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402.定年起業を考えている人たちへ(PartII) ・・・ (2023/07/16)  

 その昔(私が30代の頃)、上司であった大学教授の藤牧新平先生からこんなお話しを聞いた。

 イエス・キリストが偉大だったことの1つは、情熱が枯れなかったこと、だと。当時はインターネットは、勿論、テレビもラジオも無かった時代。どうやってキリスト教を布教したのか。ひとえに、ひたすら村々を回って布教活動を続けることだったはず。もしそれが凡人であれば、同じ話しを繰り返し、繰り返ししている間に飽きてくるはず、と。しかしイエス・キリストの場合は、キリスト教のすばらしさを繰り返し説明していると、むしろ情熱が高まっていったのではないか、と。

 別にここで宗教学について論じたいわけではなく、偉大な人と凡人との違いの一例をお話ししたいだけ。つまり、情熱を維持していける人だけが偉大な人になりうる。言葉を変えると、それらの人が偉大であるが所以が、ここにあるようだ。

 前回ご説明したように、伊能忠敬は十七歳の時、今の千葉県・佐原で米の売買や酒作などを営む大きな商家に「婿入り」しました。頭の良い人だったようで、商売は順調に伸びていったようです。彼は家業の合間に天文暦学の勉強を続け、四十九歳で隠居してから江戸に出て本格的に勉強を始めます。
 そして五十五歳から10回にわけて全国測量を行いました。その間に歩いた距離は約35,000Km、地球一周分相当だったようです。測量の成果は「大日本沿海輿地全図」として結実しますが、それは七十三歳で忠孝が亡くなった三年後のことで、弟子たちによるものでした。

 つまり、若い時は、婿養子先のお店を盛り立てるという使命を優先し、ひたすら家のために働いた。それが全う出来た四十九歳でやっと隠居出来た。伊能忠敬にとっては、ここからが本来の自分がやりたかったことが出来る時間だった訳だ。江戸に出て本格的に勉強をはじめ、さらに五十五歳から10回にわけて全国測量を行い、その成果として「大日本沿海輿地全図」が完成した。





 皆さん、ずっと俸給生活を続けてきた。定年(60歳、65歳?)になって、それで双六の終わりとしますか?

 こちらは私が定年時に読んだ本、「定年後の8万時間に挑む (文春新書)」だ。2008年に書かれた本だが、それから15年たった今であれば、さらに寿命が伸び、定年後の時間は10万時間と言われるのかもしれませんね。

 定年までの時間は、人生の前半戦が終わっただけ。つまりゴルフで言えば1ラウンドの半分、9ホールを終えただけ、とも言えます。残りのハーフ(9ホール)をどうラウンドしますか?


 そう言われても、とおっしゃる定年間際の方も多いでしょう。あまりに長い時間の俸給生活を続けて来たので、自分の今後を自分で考えることが出来ない人が多いことでしょう。

 しかしこう考えてみてください。あなたは未来を予測出来ますか?あなたの目の前には白いキャンバスが置かれているのです。そのキャンバスに自由に絵を描くことが出来る可能性が与えられているのです。無駄にするのは、あまりに勿体ないですよね。

 家族のために十分働いて来たのですから、今後は”自分のために”何かをしましょう。もしあなたが、住宅ローンの支払いを終え、子供達が皆、成長して自分で生活出来るようになっているのなら、あとはあなたの奥さんの同意を得るだけ。好きなことをしてください。
 ここでやることが仕事だとしても、基本、損をしなければ良いのです。かなり気楽なビジネスが出来ますよね。



 今、私は73歳半になりました。今の課題は、情熱の維持です。先日、たまたまメールでやりとりをさせていただいた林さん。私と同世代なのに、私の定年直後のように、多くの車輌を仕入れ、それを輸出しているのです。当時の自分を振り返ってみて、創業当時と同じ仕事量がこなせるだろうかと自問自答すると、自信ある回答が自分の中から出て来ません。私も年を取ったのだと思います。

 先にご紹介した「加藤仁さん」の著書の中に、前作の本の中で紹介した人たちを、その後の著書の中で紹介したいと尋ねて歩いたそうです。しかし、その多くの人が、すでにお仕事を辞められていたのだとか。そうなんです、定年起業の場合、寿命がだいたい10年程度のようです。
 単に情熱だけの問題ではなく、体力的にも落ちて来ているでしょう。そこをどうしていくのか、それが私の今の課題です。





 8月中旬に、かつて留学していたことのある東部(Providence)に行くことにしました。そこには、留学時同級生だった人が、暮らしているのです。最近の彼からの話によれば、一般的には年を取ると小振りの家の引っ越すのだそうですが、彼ら夫婦は大きな家に引っ越したのだそうです。

 実は奥さんは熱心なキリスト教徒で、日本・東北の震災時にいち早く私に連絡をくれて「我々の家に避難してきてもいいですよ。当分、あなたがた家族が暮らすだけのスペースがありますから」と言ってくれた。幸い、東京では、暮らしそのものが成り立たないほどのダメージはなく、そのまま暮らすことが出来ましたので、ご好意だけ有り難くお受けし、アメリカに避難はしませんでした。

 こんなご夫婦のところへ10日間ほど滞在します。私にとっては、良い静養になるとともに、これからの10年をどう過ごすのかの良いヒントが得られる旅になると期待しています。






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