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335. 創業寺子屋塾 (2021/4/21)  ・・・ (2021/04/04)

     東京しごとセンター主催 【4月19日(月)〜22日(木)】創業「寺子屋塾」入門コース(4日間コース)
   

      創業希望の方を対象にした初心者向け基礎講座です。〜4日間コース〜


 創業寺子屋塾の講師を依頼されるのもこれで8回目。毎回、これが最後の講師役と、私の知識・経験をすべて披露してきたつもりですが、終わってみるといつも何か言い足りないものが残りました。私も71歳ゆえに、これが本当の最後のお仕事と思って、今回こそ私の知識経験のすべてをお話ししておきたいと思っています。
 60歳で個人事業を立ちあげ、そこからの経験、そこから見えてきたものすべてを、皆さんの何かの役にたてばとお伝えしたいと考えています。以下は、冒頭、お話ししたいと思っていることを書き出してみたものです。





 この講座には「創業」というタイトルがついていますが、参加いただいている方全員が講座終了後より即、起業ということではないのかと思います(参加料無料の講座ですので、起業の予定は無いが、とりあえず話しだけでも聞いてみよう、という方が多いようです)。せっかくこの講座に参加された皆さんに私が提案したいのは「起業」を「就労」とは別にもう1つの選択肢として”キープ”しておかれることをお薦めします。

 まさに今回のコロナ禍がそうであったように、勤務先もしくは社会からのニーズがある日突然消えてなくなった場合どうするか。その時になってただオタオタするのでは無く”雇ってくれる人がいないのなら自分で事業を起こしてでも生き延びてみせる”という「覚悟」「選択肢」を持つということが大事だと思います。英語に「alternative」と言う言葉がありますが、いざという時のために日頃から代替(案)を持っていることがあなたを強くしてくれるのです。

 さらに言えば、コロナ禍であるなしに関わらず、この会社で養ってくれなければ自分は生きていけないと思うのはとても危険なこと。別な言葉で言うと、生殺与奪(せいさつよだつ)権を他人に与えていいの?いうことです。

 

 話を戻して、私には海外に住む友人が何人かいるのですが、その中でコロナウイルス対策の優等生的の国であるニュージーランドに住む友人から聞いた話しです。ニュージーランドはコロナ以前に、固有種を守るため、また自国内の牧畜産業を守るためにとても厳しい動植物検疫対応をしている国です。行かれたことのある方はご存じかと思いますが、靴の裏まで調べられます。コロナ対策もその延長線上にあるようです。そんなニュージーランドではロックダウンによって営業が出来なくなった飲食店に対し日本ほどの丁寧な事業支援(支援金)はしていないようです。お陰でオークランドでも多くの飲食業が廃業しているそうです。

 友人曰く、今後の展開を予想するとこの苦難の時期を耐えた飲食業は漁夫の利、つまり競争相手が撤退したがゆえに、少なくなった飲食業にお客は集中的に行くようになる。つまり、耐えたものだけが、繁盛を享受出来ることになるだろうということでした。(あとでお話ししますが生き延びるには、いざとなった時、固定費をどう下げられるかがカギになる)


 冒頭、大きな困難が襲ってきた時に、自分で事業を起こしてでも生き延びてみせる、という「覚悟」「選択肢」を持つということが大事だとお話しましたが、コロナ禍が終わった時、この1年で廃業した店舗の空きが多数出てきます。また、テレワークの拡大、定着で、オフィス面積を減らす企業も増えてきます。これ以外にもコロナ禍前には繁盛していた事業領域が霧散してしまっているかも。しかしこれから参入しようとする人にとっては、そこをあらたなチャンスと捉えることも出来るかもしれません。
 コロナ禍が完全に収束するまでにはまだ最低半年はかかるでしょう。であればこそ今から準備をすることがこの新しい波に乗れる機会となるでしょう。この講座受講後から、もし自分が"半年先"に起業するなら、今何をしておく必要があるだろうか?と考える。これが出来たら創業寺子屋塾に参加した意味があろうといいうものです。


