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86.超長寿命社会に生きる ・・・ (2011/09/13)


9月13日の日経新聞を読まれましたか?興味ある記事が3つありました。

1つ目は、13日の日経新聞夕刊にあった記事で、「今年度中に100歳になる高齢者が9月1日現在で2万5千人に上るのだとか。しかも、この数字は15年連続して増加している」のだそうです。

2つ目も、同日の別ページにあった記事ですが、こちらも関連したお話しで、「100歳の大台に達する人が2ケタの勢いで増えている今日、超長寿はあながち他人の話しではなくなっている。戦後、栄養状態や衛生環境が格段に改善し、医療技術の革新、機械化による労働負担の軽減も進んだことから、比類のない超長寿を手に入れた。しかし、老後の生活設計を描ききれず、不安を強めている人は少なくない」、だそうです。

以前から思っていたのですが、老後のお金の問題を一番難しくするのが、この余命の問題だと思っていました。定年時の資産を、いったい何年で使えば良いのかが計画出来ないのです。なぜなら、自分の人生がいつまで続くのかは、まさに神のみぞ知ることだからです。それでも、まあ平均寿命からすれば85歳あたりと想定しておけば良いのだろうと、私も漠然とですが思っていました。それがです、もしこの記事の内容が事実とすれば、以前の予想に反し、もっと長生きすることを想定しておかなくてはならなくなりそうなのです。

別なコラムにも、そのことが書いてあり「公的年金などの不安材料が多い」とありました。ファイナンシャルプランナーの方のお話しにも「100歳まで生きるとしたら、現役時代の貯蓄で余生を過ごすという発想は適用しない。退職後も健康なうちは働き、生き直すという覚悟が必要になる」のだそうです。

手元資金+年金だけで無事一生を過ごすことが出来たなら、単純にラッキーだと思えば良いことであって、そうならない場合の為の心積もりだけはしておいたほうが良いようです。年金制度は、”無い袖は降れない”とばかりに減額される可能性が大な訳です。私の友人が良く使うフレーズですが、「生殺与奪」の権利を他人に預けるな、だそうですから、やはり頼るべきは己自身に、ということなのでしょう。


さて、3つ目ですが、シニアの人が当てにしている年金について、9月13日の朝刊にそれについての記事がありました。厚生労働省は、@定年を60歳から65歳に引き上げる Aそれが無理な場合は希望者全員の継続雇用を義務付ける、という提案を企業に対してしている。それが必ずしも政府の予定通りには進んでおらず、並行して支給開始年齢が上がってきているのが実情です。具体的には、2001年度から順次、支給開始年齢が上がっていて、今は支給開始年齢は60歳だが、男性の場合は13年度から3年ごとに1歳づつ引き上げられる。このことだけでも、定年後の生活費に支障が出るケースが予想されている。(詳しくは日経新聞9月13日、をお読みください)

企業側も、労働力人口が減る中で、定年後の高齢者の活用拡大に反対しているわけではないが、ただ、義務を強めればコストの増加につながり、また若年の雇用を増やせなくなる恐れがあるのを心配しているのだ。

年金制度は、人口ピラミッドの構造が、日本のようにどんぐり型に変形してしまっている国にとっては、支払い原資が減ってくる訳だから、いやおうなしに減らさざるを得ないことは、想像に難くない。つまり、老後は年金で安泰、と思っていると、気がついたら、入ってくるはずの年金が入ってこない。調べてみたら、支給開始年齢が引き上げられていた、いつの間にか減額されていた、などということも起こってくるはず。

やはり前述の、ファイナンシャルプランナーの方のお話しのように、100歳までは生きないとしても、現役時代の貯蓄で余生を過ごすという発想はかなり難しくなりつつあるようだ。その為にも、退職後も健康なうちは働き、生き直すという覚悟が必要ということですね。



思い出すのは、曽野綾子さんの著書、「老いの才覚」
第3章 人間は死ぬまで働かなくてはいけない、だった。

以下に目次を紹介しておきます。

・ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった

・老人になったら、若い人の出る幕を作ってあげるべき

・老人が健康に暮らす秘訣は、目的・目標を持つこと

・「何をしてもらうか」ではなく、「何が出来るか」を考える

・料理、掃除、洗濯、日常生活の営みを人任せにしない

・受けるより、与える側に立つと幸せになる

        曽野綾子/著  「老いの才覚」  ベスト新書  800円



 


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