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278.  “塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由 
                                      河合 薫著、健康社会学者(Ph.D.)  ・・・ (2019/07/07)


 日経ビジネス電子版というのがある。私が日経ビジネスを定期購読している関係で閲覧出来るようになったもの。今週のベストランキングというメールが届いて、なんと3位になっているのが「“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由」だという。つまりそれほど共感?興味?を呼ぶ内容だったようだ。

 これを書いているのは河合 薫さんという方で健康社会学者(Ph.D.)なのだそうだ。港区の図書館データベースで検索してみたら、著書に「他人の足をひっぱる男たち」というのが見つかったので、早速予約してみたが、すでに18人の方が予約していているようで私は19番目の希望者となった。こちらはまた読んだ時点でご紹介したいと思っています。


 以下は私が興味を持った部分(青文字は電子版にあった部分)


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 あと‥‥せこい話なんですけど、前の会社のときはタクシーも自由に使えたし、周りも私のことをそれなりに扱ってくれた。ところが、再就職先では行きも帰りも電車だし、私はシニア社員の1人でしかない。

 飲み屋ひとつとっても、扱いが変わります。

 そんなのは分かっていたことだし、大したことじゃないって思っていたけど、実際に経験すると結構、プライドが傷つくわけです。

 私を引っぱってくれた元上司は色々と気にかけてくれたんですが、それも情けなくて。結局、1年ももたずに辞めてしまった。周りに迷惑をかけるからそれだけは避けたかったんですが‥‥、情けないですよね。分かっていたけれど環境変化に対応できない

 私みたいなのを、“塩が抜けない”って言い方をするらしいです(苦笑)。

 自分では社外との人間関係があるし、趣味だってある。タコつぼ人間になっているなんて自覚は皆無でした。でも、実際は40年過ごした組織で、しっかり塩漬けになっていたんです。

 幸い子どもも自立してますし、家のローンもないので、今は色々と勉強しています。そろそろ動き出さなきゃなぁと思っているので、同じ轍(てつ)を踏まないよう、次は一兵卒として再々就職先探しを始めるつもりです」
‥‥以上です。


 なるほど。確かに1つの会社に40年もいると、この方のようになるでしょうね。幸か不幸か私は小学生評価にままあるような、「落ち着きのない子」だった。組織にいる自分がどうか、ということよりも、自分が興味を持てる仕事が出来る会社ってどこなの?という感じだったもので結果、何度も転職してしまった。幸いなことに50歳すぎまで年収は右肩上がりだったので、家内にも収入のことで文句は言われなかった。(もともとそうしたことに文句を言うタイプではなかったが)

 ある時、大企業で働いている人と話していて分かったことがあった。彼にとって部署が変わることと、私が会社を変わることってほぼ同じような移動だということだったのだ。どういうことかというと、彼の会社の部署のサイズ(40〜50人)と、私のいくつかの転職先の企業規模が同じサイズだったのだ。もっとも私がいた組織はたった40〜50といえど立派に会社組織、独自の考えもあった。
 部署のサイズが40〜50人といえど、大企業組織の一部ではこうはいかなかったと思うことも多々あった。私も大きな会社で働いたことがあるので分かるが、なんとも面倒くさいのだ。そこへいくと外資系で40〜50人規模の会社だと裁量範囲がずっと広い。社長を説得することが出来れば、基本なんでも出来たのだ。

 自分から変化(転職など)を作ったことがない人にとっては、定年という変化はあまりに大きすぎて、対応出来ないであろうことは推測出来ます。そこで思い出したのが、先日読んだ本、「60歳の壁」。この本にあったのは、大会社で役員になろうが、関連会社に出向出来ても、いずれも60歳で一旦終わったものとしての展開でしかないということ。ゆえにそこをきちんと自分の中で切り分けるためには、60歳までに自分の生前葬をしておくべきだ、と。面白い考え方ですね。



◎ 自分から動いて関係を作っていくしかない

 実際、これまで私がインタビューしてきた人で、再就職に満足している人は例外なく、準備運動のできている人だった。そういう人たちは例外なく「名刺が全く役立たないゆるい人間関係」を持っている人だった。

 ある人は資格を取るために通った専門学校で。
 ある人は町内会で。
 ある人はボランティアで。
 年齢もバラバラ、会社もバラバラ、性別もバラバラ、のコミュニティの一員になったことで、
 ある人は自分がいかに恵まれているかが分かった、と語り、
 ある人はそこにいくと自分が若手だった、と笑い、
 ある人は何年ぶりかに「ありがとう」と言われた、と顔をほころばせた。
 ‥‥自分のことは他人を通じてしか分からない。


 今年偶然、自分の住んでいる地区(港区)でも創業セミナーをやっているのを知った。私は60歳で中古車輸出を始めているので、このセミナーの対象とは外れるが、申し込みの電話をしたら参加させてくれるというので申込をした。

 ここで出会ったのは30代、40代の人達、かつて私が参加した創業寺子屋塾(30代〜60才まで)と違って私の年代はいなかった。若い人たちが、こんなことで起業したい、といった話を聞くのは大いに参考になった。また、自分の経験と照らして、ん?ちょっと違うかもよ、という内容のものもあった。

 2日間のセミナー終了後の懇親会で十数人の方と名刺交換をしたが、なんと東京電力の関係企業にお勤めの方が3人おられた。その中の一人が、私の自宅近所のマンションに住んでいる人だった。彼は町内会で活動したり、ボランティアで活動したりと、私よりもずっと地域の人達との人脈を持っていたのには感心した。恐らくは、自分から動いて関係を築き、準備活動が出来ているようだった。そうして準備している彼、定年後になにをやろうとしていのだろうか、興味あるところです。


 恐らくは、変化が外から、それも急にやってくると対応出来にくいのだろうが、自ら変化を作り続けている人にとっては、変化への対応力に大きな差が出てくるのだろうと思う。「60歳の壁 」の著者、植田さんは、50歳で変化を作り(会社を辞め)、あたらしい自分を作り始めた。これが氏が今もずっと活躍し続けることが出来る理由なのだろうと思う。



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