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  STAP細胞騒動 ・・・ (2021/01/24)

 私の記憶の中では、STAP細胞騒動のことは記憶の隅に行ってしまっていました。それを思い出したのは、たまたま見たFacebookからの案内で、小保方晴子さんの名をかざしたグループに参加しませんか?という案内。見てみれば、主宰者が、たまたま私の知り合いでした(その昔、仕事で接点がありました)。

 グループ参加云々以前に、あの時の騒動ってなんだったのか、まずは確認してみようと思い、図書館から2冊、本を借りてきました。

 講談社 1400円

 文藝春秋 1600円

  
 まず一冊目、小保方さんご本人がことの顛末を書かれた本を読んでみました。私にはこうした最先端の分野で科学者たちはが何を、どのようにやっているのかが書かれた研究部分については正直良く分かりませんでした。分かったのはこういうこと。

 まず、「期待」と「落胆」はえてしてセットでやってきます。小保方さんの場合は、「期待」には「羨望」が、「落胆」には「怒り」が付いてきた印象です。つまり若い女性がこんな偉大な発見をしたこと、別な言い方をすると、「こんな小娘にそんな偉大は発見が出来るはずがない。論文に問題があったって?そらみたことか」、といった年配学者などから半ば怒りとなって彼女に向いていったという印象でした。ジャーナリストもマッチ・ポンプ的な反応で、少し前までは絶賛していたかと思ったら大衆に迎合してバッシングに積極的に荷担したのでした。
 小保方さんご本人がコントロール出来る範囲を大きく超えてことが動いてしまっていましたので、本人にしてみれば、私のどこがいけなかったの?社会からバッシングを受けなければいけないほど悪いことをしたの?という印象だったでしょうね。大きな社会からの反動の中で何もしようがなかったでしょうね。


 以前、ハワイ在住の日系の方からこんな話しを聞きました。中国系のかたは、仲間を皆で支え、成功者が出ると皆で喜ぶ、と。しかし日系人はそうではないのだと。日系人の中の誰かがのし上がっていこうとすると、周りの日系人が妬みからか、引っ張り下ろそうとする傾向があるのだと。この方の言葉で言えば「壁をはい上がろうとする蟹を引っ張り下ろそうとするように」と例えで説明してくれました。どうやら日本人にありがちな反応なようですね。



 さて、もう1冊はジャーナリストが書いた本。こちらも小保方さんの本同様に、生命科学とは、研究とは、といったことにある程度の知識を持っていないと読んでみても、なんとも分かりにくいものでした。

 なんとか最後まで読みすすんでみての印象はこんな感じ。砂上の楼閣という言葉。ネットで確認してみると「見かけはりっぱであるが、基礎がしっかりしていないために長く維持できない物事のたとえ。 また、実現不可能なことのたとえ」とありました。

 また、ことが起こっていき、また壊れていった過程をみるとまた別な印象を持ちました。小保方さん以外の登場人物に笹井氏、若山氏が深く関わっており、さらにそれぞれが属する組織(例えば、再生科学総合研究センター、理研など)からのいびつな反応があったりと、かなり複雑な様相を呈していました。このあたりを例えるならゲームの1つ、ジェンガのよう。1つ1つは一見しっかりしたブロックながら、問題点が露見して以降、あれはダメ、これもダメと取り去っていき、最後にSTAP細胞という新しく出来た概念そもののが脆くも崩れていった、という印象でした。






 最後に。私の世代は、大学生であった頃に「学生運動」 が活発化し、私が在籍していた大学にも機動隊が入りました。当時の風潮としては、強いものを批判すること、反体制を叫ぶことがカッコ良く、体制側につく生徒はバカにされていた感じがありました。当時は、インターネットがある訳ではなし、どんなに政府、体制を批判しようとも世の中にさほどの影響を与える訳ではありませんでした。当時、ジャーナリストなどがその意見を採り上げていたのは、小田実さんとか、高橋和巳さんといった、世の中でその理論、哲学が認められていた一部の人だけが世の中に向けて発言を認められ、また社会もその発言に一目置いていました。

 いまやインターネット・エイジ。誰でもが世の中に対して意見を発表することが出来るようになりました。ほとんどの人が理論、哲学を持っている訳ではなく、ましてコミュニケーションのスキルも低い状態で、どんどん発言しています。それらの多くは、ツイッターやYoutube などで極端な、もしくは過激な発言をする方が受けが良い(皆が自分の書き込みを読んでくれる、反応してくれる)とばかりに、どんどん過激化しているのが現状と感じています。

 インターネットの始まりはスイスの研究所で、世界から集まってきた研究者が、異なる言語、異なるアーキテクチャーのコンピュータを使っていたものを、なんとか意見交換、情報交換が出来るようにしようという発想で作られたもの。それがTCP/IPという通信プロトコルであり、ウェブ上で標準的に使われている httpやHTMLだった訳です。そうした専門家だけが使うことが出来るツールがどんどん広がりを見せ、今やスマホ1つあれば、誰でもが利用出来る便利な世の中になった訳です。この急激な発展は、インターネットというツールはどうやって使ったら良いのかというリテラシー教育が施されないままで大きく普及してきました。

 私のこのホームページにも寄稿していただいたコメント、藤牧晋平先生が言うように、「この道具は、エロ、グロ、ナンセンスを世界中に大量にバラまく凶器となり得るし、現にそうなっている。そうならないようにするのは、一にかかって、この道具を使いこなす人間の知恵にある。」となるわけです。世の中の多くの人が、早くこれに気付いてくれるといいですね。





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