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98.藤原和博 著 「坂の上の坂」 ・・・ (2012/01/02)

 この本を知ったのはゴルフ仲間(私より若い人)で、かつてリクルート社に在職していて、3年ほど著者の部下だった人からの推薦があったからでした。彼いわく、藤原和博さんはリクルート時代に出会った最も尊敬する上司だということでした。著者は、東京大学を出て大企業に入るのでもなく、また官僚になるのでもなく、当時はまださほど有名ではなかったリクルート社に入社しています。つまり、ちょっと違ったものの見方が出来る方なのでしょう。 



 
 藤原和博著「坂の上の坂」。こちら正月に読んだ本です。正月ののんびりした気分の中で、実際に読み始めてみると共感する話しも多く、数時間で一気に読み終えてしまいました。明治の人は「坂の上の雲」を目指してがんばってきた。現代の人は寿命が延びたため、坂の上まで来てしまったが、そうしたら雲の中にあったのは更なる坂だった、というお話し。言葉を変えると定年後の30年を生きるための下地を55歳までに作っておくべき、というお話し。

 最初、ネットに紹介されていた文には「55歳までにやっておきたいこと55のこと」とあったので、60歳を過ぎてしまった私が読んでもどうなんだろうかと思いましたが、面白く読みました。今の
私がテーマとしている、定年後の30年をどう生きるのか、に通じるお話がこの本には書かれていました。著者いわく、坂の上の坂に上るには、そのための準備、心構えが必要なはず、ということでした。私も漠然とですがそう思ってきて、自らやれることをやってみようとしているのがこの2年間だったので、とても共感したわけです。以下はこの本の中で、私が共感した部分、また、皆さんにもきっと役に立つはず、と思われる箇所です。


 冒頭の章で紹介されていたのが「人生のエネルギーカーブ」というもの。詳しくはこの本を読んでいただくとして、この話しを読んで、私の存じ上げる方の人生とオーバーラップしたのです。その方は、人生のピークが40歳まえに来ていたようで、昭和35〜40年の当時、大きな庭付きの家に住み外車に乗っていました。その後、事業に失敗し、分野を変えて再起を試みましたが、以前の隆盛ぶりを越えることはなかったようです。その方が亡くなった時、娘さんが遺品の整理を手伝われたそうです。そして、その中に晩年、小企業の経理帳簿付けのお手伝いをした際に提出したと思われる履歴書が出てきたのだとか。人生のピークがあまりに早く来たもので、その後がゆるやかな下降線を辿ったようです。もっとも、晩年の生活はご夫婦でそれなりに静かな生活をされていたようですが。その時思ったのは、人生、あまり若い時に出来上がってしまうのはどうなのだろうか、と。そのまま晩年まで上り坂が続けられれば良いのでしょうが、人生、そう簡単にはいかないような気がします。
 この本の著者も言っていましたが、仕事を「ひと山」越えても、平均余命が伸びた今は、その先の時間がまだまだ長い、慣性だけで余生を生きるのには無理がある、と言っていました。私にもそんな気がしています。


 さて、この本に共感する項目は多数ありましが、そのいくつかをご紹介しましょう。まずは第1章、2の「リスクを小さくする方法は、自ら生み出せばいい」、について。先に紹介した「人生のエネルギーカーブ」についてですが、大きな成長を得たいと思ったら、凹みを恐れずに、更には自らがその時持っていたものを捨てる必要があると。それがお陰で成長できたという。つまり、俗に言う「スクラップ・アンド・ビルド」もしくは「創造的破壊」とでも言うのだろうか、そうしたことを自らが行ってきたお陰だという。その結果、彼は40歳を前にリクルート社の出世頭だったそうだ。