 さて、コロナウイルスがらみのイントロダクションを終わりにして本題に入りたいと思います。

 実はレベルこそ違うものの私がそうだったのです。私は定年を迎える前から、元気でいる間は働いていたい、と思っていたのです。しかし現実はそうした私の考えをすんなりと受け入れてくれるようにはなっていなかったのです。
 ハローワークに通う中で、これはと思う会社に履歴書を送ったものの返事すら来ませんでした。あとで分かったのですが、年齢不問とあっても雇う側は所定の年齢の範囲を想定していたのです。単にハローワークの方針に従って募集の文面に「年齢不問」としただけのものでした。
 そこで私が考えたのは、雇ってくれるとことがないのなら自分でやるしかない、という、代案としての起業だったのです。

 2010年に起業しました。定年前の私は自分がトップに立って事を起こすというタイプではありませんでした。それは、中学校の同級生だった家内の目にもそうだったようです。「夫は優秀なリーダーを補佐する参謀のような役割が似合う人」という評だったことからもそれが分かります。つまり自他ともに、私と言う人間は参謀型でリーダー型ではないと思われていたのです。
 ではなぜ起業したの?理由は簡単です。60歳になった元事務屋・元営業マン、つまりとりたててウリにするIT技術もなかったから(?)雇ってくれるところがなかった。自分としては、60歳以前も、以降も、働くのがあたりまえと思っていたので、どうしたら働くことを続けることが出来るかを考えました。結果、選択肢として残っていた”起業”を選んだのです。

起業の「準備」「覚悟」についてお話します。

 まずは「覚悟」について。初めにファンド(資本)ありきではありませんが、資金準備なしに起業はなしえません。(2010年当時、既に)有限会社という形式はありませんでしたが、私の考えは事業を起こすのならかつて有限会社に求められる資本金相当の300万円程度を(生活費とは別途に)用意すべきだろうと。私の場合は老後のための資金の中から、300万円を起業に使うことを家内に納得して貰うことがスタートでした。家内には、もしこの300万円を使ってもなお起業できなかったらそこで諦めることも伝えました。これすなわち「覚悟」です。

 何をするかによって、求められる資金規模は違うでしょうが、そこは良く確認しておかれると良いでしょう。また、資金がありさえすれば成功する訳ではなく、あくまで前提であり、スタートラインに立つために最低必要なもの、というくらいに思うべきでしょう。

 次に「準備」について。ソフトバンクの孫さんの言葉を参考にしましょう。孫さんいわく「何かを始めようとしたら頭がちぎれるくらい考えろ」があります。私は彼のような超人ではありませんので、ちぎれる程考えることはせず、代わりに「行動から生まれるヒント」に期待をしました。=>考えても分からないことは、行動に起こしてみると分かるようになることがある。

 具体的には、アメリカ留学時代の友達にガーナ人がいましたので、彼を訪ねて初めてアフリカ大陸(ガーナ)に行きました。アメリカで暮らしたことのある私にとっても、アフリカ訪問はまるで映画「三丁目の夕日」の世界にタイムスリップしたようなカルチャーショックの世界でした。(そのショックを記憶に残す意味でホームページを作っておきました)

 当時、中古車輸出というと、アフリカ向けという言葉が出てくるくらいでしたので、アフリカ滞在中に思いついた事業の中から具体化したのが中古車輸出でした。当時は、生活品販売における「楽天」のよう中古車輸出にはソフトバンク系のトレードカービュ(Tradecarview)があり、そこに出店することでアフリカの買い手と繋がりを持てることが分かりました。この会社主催のセミナーには積極的に参加し、更に頻繁にここの会社の担当者を訪ね情報取得につとめました。(熱心な人には、人はそれなりに情報が集まるものです ← 行動が可能性を広げる)


