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355.  「定年ひとり起業」 大杉 潤 著 (Part II) ・・・ (2021/12/12)

  今回は、前回に引き続き、大杉 潤氏の書かれた「定年ひとり起業(2021/03、自由国民社より発売 \1,650) 」について更に詳しく解説してみたいと思います。



「定年ひとり起業の5原則」 ・・・ 私の場合とを比較して

第1原則.50代、60代のタイミング」ですが、このタイミングだと会社の中で自分の将来性がほぼ見えてきます。

(筆者解説)とくに大企業に勤務している人は50代になったら早く発想の転換をして後半の人生の戦略を練った方がいいというのが私の考えです。

(私の場合)もとより私は大企業の中での処世術など興味がなく、むしろ自由裁量の巾が大きい小規模の会社を好んで転職してきました。自分と仕事を変えることで成長を得てきたタイプで、一般の方では50歳を過ぎてからの転職というのはかなり難しいでしょうが、私の場合は年齢を経て転職が加速してきた感があり、50歳からだけで3回転職(4社経験)しています。
 これらすべては相手企業のトップからの要請を得ての転職なのですが、一度などは、私を誘った会社社長から、「こんな先の見えていない中で良く決断してきてくれましたね」となんとも無責任な言葉があり、「誘った側の人がそれを言いますか?」と二人で大笑いしまいた。
 私は、これからやろうとしていることがまだ経験したことのない領域であり、またそれがやってみたいと思えるものでありさえすればそれで十分だったのです。(幸い、年俸は順次上がっていきました)
 こんな具合にちょっと特殊な私から見ると、本人が望もうが、望まなかろうが、会社の規定に定年があるのであれば、反対に、定年までの時間を大切にし、充実させて過ごされた方が良いような気がします。定年後のことは、まずは定年してからでないと動きが取れないでしょうから。


第2原則
.「ひとりで事業を行う」こともとても大切です。

(筆者解説)会社員が独立する場合は誰でも不安で、しかも孤独なので共同事業として何人かのパートナーと組んで共同で会社を設立することが良くあります。でも私はお薦めしません。圧倒的にもめるケースの方が多いので。

(私の場合)この著者は自身が見た経験から誰かをあてにする事業はダメと判断したのでしょう。私にはそうした経験はありませんが、せめて定年後くらいは、誰かを頼るのではなく、自分を鍛える意味でも一人でやるのが良いと考えます。つまり視点は違いますが、同意見です。


第3原則 とにかくリスクを取らないことです。

(筆者解説)退職金という、まとまった資金を投資してフランチャイズ・ビジネスをしたり、飲食店を経営したりするケースを良く効きます。「武士の商法」ならぬ「会社員の商法」、そんなに甘くはいかない、ということです。
 初期投資を極力抑え、ランニングコストもできるだけかからないようにすることが長く続ける秘訣です。(具体的には)オフィスは自宅、人は儲かるまで雇わない方が良いでしょう。

(私の場合)私は介護老人(母)を抱えていたこともありますが、オフィスは自宅とし、人も雇いませんでした。こうした行動は、会社経営者で学生時代の友人からも、「自分の自由にビジネスをしたいのであれば人は雇わず、オフィスは借りず、でやると良い」、とアドバイスされていました。IT業界のグローバルな企業でも働いてきたことがあったので、規模の大小などはまったく気になりませんでした。むしろ、小なりと言えど、自分が経営者という大きな存在になれたことの方が意味は大きかったのです。


第4原則 目指す収入を月5〜10万円程度にして小さくスタートすること。

(筆者解説)肩に力を入れず、好きなことを仕事にして楽しみながら働き、小さな収入でも安定して獲得し続けることが大事なのです。

(私の場合)外資系IT企業にいた私が、門外漢の中古車を、それも輸出というこれまた未知の仕事を始めたもので大変でした。やってみるまで分からなかったこと。

@ 限られた資金を大事に使わなければならない私の場合、仕入れる中古車は10万円以下のものが多かったです。(一般の方からすると、そもそも10万円以下の中古車なんて動くの?と思うかもしれませんが、発展途上国は10万Kmを越えた車がガンガン走っています)

A そのレベルの車ですから、輸出してみても、利益は1台につき1〜2万円程度でした。

B これまたやってみて分かったことは、事務処理能力からみて、一人で扱える台数は月に20台くらいが限界だろうと思います(私の場合は、月最大販売数は10台程度でした)。いかがですか、月に得られる売上、利益のMAXが見えて来たのではありませんか?

