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279. 過去が押し寄せてきた・・Part I   ・・・ (2019/07/28)
 

 「年を取るということは自分の記憶の重圧に耐えることだ」。定かな記憶ではないのですが、どこかでこんな文を読んだ記憶があります。

 我々、古希を迎える年代になったのを機会に間接的な知り合いから同学年全体の同窓会をやりたいので手伝って欲しいとの打診があった。彼いわく、君のクラスだけ幹事が誰なのか分からず、ずっとクラス会を開催していないはず。このため小学校同窓会から全員に連絡を取ろうとしても、君のクラスだけ住所不明だらけだ、と。

 小学校同窓会が把握している人達の名簿に、私個人が年賀状を交換している人の名簿を足しても、53人クラスのうち20名(男性13名、女性7名)しか住所が分からなかった。女性の場合は結婚して名字が変わるため、追跡調査は難しそうだった。
 昨今の時代を背景に、返信はがきにはメールアドレスの記載をお願いした。連絡を取れた人とやりとりをしていて分かったのは、大学を卒業したあと1度だけクラス会をやっていた。反対に言えば、以来50年超クラスで集まっていないことが分かった。この50年というブランクはあまりに長かった。

 数人とやりとりをしていて、同級生のイメージが固定化されていることにあらためて気付かされた。それはそうだ、なにせ50年以上も会っていないのだからしかたない。

 そこから浮かび上がったのは、小学校時代(今となってはどうということもないのだが)ちょっとした粗相をした人がいた。彼からは返事がこなかった。反対に成績の良かった男子生徒の一人(もしかすると小学生時代のイメージ通りのような50年を送った訳ではないのかも?)からも返事はこなかった。どうやら、本人も、また周りも、あの時の固定化されたイメージで自分を見られることに抵抗を感じたのだろうと推測している。


 冒頭の言葉に戻るが、人によって自分の歴史が誇りにもなり、また重荷にもなるのかもしれない。


 




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