<ローガンモータートレーディング起業から今に至る過程をざっと紹介>

常に事業の見直しを

 利益を増やすファクターは2つ。@売り上げを伸ばす、Aコストを下げる。利益が出ない時(コロナ禍で売り上げが激減した場合など)は、Aコストを下げるしかありません。
 コロナ禍で来客数が減った。当然売り上げも減った。しかし、あいかわらず家賃はかかる。さて、どうするか。日頃より固定費の多い事業は、何か異変がった時にこらえられない傾向が強いです。

 起業時はテーマ、何を事業とするかはとても大事だと思います。ただ未来永劫1つのテーマでないといけない、とは思わないでください。ソフトバンクが良い例です。皆さん、ソフトバンク創業時の事業は何をやっていたかご存じですか?本における日販、東販といった取次店があるように、パッケージソフトにも取次店が必要なはず。そこでソフトの取次ぎ、ソフト“バンク”を始めたのです。
 その後、ソフトバンクはコンピュータソフト関連の出版を始めました。次に、インターネットの接続会社、ソフトバンクBBとしてADLS接続(常時接続)の会社を始めました。ある時、楽天の売り上げ推移を見ていて分かったのですが、一般の方も接続(課金)時間を気にすることなく常にインターネット接続出来るようになった(課金を気にせずに常時接続が出来るようになった)。このお陰で急成長することが出来たのが「楽天」だったのです。
 その後の孫さんの活動は皆さんも良くご存じのように、ボーダフォンを買収して携帯電話事業を始めました。いまや皆さんにとってはソフトバンクと言えば携帯電話の会社というイメージでしょう。いまは携帯大手3社のうちの1社と呼ばれるようになりました。しかし孫さんの事業意欲は衰えることはなく、最近はベンチャーへの投資会社化してきています。

 とまあ、起業時のテーマには多いに拘ってください。しかし本当に拘るべきは「あなたがやる事業」という意味であって、あなたがやるものでありさえすれば何でも良い訳です。それくらい柔軟に考えて事業を進めていかれるとよろしいかと思います。

 さて、メルクマール(merkmal)。もともとはドイツ語だそうですが、事業展開時に物事を判断する基準や、その指標のことをいいます。起業したら「ここまでは持って行きたい」と目標を定めると良いでしょう。もしあなたが個人事業者から始めた場合は、俗にいう「法人成」をめざすのも良いでしょう。


個人事業主が法人成りを検討し始める事業所得(利益)の目安

(事業を起こすなら株式会社でなければダメというのもおかしな考え方。何をやるかによって器、つまり個人事業か株式会社かを選べば良いだけ)
個人事業主としてビジネスを継続している限り、事業所得(利益)は全て個人所得となり、個人としての所得税が課されます。その税率は、5%から45%まで7段階に分かれており、所得の金額次第では、法人税率よりも高い税率が課される場合があります。

インターネット調らべによれば、
ケース1:事業所得(利益)が500万円と仮定した場合は、法人成りしたほうが約14万円節税できる
ケース2:事業所得(利益)が1,000万円と仮定した場合は、法人成りしたほうが約55万円節税できる
事業所得(利益)が多くなるにつれ、法人成りによる節税効果が、より一層期待できることが分かります。会社設立費用が25万円程度かかることを考慮すると、やはり、事業所得が500万円を超える頃を目安として、法人成りを検討し始めるのが妥当といえます。

 節税だけが事業の目的であるわけはないのですが、事業が拡大して行っているのであれば、どこかのタイミングで個人事業から脱却して、株式会社化するのも良いでしょう。それを、事業を行っていく上でのメルクマール(merkmal)にするというのも1つの考えかと思います。
 ちなみに私の場合、2010年に事業を開始して、2017年に売上高が2000万円を超えました。それまでも、またそれ以降も人を雇って事業を拡大するつもりはありませんでした。また私のやっている中古車輸出の事業では、相手企業から個人事業主と株式会社と区別(差別)されるようなことは感じることがなかったので、あくまで個人事業主で良いと思っていましたので、法人成(株式会社化)は自分の目標にはしませんでした。


