356. 意志を持つこと ・・・ (2021/12/19)
私が大学生の時、高校時代の同級生の勧めで、教会を教室にした英語学校に入った。教師はすべてアメリカにある教会本部から派遣されてきていて、とても熱心に教えてくれた。恐らくは彼ら、彼女らは、皆、日本に布教を兼ねて来ていたのだろう。
冬になって、この学校の生徒さんを集めてのスキーツアーが企画された。確か場所は「栗子国際スキー場」だったかと思う。夜、牧師と二人で話をする機会があったので、ある質問をしてみた。
私:「神様は全知全能なのでしょ?」
牧師:「そうです」
私:「もしそうであれば、アダムとイブがエデンの園で林檎を食べようとした時になぜ止めなかったのですか?神は気が付いていながら、林檎を食べてしまったアダムとイブを叱責するのはおかしくないですか?」
一瞬、間があってのち
牧師:「神様は、動物と人間とを作り分けたのです。動物は自然の摂理にのっとり1年間の四季の中を本能で生きています。しかし神は”人間には意志”をお与えになったのです。ゆえに人間だけは自然の移り変わりに左右されず、自由に行動が出来るのです。そんな人間が神のご意志に反して食べてはいけないと言いつけてあったエデンの園の林檎を食べてしまったがゆえに(アダムとイブは)エデンの園から追い出されたのです。」
私:「ということは、動物と人間の違いは”己の意志を持つかどうか”ですか?」
牧師:「そう言えると思います」
写真は開高健記念会Facebookより こんなCMでした。 Youtubeより |
このところ思うことがある。東京しごとセンターからのご依頼を受けて「創業寺子屋塾」にて「創業事例」をお話しさせて貰った時のことを。確か7回か8回やらせて貰ったかと思う。その中で後半の1,2回、受講生の皆さんと後日の飲み会に参加させて貰った。
その後受講生の皆さんと交流を続けている訳ではないので分からないが、私の耳には「創業しました」という声は届いて来ていない。述べにして軽く100人は超えているかと思うが、彼ら彼女らの中で何人位が起業しているのだろうか?
たまたまFacebookを通じて連絡の取りようがあった人がいたので、それとなく聞いてみた。それによれば、「あれは無料の講座ですので、まずは受講してみて、何か起業の糸口でも得られればと参加しているのであって、はなから起業を前提にして参加している人はあまり多くないような気がします」と。
この言葉から推測し「私は、これをもって起業するのだ」と決めてから受講した人は起業出来ているのだろう。反対に、「起業するかどうかは決めていないが、まずは受講してみて考えよう」という人に起業した人はいないだろうと。ここで1つお断りしておきますた、けっして「起業」することがエライとか言っている訳ではありません、念のため。
私が自分の「意志」というものを大事に考えるようになったきっかけはアメリカ留学だった。当時はまだ日常会話もままならない程度の英語レベルで留学してしまったのだからさあ大変。そんな中でも「自分はここアメリカで勉強がしたいのだ」と”意志を示す”と、誰かが助けてくれた。前述のキリスト教の牧師の言葉ではないが起業に限らず「己の意志」がはっきりしているかどうかは人生の中で大事なことなのだという気がする。
チャップリンの映画の言葉がよく紹介される。いわく、人生にとって大事なものは3つ、「希望」と「勇気」と「いくばくかのお金」だと。苦労人だけに言うことは説得力がある。私もそう思う。