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388. 定年後起業、私の場合 (Part I) ・・・ (2023/02/05)   


 久しぶりに東京しごとセンターへ行き、相談員の城戸先生とお会いしてきました。城戸先生とは2010年に私が定年後起業するに際しての相談に伺って以来のお付き合いです。今回の訪問で、私が「自分の役割は、私同様に定年前後に起業したい人にヒントを提供する事」とお話ししました。

 城戸先生によれば、定年前後のご相談も多数あるのだとのこと。過去いくつかあった例では、情報産業でお仕事をしてきた方々だそうでした。城戸先生としては、「長年培ったコンピュータシステム構築の延長線上で何かやられては?」とお話ししてみると、「システム構築は、根をつめてやる仕事で、若い時からすると、年齢を重ねるごとに効率が落ちてくるので、過去の延長線上で事業をやれるとは思っていません」と言われたとのことでした。

 そこで城戸先生から、「松本さんの場合はどうやって起業に結び付けたのですか?」と。そこで以下のようなお話をさせて貰いました。

 意外と思われるかもしれませんが、実は私は定年時には自分で起業することなど考えてもいなかった、とお話ししました。定年後、まずは最寄りのハローワークに「失業保険」の申請も兼ねて通って(何度か転職してきましたが、いつも次が決まってからの転職だったもので、失業保険は貰ったことがなかったもので)、そこでしかるべき働き先も紹介して貰うつもりでした。 



 あらためて私が起業するに至った過程をお話しさせて貰いました。まず、定年後、アフリカ・ガーナに旅行することが無かったら起業はしなかったであろうとお話しをしました。

 30年以上も前(1976年)にアメリカの大学に留学した際、親しくなった同級生の一人がガーナ人だったのです。彼は、私が日本に帰国したあともアメリカに滞在し、その後結婚し、家庭を持ち、市民権も得ていました。そんな彼と細く、長く、手紙のやりとりをしてきていました。(当時はまだインターネットは無かった)

 2010年、私が定年になった際に(彼と出会って34年たっていた)、彼はガーナに戻っていました。それまでの私は欧州などの多くの国に個人旅行をした経験を持っていたのですが、アフリカ大陸には足を踏み入れたことがありませんでした。そこで彼に「あなたを訪ねてガーナに行ってもいい?」と訪ね、生まれて初めてアフリカの大地を踏んだ訳です。


 このストーリーから2つの要因があることがお分かりになるかと思います。

 まず、若い時代に「アメリカ留学を経験していたこと」です。単身で異国に渡り、まだ英語も十分でなかった中での留学生活は大変でした。持ち前の「人間好き」が幸いして親しい友達も出来ました。そんな生活をしてきた中で私の中に醸し出された「考え方」は、「自分の人生は、自分自身で作るもの」ということでした。これをアメリカ人に話すと「何をあたりまえのことを」と言われました。しかし、日本人に同じことを話すと「変わったヤツ」と笑われました。

 まあ、とにもかくにも私のこうした考え方が、そこから35年ほどした定年時にも生きていたということかと思います。当初は、あわよくばハローワークで紹介して貰った先に雇って貰えればと考えていましたが、幸か不幸か(笑い)60歳になった私を雇ってくれるところはありませんでした。


ここでの重要なポイント!

1.60歳定年を、「人生双六(すごろく)の終着点」とは考えていなかった私としては、仕事を続けていくための残る選択肢として、自分で何かをやるしかなかったということです。

2.では何をやるか?ここは机の前に座って考えただけではアイデアは浮かんでこなかったと思っています。私が「創業寺子屋塾 」で事例を話しする際に皆さんにお伝えするのは「迷うより、悩むより、まずは行動して」です。


 具体的には、私が起こした「行動」は「アフリカ旅行」だった訳です。アメリカ留学を経験している私にとって、個人で海外に行くことに抵抗感は無いのですが、黄熱病の予防接種が必要だったりと、アフリカはちょっと勝手の違う世界でした。(週末ハワイにゴルフをしに行くといった軽いノリでは行けないのがアフリカ)

 初めてのアフリカ旅行は衝撃的な現実でした。まるでタイムスリップして、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代に戻ったような感じでした。しかも、そこは東京ではなく、アフリカのガーナだったのですから。

 この時、現地に親しい友人がいるのか、いないのかも、その後の方向決めには大きな役にたちました。友人が現地にいたことで、現地にいた10日間の密度がとても高いものになったということです。

※私のガーナ旅行記については「こちら」をご覧ください。


 さて、日本から中古車の輸出をしてみようかと思いついたのは、ガーナ滞在中に日本製トラックを見たことがきっかけでした。


 帰国して、どうやったら個人で中古車輸出の仕事がスタート出来るのか調べました。そこで候補になったのが当時ソフトバンク系の会社の1つでカービュー社がありました(現在は事業そのものから撤退し、他社に売却している)。この会社がTradecarviewという輸出ECサイトを運営していました。

 当時、この会社の宣伝文句を見ても、どこかしっくりこなかったですね。「30代若造社員が説明するように上手く行くとはとても思えない」というのが私の正直な感想でした。そこで、中古車輸出にまつわる周辺の情報を独自に収集すると共に、カービュー社が主催する説明会には納得がいくまでに3回も参加しました。

