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 見た目で判断してしまった場合の補正はどうしたら良いの?  ・・・ (2023/10/22)


 先週のこのホームページの同じコラムで、NHKの番組(特にBSプレミアム)って面白いって書きました。私が気に入っている番組の1つが「BSプレミアムシネマ」として昔の「映画」を放送ですが(それもCMナシで一気に放送してくれます)

 
 19日(木) は「招かれざる客、1967年」(原題:Guess Who's Coming to Dinner スペンサー・トレーシー主演 でした。ちなみにこれをご覧いなった方はいらっしゃいますか?・・・ 原題を直訳すると、「今晩のディナーにいったい誰が来ると思う?」と言ったところでしょうか。


  今回私が書きたかった主テーマは、見た目という事例として、この映画に登場する黒人医師(有名な俳優、シドニー・ポアチエが演じている)を取り上げてみました。この映画をご覧になった方はお分かりかと思いますが、テーマは人種問題について、つまり見た目が状況を左右する事例だからです。

 ちょうどこれを見た時に書いていたのが、中古車輸出の仕事は「仕入れが9割」という言葉が書きたくて、これは「人は見た目が9割」だったもので、この映画別な視点を感じました。

 白人女性の父親は、新聞社を経営していて、自分はリベラル派であることを誇りに思っていた人でした。しかし頭で理解しているつもりでも、実際に娘が連れてきた男性は肌の黒い人でした。父親はうろたえ、絶対に反対してやるぞ、と心に決めてしまうのです。そう、いかに人間が見た目にひっぱられるのかがとても良く分かる映画でした。

 「人は見た目が9割」という本のテーマも、人間はいかに見た目で相手を判断してしまうかが、書かれている訳ですが、相手が実際にも見た目通りの人であれば問題ないのですが、実際が見た目とは違っていた場合にはちょっとした悲劇が生まれそうですね?

 で、人間はどうするかがこの映画の見所。
 見た目とは別に、いろいろ相手を見直してみて、また相手に関連した情報を集めて見るわけです。この映画でも、その対象になったのが結婚相手として連れてこられた黒人男性。いろいろ調べてみると、彼は(医学という意味での)ドクターで、著書もあり、さらには 国連の機関の1つ、WHO (World Health Organization、)でも活動しているのです。

 こうした理詰めで、自分が見た目で引きずられてしまっている感情を理性でなんとか補正しようとするのです。そしてトドメは、黒人男性の母親の言葉でした。いわく「私の主人やあなたのような年代になるとSEXとは遠ざかり、かつて若かった頃のように異性に対して情熱をかたむけた時代のことなど忘れてしまっているのでは?」と言われるのです。
 これが決めてになったのかもしれません。年老いた父親は、40年以上連れ添った妻を、いまでもとても愛しているのです。それを相手の母親から言われた言葉で、自分がかつて今の妻と出会い、情熱を感じ彼女にプロポーズした頃のことを思い出すのです。

 その晩は、相手の両親、当事者の二人、そして新聞社の社主である父親夫妻の計7人で食事をするのでした。映画はここで終わりましたが、黒人の医師と、新聞社のオーナーの一人娘は、その日の夜行便でジュネーブに旅たつことになるのです。彼らはその後結婚したことでしょう。

 とまあこの映画は、人間がいかに見た目にひきづられるのかの「事例研究」のようなものですね。そうした時におそらく有効なのは、見た目で判断をしてしまっている相手を良く観察すること。また、正確な情報を集めてみること。最後は、理詰めばかりではなく、自分が何を求めているのか?をもう一度確かめてみることなのかもしれませんね。


 淀川長治さんが生きておられたら、きっと「映画の中であなたは別な人生を生きてみることが出来るのですよ」とおっしゃるかもしれませんね。では、サヨナラ、サヨナラ。



(いま一度ストーリーを解説)

リベラルを自称する新聞社の社主である父と画廊を経営する母の間に生まれたジョアンナ・ドレイトンは自由奔放に育った。23歳になったある時、ハワイに旅行した際に37歳の黒人医師ジョン・プレンティスと出会った。学歴もあり教養も持つジョンにすっかり魅入られ、結婚したいと思うようになる。

かたや黒人医師ジョンは、過去に妻と息子を自動車事故で喪い、新しい恋には慎重になっている。そんな彼を自分の両親に紹介したいとサンフランシスコに住む両親の元へと案内する。ジョアンナはジョンが慎重であればあるほど恋心が高まり、すぐにでも結婚したいと両親に打ち明けようと考え始める。

まず母クリスティーナが彼と会う。最初は、ただただ戸惑う。なぜなら娘が連れてきた恋人は黒人だったからだ。しかし言葉を交わしていくにしたがい、彼がとてもインテリだと分かり、さらに思慮深い人だとも知る。
次に父親、マットが帰宅する。これから司祭とゴルフをするのにその用意をするために帰宅するのだ。しかし、娘から黒人医師ジョンを紹介されパニック寸前となる。これはゴルフどころではないと、秘書に電話で、ゴルフのキャンセルと、もう1つ、黒人医師ジョンの素性を確認させる。
追って秘書から返事があり、黒人医師ジョンが如何に医学界で素晴らしい実績を上げている人物かが分かる。しかし父親の気持ちとしては、なんとも受け入れがたい。そんな両親の気持ちを察してか、黒人医師ジョンは、父親に宣言する。彼女とは結婚したいと思っているが、もしご両親が反対されるのであれば、彼女は幸せになれないかも。であるから、お二人の同意が得られない限り、私は彼女とは結婚しない、と言ってします。

これを聞いた父親は、結婚に不同意ということを、どう理由をつけて話そうか考え始める。そんなところに、ゴルフをキャンセルされた司祭が、どうしたのかと家に尋ねてくる。そして状況を見て、何が起こっているのかを察する。そして、長年の友人であるマットに、人種で判断すべきではないと諭す。理詰めで考え始めると、どんどん結婚に反対する理由が減ってくるが、感情はあいかわらず彼らの結婚には反対だ。

しかし最後には、もう一度理性を取り戻し、送れてきた彼の黒人の両親を交えて、なごやかに夕食を共にするのだった。

別な視点で書かれたストーリーがこちら Wikipedia にあります。



<補足>
 この映画が作られた当時(1976年頃)、異人種間結婚は歴史的に米国の多くの州で違法であったため、この映画は当時、異人種間結婚を前向きに描いた数少ない映画の1つ。映画が公開される半年前の1967年6月12日まで17の州でまだ違法であり、最高裁判所がラヴィング対ヴァージニア州裁判で異人種間結婚を禁じる法律を無効にする直前に撮影された。




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