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427. 仕事で行き詰まった時に読む本、「孫正義 300年王国への野望」  ・・・ (2024/04/21) 

 1990年までの私は大学に(事務職として)勤めながら、ソフトウェアの評価記事を書いて、趣味(副業?)としてパソコン雑誌に投稿していた。


 当時はNECのPC98シリーズがメジャーでダントツ市場トップシェアだった。そこにAXパソコン(PC/AT互換機に日本語処理機能をハードウェア面で追加した仕様)が登場した。これは世界の標準となっていたIBM PCの流れを日本に引っ張ってきて、NECPC98の牙城を崩そうというものだった。

 私は当時パソコンマニアだったので、当時パソコン雑誌を「7誌」も定期購読していたが、この流れが見えていなかった。そりゃそうだ、NECに知られないよう密かに業界内で検討されてきていたので、社会に向けて発表されるまで一般の人には知り得なかったのだ。PCマニアだった私にとっては、それが悔しくてしかたなかった。

 そんな時に友人が新聞の求人広告を見せてくれた。それによればPCソフトの業界団体が「職員」を募集しているというものだった。
 業界にいさえすれば、社会に発表する前の情報も捕まえられるのではないかと思ったのがきっかけだった。それが教育業界(大学)からパソコン業界への転職を決断させた背景だった。(募集は40歳まで、とあったが当時私は既に41歳。しかし、電話した上で訪問し、面談を受けると、その場で採用が決まった。そりゃそうだ、私よりパソコン業界のことを知っている人なんて、そうそういないという自負があった私だから)


 孫さんが、ソフトバンクを始めた当初の業務は、書籍の日販、東販のように、パッケージソフトウェアの取次事業だった。        


 その関連で(業界をまとめようと)作った社団法人が「日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会」だった。孫さんが恩人としてリストしている人の中に私の上司だった人がいた。

 そうしたこともあり、近くでお会いすることもあった。一度などは、小型コンピュータ健保(日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会が設立推進母体だった)の箱根の保養所に業界の大物が集まって懇親を深める場がもようされたが私も事務方としてそれに参加した。宴会の際、向かい合わせの席、真向かいがアスキーの西社長だった。また温泉に浸かっていた時に目の前にいたのは孫さんだった。

 そんなこんなで、孫さんが、ソフトバンクが、どんな事業を展開してきたかを、ある部分はリアルに感じていた。(ある部分というのは、私がその後業界団体は卒業してイスラエル系の特種ソフトの会社に転職したからだ)



 業界団体から外資系PCソフトの世界に転職しても、個人として、ユーザとして、ヤフーの事業には接していた。たとえばヤフーBBとしてADSLを始めた時も私も一早くユーザになり、その速度のメリットを享受した。

 それまでのダイヤルアップ接続(電話回線を使って接続点まで繋ぐ方式)だったものが、わざわざ電話などしなくても、常に(常時接続)インターネットに繋ぎっぱなしになったのは、大きな技術革命の転換点だった。

 当時、楽天の出展者向け説明会に冷やかし半分で参加してみた際に、面白い話しを聞くことが出来た。それは、ヤフーが常時接続(定額でインターネットに繋ぎっぱなし)出来るようになったので、楽天での売上が大きく上昇したというのが。なるほど、それまでは電話料金を払い、ISP(インターネット・サービス・プロバイダー)に繋いでいたものが、ADSL常時接続(接続料が定額)になった。そのお陰で電話料金(接続時間を)気にすることなく買い物に集中することが出来るようになったのだ。



 今回、この本を読んで見て分かったのは、当時まだ本格的なADSL接続などどこの会社もやったことがなかった。この分野で、先頭を切ってソフトバンクが事業展開した訳だから、ソフトバンクの社員ですら、十分そのこのが分かっていなかったのだ。混乱の中で、社員の教育しながらの営業活動。さらに大変だったのが、NTTがまったく協力的ではなかったのだ。というのもADSL回線をユーザに提供するには、NTTの局内にそれなりの器材を置かせて貰う必要があったからだ。

 こんな具合にヤフーBB(ADSL)事業を始めた時のソフトバンク社内も大混乱だった訳だ。その後ソフトバンクが英ボーダホンを買収して、NTTDoCoMoを向こうに事業展開をする時もソフトバンク社内は、またもや大混乱だったようだ。さらに携帯電話に参入することで、累積赤字が積み上がっていき、当時の新聞などでは、ソフトバンクは倒産するのではないかと噂されたほどだった。(孫さんが、スティーブ・ジョブスと懇意にしていたお陰で、IPhoneを日本で独占販売することに成功し、いっきに赤字は挽回された)

 この本を読んでいると、何か新しい事業を始めるたびに大混乱、大赤字を繰り返してきたことが分かる。あらためて、孫さんという人が、めげない人だということが分かる。



 彼が諦めない性格だということのエピソードの1つとして彼の帰化時の逸話がある。彼が、帰化を希望した際、役所が「孫という名前の日本人はいないので、あらたに日本人名を考えるように」と伝えた。これに対して孫さんは、留学当時知り合った日本人女性と結婚し、彼女に「孫」を名乗らせた。そして、再度役所に行き、「私の家内は日本人ですが、名字は”孫”です。日本人に孫という名字の人間がいるのですから、私にも”孫”という名前のままで帰化させてください」と。結果、彼は”孫”という名前のままで日本に帰化することに成功した。

 現在の至るまでの孫さん(ソフトバンク)のビジネスは、困難にあっても、ではどうやったらこの困難を越えて行けるのかを自分にも、また部下にも課題として課した。最終的に彼が目指すのは、ソフトバンクという会社を300年続く会社にしたい、ということだった。



 話しは変わるが。私が住んでいる地区を犬を連れて散歩していくと、住宅街の中に白い大きな建物 (ちょっと見にはマンションのようだ)出くわす。ここは、かつては料亭(般若苑)があった場所。常にガードマンが警備している。聞いているところでは、孫さんがアメリカに行くと友人が彼を自宅に招いてくれるのと同様、彼は日本へ来る友人達を、ここを自宅として招きたいと思ったようだ。地下にはプールがあり、ビリヤード台もあると聞く。
 この本の作者も、このゲストハウスに招待され、そこで孫さんから坂本龍馬直筆の手紙(原本は大事に保管し、見これはレプリカだそうだが)を見せて貰ったという。



 今回この本を紹介する理由は、小なりと言えど自分で事業をやっていると、困難はつぎつぎ出てくるはず。そんな時、この本を読んだことがあれば、「ああ、自分の今の困難は、孫さんが彼の人生・事業において直面した困難の数々から比べれば、どうということがないな〜」と思えるはず。事業を始めるまえに、一度は読んでおかれると良いでしょう。



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