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 世界は偶然と突然でできている

「たまたまザイール、またコンゴ」

田中真知(1960年、東京生まれ) 著
出版社 ‏ : ‎ 偕成社
発売日 ‏ : ‎ 2015/6/17
定価:2,300円(税別)


 新聞だかでこの著者の活動についての記事を読んだのがきっかけでした。最初は、サラダ記念日を書いた俵 万智(たわらまち)さんのお名前に似ていたもので、一瞬、女性かな?と思ったりして。

 この方、人生で2度、アフリカの中央に位置するコンゴ民主共和国(旧ザイール)の中央を流れるコンゴ河(旧ザイール河)を丸木船(大木を縦に割り、中をくり抜いて人間が座れるスペースを作っただけの船)でくだっています。1度目は、結婚してまもない奥さんと二人で。この時は、それぞれマラリアにかかり生死の境をさまよったり、盗人に遭遇したり、なんども役人に賄賂を要求されたりとで、さんざんな旅行だったようです。

 それが再び、川下りをしてみようと思ったのはふとした出会いからだったようです。自分よりずっと若い日本人男性(コンゴで日本語を教えていた)と出会い、その男性が、自分も川下りをしてみたいなぁ〜、と言ったからなのだとか。

 人間って不思議なものですね、あれだけ苦労したことが、20年もたつとノスタルジックに思い出され(?)、相棒が出来たこともあり、もう一度あの世界に行ってみたいと思ったようです。


 この本を読んでみて”私が”思ったことは、私が体験した2度のアフリカ旅行(最初はガーナ、次はウガンダ)は現地の現地人である友達がいたお陰もあって、かなり快適だったこと。また、行った先がいずれも首都でかなり開発されていたこと(未開の地に行った訳ではないということ)で、この本にあるような苦労はしないで済みました。ゆえに、同じアフリカ旅行でも、その内容はまったく違った(過酷な)旅だったようです。

 そもそもコンゴ民主共和国、旧ザイールは、幾度もの内戦で、多くの人が死にました。それら内戦の背景には、この国が持つ天然資源、そしてその利権を狙う先進国が背景に存在したからでした。


 彼が二度のコンゴ河の川下りを経験して感じたことは、彼なりにつかんだ「真実」なのだと感じました。それが以下です。

 


 コンゴ河を二度にわたって、しかもおよそ二〇年の時を隔てて、丸木舟で下るという経験は、なかなかできるものではない。もっとも、そんなことをしようという人もめったにいないだろうが。

 思い出はいつまでもそこにとどまっているが、現実は変化する。ふたたびコンゴ河へ行きたいと思ったのは、自分の中で特別に強烈だった旅の記憶をノスタルジーにするにはしのびなく、それをもういちど現実につなげたかったからだと思う。

 そこで感じたのは「世界は偶然と突然でできている」だ。それを必然にするのが生きるということだ。それがコンゴ河の教えだ。

 



 しばしば耳にするのは、若者が「自分探しの旅に出たい」という言葉。これに対して、養老孟司氏は、「自分」は自分の外にはない、あるとすれば自分の中にある、といったことを言われていたのを読んだ記憶がある。ゆえに、田中真知さん同様な旅に出るのはおやめになった方が良いでしょう。なぜなら自分が見つかる前に死んでしまうからです。(彼が生きて帰れたのは、運が良かっただけ)


 田中真知さんが経験したのは自分を探す以上の旅を通じて得たものでした。それは「世界は偶然と突然でできている」だったそうです。恐らく、私を含め日本のような平和な国で生きている者にとっては、こうした答えは得ようがないのだろうと思います。

 せめて我々に出来ることは、こうした本を読んでみて、そこから何かを感じ取ろうとしてみるくらいでしょう。



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