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  トヨタ自動車がロシアから撤退を決めるまでに何があったのか・・・ (2023/04/02)

  以下は、トヨタ自動車がロシアから撤退を決めた時のアナウンス。(原文は「こちら」)


ロシアトヨタ戦記

2021/12/9初版刊行  

 
トヨタ自動車株式会社
トヨタ・モーター・ヨーロッパ

トヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)とトヨタ・モーター・ヨーロッパ(TME)は、ロシアにおける生産拠点であるロシアトヨタ有限会社サンクトペテルブルク工場(以下、TMR-SP)での生産事業を終了することを決定しました。

ロシアにおける生産事業を終了する決断は、私たちにとって決して軽々しくできることではなく、どのような道が最善なのか、トヨタとして検討を重ねてきました。

TMR-SPは3月4日、部品調達ができなくなり、操業を停止しました。その後も、稼働再開に向けて生産ラインの保全を日々実施するなど準備を継続してきました。

トヨタは、世界中のステークホルダーの皆様に支えられながら、自動車事業を展開しています。「トヨタ」のブランドは創業以来、80年以上にわたって築き上げてきたものです。トヨタの価値観、トヨタの名を冠した製品は私たちが守り、次世代に継承し続けなくてはなりません。トヨタの価値観と製品は、われわれそのものであると考えています。

しかし、半年が経過しても生産再開の可能性は見い出せず、このままではトヨタが目指す製品づくりができないこと、また、現在の状況が続けば共に良いクルマづくりを目指してきたロシアの従業員に対して十分な支援ができなくなることから、ロシアでの生産活動を終了すること以外に選択肢がないと判断しました。

TMR-SPは、生産終了に向けた手続きを開始します。従業員に対しては、最大限の支援を提供する計画です。モスクワの拠点は規模を縮小したうえで再編成し、ロシアにおいてトヨタ、レクサスにお乗りいただいているお客様に対し、安全と安心を確保するための体制を維持します。           
                                                                  以上




 ロシアトヨタの社長は自動車製造・販売に精通したトヨタ社生え抜きの人ではありませんでした。この本を読んでみてその理由にとても興味を持ちました。

 社長をしていた西谷氏は、なんと長銀総合研究所にいた研究員でした。しかも96年にはウクライナの日本大使館で調査員として働いていた人でした。そんな彼にトヨタから声がかかり、99年にトヨタ自動車へ入社し、さらに2004年から2009年まで ロシアトヨタの社長を務めたのでした。理由は、ロシアでのビジネスがとても特種なものになるであろうことがトヨタ本社の中心にいる人たちにも容易に想像出来たからでしょう。

 どう特種であったのか、著者の思いがこの本の「ロシアトヨタ戦記」というタイトルと以下の数行の文章に集約されているような気がしたので、それを紹介します。

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ロシアトヨタ戦記 西谷公明 中央公論新社 刊  282ページ より

 見方によっては、ロシアそのものが広大なる未成熟国家のようなものだった。なにせ社会は粗削りで不条理に満ちていたし、またそこに生きるひとびとは混乱をものともせず、広々とした国土の自然に包まれて、ときとして猛々しい野生らしきものに満ちていた。油価ひとつで経済が激しいアップダウンを繰りかえすというのも、彼らにとっては夏の暑さと凍てつく冬の寒さにも似て、未成熟国家ロシアのほんのひとつの顔に過ぎないということかもしれない。
 が、それにしても・・・・、とわたしは思うのである。ロシア人とはなんと辛抱つよく、かつ楽天的で、たくましい精神の持ち主なのか、と。


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補足:
 自動車産業に興味の無い方でも、西谷氏が書いた、「トヨタの相談役と一緒にシベリア鉄道で旅行をした時のお話し」 は、きっと興味を持たれることと思います。




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