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259. 本を読むこと、そして思いのたけを文字にしてみること ・・・  (2018/11/18)  


 11月13日のNHKスペシャルで放送された「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン 第3回▽健康寿命」の中で、(いつまで生きられるかという寿命のことではなく)健康寿命を延ばす要素として意外なキーワードを伝えられた。それは「本、または雑誌を読むこと」だった。理由はイマイチ明確でなかったものの、専門家の一人の言葉、「心が動くと言うことは、体も動くことなのだ」が印象に残った。


 それとは関連なく、読んでみたいと思ったのが厚生労働省の村木厚子さんのこと。最終的には大阪地検特捜部による証拠ねつ造であったことが判明し潔白が裏付けられたが、164日に及ぶ勾留に(ご本人もそう思ったようだが)よくぞ耐えたものだと感心した。
 その後この本を読んだことをきっかけに堀江貴文さんの本も数冊読んでみた。もともとライブドア時代で活躍していた当時の彼にはほとんど興味はなかった。しかし、彼が獄中で書いた1冊「我が闘争」に興味をひかれた。これらから分かったのは、人間、行動に制約が課された状況の中で、誰とも話が出来ずにいることは、とても辛いことだということが分かる。そんな中で平常心を保つことに「読書」がとても有効だったことだった。更に言えば、堀江貴文さんのように、自分の記憶、思いを書き出してみることが、とても大事だということがあらためて分かった。


 年齢を経ていくにつれ、体は若い頃のようには動かなくなるのはしかたのないこと。我々シニアは、別に獄中にいるわけではないが、ある時から介護老人になったりすると、自分の体の能力低下から獄中にいるのと似て行動に(体力的な意味から)制約が課せられることになる。
 しかし本を読むことならば、老眼鏡もしくは白内障手術の進歩などのお陰で支障はない。図書館に行くと、雑誌コーナーの前にはシニア男性が多数雑誌を読んでいることからも、それが分かる。問題は一歩先に進めて「書く」ことをどうするかだ。


 私の知人に、若い頃から年に数回は海外旅行に出る人がいる。もったいないなぁと思うのは、「書く」ことに興味がないこと。彼くらい回数海外に出ていると、その情報は結構人の役に立つと思うのだが。
 私のこのホームページを見ていただくと分かるように、私の場合、海外旅行したら必ずその記録を残している。別に誰に読んで貰おうという訳でもなく、ただ書いている。多分、究極の自己満足なのかもしれないが(笑)
 私の場合、特にどなたかから感想が届く訳でもないが、フロントページにあるカウンターを見れば、ここ1週間でのべ何人の方が私のホームページを訪問してくれたのかが分かる。これだけで私には十分動機づけになっている。
 私の場合、昨今流行りの「ブログ」ではなく、「ホームページ」(HTMLと呼ばれる記述方式に基づいて1ページづつ作っていく)にこだわっている。

*ブログ=ホーム ページが簡単に作れるシステムで、weblog (ウェブログ、つまりウェブ上の記録)からblog(ブログ)と呼ばれるようになったもので、日記公開や他からの意見の交流に使うもの。私が知っている無料ブログが解説出来るものの1つが「こちら



 さて、以前の日経新聞で見つけた言葉だが、シニアにとって大切なものが2つ。1つが「キョウイク」、もう1つが「キョウヨウ 」なのだそうだ。「キョウイク」は、今日行く所を持つことが大事ということ。もう1つが「キョウヨウ」、こちらは今日やる用事があることだそうだ。大事なことをとても分かりやすい言葉(標語)で現わしてくれたと感心している。

 体が衰えても新聞、雑誌や本を読むこととは出来る。読んだらそこから何かを感じるはず(でしょ?)。何かを感じたらそれをインターネット上に無料のブログ掲載が出来る仕掛けがすでにあるので、そこにアップロードしてみるといい。自分で書くと、自分が理解出来たことの確認が出来る。つまり、学生時代に、人に勉強を教えることで自分の理解が整理されるのと同じように。





 昨日(11月17日)の夜、NHKの番組で「終(つい)の住処(すみか)はどこに?」というものを放映していた。
 要介護認定が1もしくは2で、体の自由はきくものの認知症になっていて、「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」でやっかいものとなっている。というのも、政府の補助は要介護度のレベルが高いほど多くの金額が出る。つまり補助の少ない要介護度1、または2の人に徘徊されると、とても手がかかり厄介なのだそう。結果、ビジネスとして活動している「サービス付き高齢者向け住宅」では、扱いきらず、退去して貰わざるを得ないのだ、というもの。

 まあ、本を読みさえすれば、そしてモノを書きさえすれば、認知症にならないのかと聞かれれば、私には確証はない。確証はないが、欠けていく記憶を書いて残せるだけでも良いのではないかと感じるのだが、いかがだろうか。





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