 そんな彼に大きな変化が起きた。彼個人はメニエル病(ストレスから耳の中にある三半規管に支障が来て、船酔い状態が続く)になったこと。また時期を同じくして会社そのものも「リクルート事件」として世の中の注目を浴びることになったことでした。それまで、ひたすら坂の上の雲を目指していた彼が、自分の考えてきたこと、自分がやってきたことは本当に正しかったのだろうかと疑問に思い始め、それが人生の大きな転換期になったようで、またこの本の執筆構想が浮かんだのではなかったかと思います。


 さて、さて、ここで再びこの本に戻ってみましょう。以下は私が気になった部分の紹介です。「正解のない時代には、何が求められてくるのか。私にはひとつの”答え”があります。それは、正解が自分の中で出来るまで動かないのではなく、まずは一歩、踏み出してみることです」。同感です。かつて私に来てくれないかと誘ってくれた外資系の社長が、入社が決まってから私に言った言葉が「(誘った私が言うのもなんですが)私の説明だけで、良く踏み込めましたね」と。その時私が言ったのは、チャンスが与えられ、もし先が見通せないのであればなおの事、「ならば進んでみましょう」、と思うのが私なのですと返事した記憶があるからです。

 同様に、定年までの15年ほど、外資系企業ばかりを請われて複数転職しましたが、その際に得た経験則と合致する言葉がこの本にはいくつかありました。例えば、第4章の18、「組織に棚卸しされる前に、自分の棚卸を」、はその1つ。というのも、転職するたびに、相手企業から、ある種、値踏みをされる訳です。その際には、相手から値踏みされる前に、まず己自身が、自分の売りとそうでない部分との分類が出来てないといけないだろうと思います。特に第4章、24にある、「外国人にも理解できるよう、履歴書を書いてみる」、はその通りだと思います。著者がヨーロッパに赴任にした際に現地で経験したことの1つだそうですが、「履歴書は『結局あなたは何が出来る人なんですか?』という問いに答えられるものでなければならない」は、その通りだと思いました。

 このお話しに関連する例をご紹介しましょう。ある時このホームページにメールをくださった方がおっしゃった言葉が印象的でした。いわく「私は(現役時代)部長を10年やってきました」。お気づきかと思いますが、部長というのはタイトルであって、彼がやってきた仕事そのものを表すものではないこと。この場合、例えば品質管理の部長を10年務めてきました、といったことであれば、まだ話しは分かるのですが。もっとも私自身も、大学を出てそのまま1つの企業にずっといたら、自分自身の棚卸しをするなどということは考えもしなかっただろうし、先の言葉を聞いても不思議とは思わなかったかもしれませんね。


 著者の家族一緒の海外での生活は、とても大事なことを気づかさせることに大いに役立ったようです。第4章23の、「生きた証は会社ではなく、家族に記憶される」、もとても共感するお話しでした。「会社というのは、役割と機能を編集する装置であって、人間の歴史を記憶したりする装置ではない」では、自分の人生を記憶してくれる装置は、家族を含めたコミュニティにあるのだと言うのです。

 私の場合で言えばこんなことが記憶に残っています。米国留学から帰って1年ほどで結婚したのですが、当時経営コンサルタントとして活躍していた大学時代の恩師の家を一緒に訪問した時のことでした。帰り道、やや自慢気味に恩師の活躍を家内に紹介したつもりだったのが、彼女の受け取り方は全く違っていました。彼女いわく、「あの先生はとても活躍されていて立派な方だと思います。ただ、私はあなたに、ああなって欲しいとは思えないのです。勿論、あなたがああ成りたいと思うのであれば、がんばってみれば良いとは思うのですが、私にとって大事なことは、家族が楽しく時間を共有できることです」と。家内のこの言葉が私の人生の羅針盤であり、いつも戻る場所、暖かい家庭があったことは、彼女のお陰だと思っています。

 元旦に届いた日経新聞に、藤原和博氏の「坂の上の坂」が紹介されていました。氏のこの本が、これから定年を迎えようという世代の人に、気づきを起こさせてくれるとすれば、その時(定年後)になって行くべき方向で迷わなくて済むかもしれませんね。
 


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