2010年に事業を開始した時は、60歳からのスタートですので、まずは10年続けられれば良い、と考えていました。お陰様で、なんとか11年事業を続けてくることが出来ました。

 この11年に大きく事業分野が変化してきました。もはや中小零細が中古車輸出を手掛ける時代ではなくなっているのかもしれません。現在主流は、月に数万台を東アフリカへ輸出する企業が業界をリードしています。ただ、この大手1社ですべてが賄われるはずもなく、現在でも隙間が残っています。現在私はその隙間を相手にするビジネスをしています。具体的には、一般の事業者は手を出しにくいアフリカ西海岸の国(なぜならハンドルの位置が日本と逆だから)相手に中古車輸出をしています。それも、車単体ではなく、コンテナで輸出をしています。コンテナで輸出する理由は、中古車以外に様々な生活物資を一緒に送ることが出来るからです。
 まだ、この分野は始めたばかりで起動に乗ったというレベルに至っていません。コロナ禍で一旦スローダウンしたこの事業を、再度起動に乗せるべくがんばろうかと思っているのが、今年の後半からです。

 では、その間は何をやっていたのか。1つは新しい出会いを見つけるための「枝」作りです。コロナの話を聞いていて思ったのですが、細胞がコロナと結びつくのには「受容体」というものが介在します。70歳になった私が社会に何かで貢献する際に、その結びつきを作り出す「受容体」は何なんだろう、と考えました。
 手始めにやったのがキータッチ2000 というテストを受けてみたこと。私はかれこれ40年もパソコンに触れていますので、タイピングの速度には自信があります。ただ、自信がある、だけでは相手と結びつきません。そこで商工会議所の検定「キータッチ2000」を受験し、私はこれこれの速度でタイピングが出来ますよ、と証明して貰った訳です。
 次に試みたのは、日商PC検定・Basic でした。これはマイクロソフトのExcelという評計算ソフトの操作がどれくらい出来るのかを測る試験です。その中のBasicは最も基礎のレベル。まずはこれも取って置きました。
 つまりパソコンが出来ますと言っても、どのレベルなの?と聞かれて、速度は1500ワード、Excelは「日商PC検定・Basic 」に出題される内容程度のものはこなせます、というお墨付きを得た訳です。こうしたものが細胞における受容体のように、外界とをつなぐ橋渡しになればと考えています。

 コロナ禍も1年以上も続いたので、ついでの防災士の資格も取っておきました。特に誰かを助けたいということよりは、70歳をすぎた夫婦が出来るだけ人さまの世話にならずに災害を生き抜けられれば、という程度の意味からです。
 現在、高齢者に対するワクチン接種が始まっていますが、終息宣言にはまだ時間がかかろそうです。そこで考えているのは、第二種電気工事士 など取得してみてはどうだろうか?ということです。かつて高齢の母が、電気ストーブと電気毛布を併用していて、コンセントが過電流で焦げてしまったことがありました。それを直した際に思ったのですが、身内の電気工事であれば、特に資格などなくても良いだろうが、人さまの電気製品などを修理して差し上げようと思ったら、公的な資格も持っていた方が良いだろう。これがあれば、いずれ独居老人の家に行って電気配線を見てあげたりも出来るようになると考えています。

 世の中では、コロナ禍の間に資格を取っておこうと考える方が少なからずいるようですね。税理士や社会保険労務士となると、それなりの勉強時間も必要になります。私が対象と考えた資格は、ベースとなる知識などがあれば、2週間程度集中して勉強すればなんとかなく、というものを対象としています。
 ここで私が言いたいのは、コロナ禍にあって、「出来ない今をボヤかず、出来ることを探してみる」ということです。


 過日このホームページにも「出来ない今をボヤかず、出来ることを探してみる」に書きましたが、出来ない理由探しではなく、今のこの流れの中でも”出来る何か”を探してみる、というのが私が今やっていることです。

 以上、何かの参考になれば幸いです。





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