 その間、東京都中小企業振興公社が主催する貿易関連のセミナー(貿易というものの基礎知識を得るため)や、ビジネス英語の講座などに参加するなど、思いつく範囲で「中古車輸出を始めるにあたっての勉強」をして過ごしました。

 最終的に中古車輸出をやってみようと決心出来たのは、カービュー社主催の3回目の説明会でオクタゴンの北野さんという加盟店さんが「自分はこんな風にして事業をスタートしました」という話をしてくれたことからでした(この方、現在は、中古車輸出の世界からは足を洗っている)。


 まあ、成功事例の陰に、多くの失敗事例もあるだろうということは分かっていますが、とにもかくにも、主催社の宣伝文句ではなく、実際に自分で中古車輸出をしている人のお話しは大変参考になりました。

 こんな具合に調査、準備に半年かけ、その年(2010年)の9月からTradecarviewに掲載しての中古車販売、輸出を始めました。当時はまだ中古車輸出事業者も、大小あわせ群雄割拠の時代で、現地アフリカのニーズにフィットした車を仕入れて掲載することが出来れば中小零細事業者でも、そこそこ中古車を売ることが出来た時代でした。

 結果、9月にビジネスをスタートして、最初の一台が売れたのが、中古車を掲載して1月たった時点でした。

 とにもかくにも、こうして私の中古車輸出ビジネスがスタートした訳です。


(注)Logan Motor Tradingという屋号のローガンは、当時すでに老眼になっていたことから付けたものです。



PS
Q:失敗したらどうしよう?という心配はなかったの?

A:スタートする時点で、このビジネスに幾らまで投資可能か決めておきました。いわば、ラスベガスに行ってギャンブルをする際に、手持ちの資金を決め、この額までギャンブルをしてみて、それでダメだったら終わりにしよう、と決めておくようなことです。(あくまで”生活資金とは別に”事業開始に必要と思われる資金額を用意しなくてはいけません)


Q:どれくらいの資金があれば起業出来るものなの?

A:事業の種類に寄ってまったく違ってくるかと思います。もしラーメン屋さんを一から立ち上げるなら、もしかしたら1000万円くらいの資金が必要なのかもしれませんね。私の場合は、中古車輸出事業を始める際に想定したのは300万円程度かな?と考えました。実際には、100万円程度でスタート出来、その内の半分近くは、ガーナへの旅行費用。残り半分が中古車の買付費用でした。ただし、買付費用は、中古車を販売することで回収出来ています。


Q:IT分野で仕事をしてきた人間が、まったく異分野の自動車関連の仕事をすることに不安はなかったの?

A:不安はなかったですが、仕事をスタートしてみて自分が車のことを何も知らないことに呆れました(笑)。例えば、当時アフリカ向けで売れ筋車両だった、トヨタ・ラウムや、トヨタ・イプサムなどの車種名すら知らなかったのですから。

 多分、私の性格として、新しいこと、知らない世界のことを1つ1つ勉強していくことも好きだったのが幸いしたのかと思います。


Q:一番大変だったのは何でしたか?

A:意外と思われるかもしれませんが、経理でした。(スタート時にはどれだけ利益が出るのは分からなかったので、税理士さんには頼まず自分でやることにしました)

 中古車輸出にまつわることは、好きな分野のことゆえ、苦にならなかったのですが、経理(仕訳)を勉強するのは大変でした。当時購入した青色申告会計ソフト関連の事業者が、実機(パソコン)を使った講習会を開催すると聞き、私もそこに申し込みしました。おかげで基本的な「操作」はその講座で学ぶことができました。

 私がやった経理処理の難しさの原因は、この仕事は貿易ですので「外貨(USドル)」を扱うこと、また消費税還付を得るために零細事業者でありながら「消費税の申告事業者」に自ら希望してなったため、余計に経理処理が複雑になっていたのです。

 ある年の春、確定申告相談会に参加した際、税理士さんに言われたのは、「こんな複雑な経理処理、青色申告事業者がやるレベルを超えている」と。いわく、その税理士さんが私の事業の「記帳代行」をやるなら「最低料金では受けたくないほど複雑」、と笑いながらおっしゃっていました。

 

<最後に>
 定年後起業を、生活のために(食って行くため)、と考えるとかなり難易度が上がるかと思います。私の場合は、とりあえずはゴルフ代が捻出出来ればいいかなと、いわば昨今流行の「副業レベル」を考えていましたので楽でした。

 起業に際して一番最適なアドバイスをしてくれたのは、大学時代の同級生からのものでした。中小企業の経営者でもあったM君からのアドバイスは、「人は雇うな」、「オフィスは借りるな」、でした。

 事業を行うにあたって経営者が神経を使うのは、雇っている「人」の問題と、「お金」(資金繰りと税金)の問題だそうです。そこで友人のアドバイスの「人は雇うな」、「オフィスは借りるな」は、事業をやる上で無理をしないで済んだ、とても重要なポイントだったと思っています。皆さんも、定年時の起業でこのポイントを守っていさえすれば、起業の難易度は下がり、少しは楽しむゆとりが持てるのではないでしょうか。



※ 創業のご相談は、東京しごとセンター相談員の城戸先生にされるのがベストですが、(50歳以上の方からの)本文の内容についてであればご質問、歓迎します。 → car4u@logan.jp


 


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