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● ポーランドが、ウクライナの悲劇を自分のことのように心配をし支援をしている理由
・・・ (2022/04/10)
以下、ウィキペディアの「カティンの森」より抜粋
第二次世界大戦中にソビエト連邦のスモレンスク近郊の森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が、ソビエト内務人民委員部(NKVD)によって虐殺されたカティンの森と呼ばれる事件だ。
1939年8月23日に独ソ不可侵条約の密約で同年9月17日からソ連が侵略・併合していた旧ポーランド東部地域で(1940年4月頃に)多数のポーランド人を虐殺した。1941年6月22日からナチス・ドイツがソ連に侵攻し、ドイツが旧ポーランド東部地域まで進軍するとソ連によるポーランド人虐殺現場を発見した。
1943年4月にドイツは、「カチンの森で1940年4月頃殺害されたと推定される4443人のポーランド将校の射殺死体を発見した」と発表した。それに対しソ連側は、ソ連に侵攻したドイツ軍が1941年8月にしたと主張した。
2008年、ロシアのプーチン首相はポーランドのトゥスク首相と会談し、事件が「スターリンの犯罪」であると言うことで一致した。さらに2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にスモレンスク郊外の慰霊碑に揃ってひざまずき、さらに事件を「正当化できない全体主義による残虐行為
」とソ連の責任を認めた。ただし、「ロシア国民に罪を被せるのは間違っている」とも主張し、謝罪はしなかった。
ロシアのウクライナ侵攻に対し、隣国ポーランドが親身になってウクライナ人避難民を受け入れている。ポーランド人には、ロシアの蛮行が身にしみているから。もしポーランドがウクライナを守ってあげないと、次にポーランドへのロシア侵攻が始まりかねない、との思いからのようです。
*何かというと「あれはナチの仕業」、 何かというと「あれはロシアがやったのではない」と、
それがオマエらのやり方か〜
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