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  日本人の国語力が落ちているようですが ・・・ (2021/10/31)


 



 左の本は、河合薫さんの著書「コロナショックと昭和のおじさん社会」日経プレミアシリーズである。

 以前から河合さんの本を何冊か読んでいるが、この方、シニア男性自身よりも、シニア男性のことを良くご存じなのに驚く。


  もしご興味あれば、こちらをご覧ください。

 「3年働いたらいい人見つけて辞めよう」“スッチー”だった私が昭和おじさん社会について書いている理由

 このページを読むと、河合さんがなにゆえに、こうしたタイトルの本を書いたのかが良く分かる。






 さて、この本の中から冒頭のタイトルに関連する部分だけをこのコラムで取り上げてみたいのです。それは、この本の第2章 ここまで深刻化していた「分断の壁」の中から、9時10分前を理解出来ない若者たち、だ。

 ここに書かれていたことはこんなこと、

 河合さんがインタビューした男性管理職が教えてくれたこと。20代の部下に「9時10分前には集合するように」と言ったところキョトンとされ、まさかと思いつつ「8時50分に来るように」と念押しすると、「あ、そういう意味ですね」とやっと理解したのだという。


 こうした傾向は以前から若者達の間にあったようで、私の知人で元、中学校の数学の教員だった人から聞いた話し。教室で先日の試験を生徒に返した際に、成績のあまり良くなかった生徒がいた。授業終了後、声をかけてみた。「前回の試験のどこが分からなかったの?」と聞くと、「解答を導き出す以前に問題の意味が分からなかった」、と。つまり数学のレベル以前に、国語のレベルが低かったことが分かったという。

 世の中に英語学校というものは沢山あるが、日本語学校というのはほとんど聞くことがない。つまりきちとした日本語を覚えたいと思ったら自身で努力するしかないのかもしれない。

 昨今の若者はスマホ世代、言葉がどんどん省略形になってきていて、きちっとした文章が書けなくなっているようだ。また、これらは中、高校での英語教育への重点政策の影響という人もいるようだ。しかし私が英語の翻訳・通訳を指導している学校の校長と話した際に聞いたのは、日本語が出来ない生徒は英語も出来ないという。たしかに小さい頃に海外で生活した生徒は、流ちょうに英語を話すことが出来るが、文章を書かせてみるときちんとした英語文章が書けないのだそう。この校長いわく、軸となる言語、例えば日本語なりがきちんと出来ていない生徒は、やはりきちんとした英語が書けないのだという。

 まずは日本語の文章を書く練習を自ら進んでやっていかないと、日本語能力は伸びないようだ。




 こちらは国際政治学者、三浦瑠麗さんの著書を何冊か図書館で借りた中の一冊、「私の考え」です。

 今回三浦さんの本を読んでみて、あらためて感じたのは、世の中に「エッセイイスト」なるタイトルを標榜する方が沢山いるが、あくまで自身は「国際政治学者」です、とおっしゃっている三浦さんの本の方が素晴らしい文章と感じたのです。

 例えば、彼女が流産した時のこと、死産だった子供のそっと顔を寄せる。なんとも愛おしい赤ちゃんの臭いがしたのだそう。それがしばらく時間を置いて棺桶に入れる前にもう一度、赤ちゃんに顔を寄せようとしたが、そこにはもはや生きていた臭いはしなかったのだそう。そうした事象を彼女なりの言葉、文体でたおやかに表現してくれている。

 またもう1つはこちら。「夫婦がちくっとお互いに嫌味を言いあうのはなぜなのかといえば、相手に与えた分が返ってこないことを問題視して、嫌味による債権の「取り立て」を行っているからなのだと思う。209ページ」などもそう。その事柄をしっかりと捉え、それを絶妙の表現力で書いている。それにしても、嫌味による債権の「取り立て」とはなんとも上手い表現だと感心するほかはない。これはもう国際政治学者でなくとも、文章を書くことでも食べていけるのでは?と思うほどだった。

 どうやら三浦さんはとても沢山の本を読み、沢山の文章を書いてきた中で会得した文章力なのでしょうね、感心しました。





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