ホーム / 目次 / 前ページ / 次ページ


77.狭い東京には住み飽きた? (2005/06/25) 

 私は東京生まれ、東京育ち。現在も山手線内側にある一戸建てに住んでいます(と言っても親の代からなので、特に金持ちということではないのですが)。ゴルフを始めてみると、なんと不便なこと。ゴルフ練習場の数が少ないし、あっても高いし。ゴルフ場にしたって、延々高速道路を飛ばして最低でも1時間以上行かないと、たどりつきません。まあ東京に住んでいるメリットといえば、神奈川でも千葉でも等距離なので、どちらでも行けるというくらいでしょうか。

 関東近県に住んでいれば、埼玉県だって、千葉県だって、茨城・栃木だって、近場にいくらでもゴルフ場があるから便利ですよねぇ。そうしたところに住んでいる知人に話を聞くと、思わず「うらやまし〜」という声が出てしまいます。

 若いときは都心住まいが便利だと思っていました。ちょいと気が向けば映画館だって美術館だって近場にありますから。無いのは土地が高いせいで大手スーパーやファミレスが出店して来れないことくらい。通勤にしたって(会社が引っ越して来てくれたお陰で)会社まで電車乗り継ぎを含めて30分。一度、ゴルフの為に歩いてみようと試したら、早足で45分程度でした。

 グランクリユゴルフクラブ

 
 先日仕事で北海道の北見に行きました。仕事先の方が親切な方々で、またゴルフ好きの方でしたので、ゴルフにご一緒いただきました。聞けばお住まいはゴルフ場から車で15分程度とのこと。コースも綺麗なら、コースから見渡せる景色も、皆さんご存知の「美瑛」同様に美しいものでした。

 若い時は仕事との兼ね合いがあるので、都会住まいが楽だし、私の父などは「男が終電を気にして仕事になるのか!」というタイプだったので、結婚後二人目の子供が出来たのを機会に現在の家に同居を始めました。

 しかし、仕事と離れれば、話は変わってくる。しかも今はインターネット時代。距離のハンディはどんどん無くなってきている。ちなみに私の務め先の30歳のエンジニアは、一時期ニュージーランドから職場の仕事をこなしていた。彼の仕事は技術サポートで、やりとりのほとんどが電子メール。どこからメールしているかなどは相手には分からない。というか、ほとんどの相手は、彼は東京のオフィスで仕事をしているものと信じていて、時々「ちょっと来て、見て貰えませんか?」と言われ、あらためて海外に住みながら仕事をしていることを説明し、相手を驚かしたそうだ。

 また電話にしても最近はインターネット電話があたりまえになりつつある。私が使っている「スカイプ」といった便利なしかけができたので、パソコンにイヤホン・マイクを付ければ、それがそのまま電話に早や代わり。海外にいても、電話代節約が出来てしまう。


 振り返ってみれば、私の初めての海外旅行(オーストラリア、ニュージランド)は1970年(大阪万博の年)。確か1USドルが360円だったように記憶しています。航空運賃なども今ほど安くはなく、国際電話だって高額でした。ところが、今や1ドル100円程度だし、航空運賃だって、選べば5,6万円でニューヨークまで行けたりする。聞けば、大学生が「卒業旅行」と称しての海外旅行があたりまえになりつつあり、毎年2万人からの若者がワーキングホリデーと称してオーストラリアに行くのだそうです。時代は変わったものです。

 (参考)ニクソンショックで1ドル360円の固定相場との決別を迫られたのが1971年8月。結果1ドル308円が決まりました。

 インターネットのメリットは、何も若者を対象に限ったものではありません。むしろ、知恵、経験豊富な年配者の方が活用出来るはずと思っている。いろいろインターネットの弊害も言われているが、インターネットそのものは、かつての電話網のようなもので、そこに善も悪もない。あるとすればそれを利用する人間の知恵が、それを有効に利用しているのかどうかの違いだけ。インターネットのような道具を有効に利用するに足る知識、経験といえば、年配者が優れている。ようはあのイボイボキーボードがこなせないから、もたついているだけの事で、分かってしまえば、ビデオの予約録画よりよっぽど簡単だと思う。

 定年になったら、どかでのんびりと暮らしてみたいと夢を見ている私である。インターネットがやれる環境であれさえすれば、日本でだって、私の好きな"癒しの島"「フィジー」でだって同じようなもの。第一、都会は老人子供に優しくないと思う。毎朝通勤で利用している駅で、皆がエスカレータに、そして改札口に殺到する。定時までにタイムカードを押さなければならないからか。ならば、もう少しゆとりを持って家を出たらいいのにと思うことしきり。あの流れの中では、年配者がゆったり歩いていたりしたら危険そのもの。

 いや、若い人にだって、地方から出てきた人には優しくないはず。何かのトーナメント後のインタビューで宮里藍が東京についての印象を聞かれた時、彼女はこう返事していた。「あまり良い印象は持っていません。まだ学生の頃ゴルフの遠征で東京へ寄った際、どちらに行ってよいのかわからず迷っていたら、後ろから来た男性に、"じゃまなんだヨ〜"と言って、置いてあったバックを蹴飛ばされました」と。彼女、東京の人はなんてゆとりがないのか、可愛そうだな〜と思ったそうである。

 さて、最後に、かつての私のボスが書いた、面白い「エッセイ」を紹介しますので、ご一読ください。

 



追伸:

 丁度これを書き終えた時に友人からメールが来ました。彼の家は真鶴。私が羨ましがったら来たのが以下の返事でした。

 たしかに、真鶴の生活は海を眺めながら、ガーデニングなど優雅だろうが、永い定年後の時代、楽隠居の時代ではなく、仕事の延長の時代だろうから仕事をしやすいロケーションがベターと思う。定年を区切りに、仕事をペースダウンする好機とするが、健康と金銭が問題となるとき、割の良い仕事を確保するには、田舎は農業に関する仕事以外は駄目だ。メガコンピティッションの時代、格差拡大の時代。田舎が平準化することはないであろう。都内に住む兄貴は某監査法人にいるが、「東京では何をするにも金がかかり、真鶴はタダで海山の自然の遊びが出来る。どちらが良いかいえない」というが、私は田舎生活ばかりだったせいか、都会へ利便性・文化生活に惹かれる気持ちも多い。両方出来るには金の問題だな。資産管理の勉強もしなければ。

 なるほど、と思うとともに、「仕事」か「定年」かという「オン」と「オフ」的世界とは別に、グラデーション的な中間世界も作り得るのではないかと思い始めています。場所の壁を越えたことを一番実感したのが、前述の、かつて私が主宰していた"癒しの島"「フィジー」のホームページ。インターネットの世界は面白い世界で、ホームページ訪問者には、私がフィジーに住んでいると完璧に思い込んでいた人が大勢いました。また文体が若かったからか(?)、若い男性と思われていたこともありました。(当時、すでにオジサンでした。笑)

 私にも、これだ、というものが見つかっている訳ではありませんが、どこかに何かの回答が見出せるような気がしています。皆さんもご意見がありましたら聞かせてください。紹介させていただきますので。(ペンネームでの紹介もお受けしますが、私宛のメールにはお名前、年齢、プロフィールも添えてください)

 ご意見は「こちらへ


ホーム / 目次 / 前ページ / 次ページ  

inserted by FC2 system