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  小さな子供が虐待され死んでいるこの現実   ・・・ (2020/01/01)

私の印象は、

 安直な結婚

 安直な妊娠

 安直な離婚

 安直な同棲

 という流れに填ってしまっているように見受けられる。同棲相手の男性も、最初から相手の女性の子供を殺したいと思った訳ではなさそうで、一緒にいる間に相手の子供を何らかの理由で煩わしい存在と感じるようになるようだ。その背景には、同棲相手の子供に愛を感じていないことからなのだろう。そうした結果、その同棲相手に小さな子供が虐待されて死んで行くように見えている。この流れに何か手は打てないのだろうか、私には分からない。

 そんな時にふと昔知人から聞いた話しを思い出した。彼はデンマークに長く暮らしていた。彼の話によれば、彼の国では福祉政策が行き届いているため、結婚せずに子供を産んでも政府が生活の面倒(資金)をみてくれるので、シングルマザーの母親は子供の面倒に集中出来るよう特に働かなくても暮らせるのだという。更に彼の話に寄れば、彼の知人の女性、父親の違う二人の子供を育てている。政府は子供二人分の養育費を面倒みてくれる。そのお陰で特に仕事をしなくても彼女はそこそこ優雅に暮らせているのだという。

 日本ではこうした制度がないので、シングルマザーが経済的理由もあって一緒に生活をしてくれる男性を求める傾向があるようだ。もしそれが理由で幼児虐待のような状況に陥っているのであれば、自立心のあるシングルマザーには男に頼らずとも生活出来る基盤(子育てに専念出来る状況)を提供してあげたら良いのではないかと思う。どこかの政治家が「子供は国の宝だ」というのであれば、これくらいのことが出来ても良いように思うのだが。
 一般には、こうした話しをすると、それは単なる理想主義だ、お金はイッタイどこから出すのかという意見が出てくる。2020年の日本の予算が102兆6580億円だと聞く。これだけあれば後は配分(優先順位)の問題だけのような気がする。たとえで言えば(極論で恐縮だが)、私は忙しくで○○が出来ないという言い訳する人を私は信じない。忙しいからトイレに行かないの?忙しいから飯は食わないの?つまり優先順位の付け方の問題なのではないかと。予算の問題も同様で、本当に必要なところに適切に配分がされていないかも?配分は、声の大きい人に向けられ、もしくは役所が自分のメリットのためを優先し配分している。社会のコンセンサスが、幼児の虐待しを減らすことにしっかりと目を向け、我々に何が出来るかを真剣に考え、予算配分時の優先順位を見直そうとするなら、まったく無理なアイデアではないと思う。



 次元の違う話だが、幼児虐待死に関連してふと思い出したのがフランシス・コッポラが描いた映画「フランケン・シュタイン」という映画(1994)。この映画の最後にクリーチャー(怪物)が自分の産みの親であるフランケン・シュタイン博士の遺体を氷上で荼毘にふすシーンがある。

 そこでクリーチャー(怪物)が嘆きとともに発する叫びが「愛もないのに何故(私を)生んだ」と嘆く。

 そう、愛がないのなら(子供など)作らないことだ。

 












 



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