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  政府、学校に1人1台PC導入を検討?   ・・・ (2019/12/08)


 こちらのURLに以下の内容の記事が出ていた

 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1911/20/news046.html

 安倍晋三首相は今月13日の政府の経済財政諮問会議で、学校のICT環境について「パソコンが1人当たり1台となることが当然だということを、やはり国家意思として明確に示すことが重要」と発言していた。

 一方、学校のICT環境をめぐってはこれまでも国庫補助や地方財政措置がされてきたが、整備の遅れや教育現場を抱える自治体間のばらつきが指摘されている。西村氏は「単に(パソコンを)配るだけでは活用が進まないということもあるので、教える人材の確保などソフト面も含めて議論を詰めている」とした。



 私が高校生だった時代は、パソコンではなく英語教育の為の施設、LL (Language Laboratory) が1クラス分用意された。私のいた高校は私立だったことから校長先生の鶴の一声で導入されたが、公立高校にはまだこうした設備はなかった。

 
 ちなみにLLとは視聴覚教材を活用した語学実習室のこと。個人別に囲いで仕切られ、録音再生装置・ビデオ装置などを備えられていた。

 インターネットで画像を探してみたら、左記の写真が見つかった。しかし私がいた高校に導入されたのは、これよりも一世代古いもの。写真ではカセットテープレコーダーだが、我々が使っていたのはなんとオープンリールのテープレコーダだった。
 結構高性能なテープレコーダ(確かTEAC製)で電磁式スイッチで軽く、素早く操作出来た。これを50台も揃えたのだからかなりお金がかかったことだろう。


 さて、語学学習のために導入したので、これを使って指導するのは当然のことながら英語の先生方だった。しかし、英語の先生、必ずしも機械に詳しいわけではない。また、オープンリール式のテープレコーダーは、磁気テープをセットするなど準備に時間がかかった。英語の先生方が苦労しているのを見て、私を含めた生徒有志が同好会を作り、お手伝いをかってでた。そしてお手伝いをさせて貰う代わりに放課後、このLL教室を使わせて貰えるようにして貰った。

 結論から言えば、英語の先生にこのLL教室を使いこなした教育は無理があったようだった。私達が卒業した後、この高額な施設は使われ無くなったそうだった。
 これで思ったのは、何かをやる時には「誰(who)が?」やるのか「どう(how)?」やるのか。そして一番大事なのか「何のために(why)?」それをやるのかをきちんと考えてから、取りかかった方が良いだろう。




 時代は変わってパソコンが教育に使われるようになった。私がパソコンなるものを使い始めた1981年頃は8ビットパソコンで日本語はカタカナしか表現できなかった。それがCPUの処理速度が上がり、16ビット、32ビットとより高速で処理出来るようになり、また同時にメモリーもふんだんに搭載される時代になった。お陰でGUI(MacやWindows)を通じてパソコンとやりとりが出来るようになった。

 当時を振り返ってみると、あいかわらず若者が使う道具で、年配者には使いこなせない人が多かった。その理由はキーボードが使いこなせなかったからだった。



 

 それから時は流れ、2010年だっただろうか (iPone が登場し) さらに iPad が登場した。こうした最新のGUIとタッチ式の操作が可能となり、キーボードが操作出来ない人、特にシニアにも高性能なパソコンが使って貰えるようになった。

 さて、前置きが長くなったが、こうした時代を知っていて、また体験してきた私からして思うところがある。

1.まずパソコンのリテラシーを座学で教えておく必要があると思う。パソコンで何が出来て何が出来ないのか、といったことを。コンピュータは定型業務、大量処理に向いていて、例外処理、非定型業務、少量業務については、昔も今も向いていないのだから。

2.次に「パソコンを教えたいのか」、「パソコンを使って何かを教えたいのか」を指導する側が明確にしておかないと、仏作って魂入れず、になりかねないということ。パソコン導入を考えている人に、これがどこまで分かっているのだろうか心配になる。

3.パソコンを、、、とあるところからすると、キーボードの無いPadではないようだ。パソコンを一人1台を用意するというのであれば、ノートPCにして、自宅に持ち帰れるようにしてあげると良いだろう。コンピュータに興味のある生徒は、自宅でもやるだろうから。

4.世の中には優れた才能を持つ人がいるもので、医学部に通いながら司法試験に合格した人もいるという。しかし、学校の先生にそれを期待するのは無理。各教科以外にパソコンが得意(指導も出来る)という人はあまりいないだろう。一人1台のパソコンを支給するのであれば、それらを指導する教員を別途育成しないかぎり、私がいた高校のように、宝(LL用の施設)の持ち腐れになることは目に見えている。

5.聞いているところでは、昨今、小学生にプログラミングを必須科目にしているのだとか?恐らくは、プログラミングなどしたこともない大人が理想を描いてこうしたのかと思う。私の考えでは、プログラミングを教えるメリットは、アルゴリズムとか、論理的な思考を育てる意味からだろう。であれば、必ずしもパソコンは必要ないかもしれない。このあたりも、こうした指導要領を作った人にどこまで理解をしているのかを聞いてみたいところだ。


 余談だが、若い頃、私立小学校のPTAにパソコンの話しをしてくれないか?と頼まれてやらせて貰ったことがある。その中で、マックがいいのかWindowsが良いのか聞かれたのを思い出した。もともとMacとWindows(元々はIBM PCから始まった流れ)とは設計の思想が違う。
 簡単に言ってしまうと、Macは創造性を重視するもの。Windowsは生産性を重視するもの。ゆえにほとんどの会社で業務処理に使われているのは圧倒的にWidowsマシンなはず。また同様に、デザイン系の人が使っているパソコンは圧倒的にMacが多いのはその理由からだ。

 どちらを選ぶかは、生徒本人に選ばせてあげてもよいように思う。なぜなら、クリエイティブな分野に興味があるのが、ビジネスに興味があるのかは、本人でないと決められないからだ。


 箱モノ行政という言葉があるが、昔も今も、パソコンという箱を提供して事足れりと思うような思考は変わっていないようだ。せめて父兄はそれを理解して、お子さんたちを支援してあげて欲しいものだ。



補足:
 私のパソコン歴はシャープのPC1500から。 これは俗にポケットコンピュータと呼んでいたが、BASICというプログラミング言語が使えた。

 次に使ったのが上の写真にある富士通のFM8だった。これでは、BASICによるプログラミングもやったが、それ以外にもアプリケーションソフト(今のスマホでいうところのアプリ)の両方を使った。その後、事務屋になったことから、自らプログラミングをやるという遠回りは止めにして、アプリを使いこなす方に専念した。

 1980年代はビジネスパソコン同好会なるユーザグループを組織して、当時出版されていたあちこちのパソコン雑誌(ソフトバンクのOh! 16、電波新聞のOAパソコンなど)に寄稿していた。最盛期には日経パソコンから依頼されて、ユーザによる座談会を企画し、取材して貰ったりもしていた。

 その後、趣味が高じてパソコンソフトの業界団体(社団法人)で働くようになり、いろいろな業界人との交流を持つようになった。5年の勤務のあと、人脈の多さと英語力から外資系ソフト企業に請われて転職、定年まで活動した。




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