で作るしかないのですから。




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