C これがやってみて始めて知ることが出来た最大のことなのですが、中古車輸出をしてみると、いろいろな還付が得られたのです。最大のものは、消費税でした。いろいろ税務署での事前手続きが必要でしたが、海外取引で一定の条件が満たせば、輸出するために仕入れた中古車の消費税は後日還付されたのです。(1度などは550万円もするニッサンGTRをニュージーランドに輸出しましたので、これの消費税還付は大きかったですねぇ。還付された翌月に夫婦で旅行をしたくらいですので) 

 



 この本の中で「定年ひとり起業」に向いている仕事とは?とありますが、多分、ここが一番難しい部分だと思います。

何をやるかを決めるのが難しい

 別な言い方をすると、何をやるのかによって、一人で扱えるビジネスなのか、また売り上げ規模はどの程度なのかがほぼ決まってしまうかと思います。

 次元の違うもので説明すると、私がそれまでいたIT分野でいうと、コンピュータのOS (マイクロソフトのwidows)や、データベース(Oracle)という基幹ソフトですと、それぞれ巨大になる可能性があります。かたや、Webサーバの耐久(負荷)テスト用のソフトや、管理ツール、計測ツールの会社ですと、数百人から、大きくなっても数千人程度かと思います。

 私がやってきた中古車輸出ビジネスの例ですと、小さいところでは(私のように)一人事業者で、大きなところですとビィフォワード社のように資本金が1,000万円、従業員数は200名といったところです。

 私のように、外資系IT企業にいても、扱うソフトウェは、かなり違う分野のものへと平気で転職していっていました。こんな具合に、新しいことをするのが好きな人間でしたので、コンピュータソフトから中古車輸出へとビジネス分野を切り替えても、自分の中には違和感は生まれませんでした。別な見方をすると、どの分野であっても私がやってきた仕事のメインは「営業」ということだったからだと思います。つまり、「売るモノ」は変わっても、「売る」という行為そのものに違いはなかったからかもしれません。


賞味期限

 ビジネスマンが定年(60歳)後にやるビジネスというものは、一般的には10年以内(70歳まで)のようです。ならば、10年やっていけるビジネスなら何でもよいとも言えます。ただし、自分が面白いと思えるものでないと続かないでしょうが。

 更に言えば、よしんば10年と簡単に言っても、それなりに大変なものでした。ちなみに私がやってきた中古車輸出、たとえ一人でやろうが、いちおう「貿易」です。相手(人)との関係、相手の国との関係が関わってきますし、日本国内の状況にも大きく左右されます。
 例えば、私が中古車輸出を始めた翌年(2011年)に東北大震災があり、その中で放射能による汚染の問題は、輸出先のアフリカから強い拒絶反応を受けました。こうしたことは、一人でやる事業であろうが、数百人でやる事業であろうが、もろに影響されるのは同じですね。

 たった10年の間に、こうした大きな変化が”何度か”押し寄せてきて、私が中古車輸出ビジネスを始めた当時、知り合った3〜40名の個人事業者は、皆さん撤退していきました。恐らくは、何をビジネスにしようとも、10年同じことを続けることそれ自体でも大変だということは覚悟しておいた方が良いのかもしれませんね。


ならばどうやって、自分がやりたいと思える仕事と出会うのか。

 これはもう、なんとも言えません。私の場合で言えば、行動を通じて先が見えた、ということです。

 旅慣れた人でもアフリカに旅行する人というのはさほど多くはないでしょう。幸いなことに1976年(アメリカ建国200年の年)にアメリカに留学しました。その時の同級生の一人がガーナ人でした。なぜか彼とはウマがあって、卒業後も、細く長くお付き合いが続きました。

 定年後(留学した時点から40年近く経っていた)、私は彼に連絡を取り、遊びに行って良いか彼に聞きました。彼が快く受け入れてくれ、ガーナに視察旅行に行くことが決まりました。この時点では、まだ自分が定年後のビジネスネタに出会えるとまでは思っていませんでした。しかし、ガーナ人の友人がいてくれればこそでしたが、ガーナにいた10日間はとても充実したものでした。やはり現地に知り合いがいるというのは強みでしたね。

  ※ 中古車輸出ビジネスで起業しよう、と考えたきっかけは「ガーナに旅行 」したからでした。

 親しくしていた友人がガーナにいたこと。ガーナというアフリカの一国に旅することをいとわなかったこと(黄熱病の予防注射が必要だったことなど、ちょっとハワイに行って、というのとは難易度が違いました)などが、新しいビジネスアイデア(中古車輸出)と出会うことはなかったでしょう。

 私の印象では、行動したからこそ先が見えたのだ、と思っています。これはちょうど、目の前にある丘を越えてみたからこそ、丘の先にある景色が見えたのだと思います。ですので、あなたが、定年後のビジネスプランがまとまらない、と嘆く前に、人脈と行動を繋いでみることでしょう。私がいつも言う言葉は、「悩むより、迷うより、まずは行動を」 です。


最後に

 定年後起業のセミナーで講師をしていると、受講生の方から「奥さんの理解は必要ですか?」と聞かれることがあります。私の返事は、「奥さんの理解は必須です」、と返事しています。

 まず定年後の蓄えはそこそこありましたので、その中から300万円だけ使うことを(それで芽が出なければ諦めることを)奥さんに理解して貰うようにしました。中古車輸出ビジネスを始めた以降、一生懸命、また楽しみながらやっている私の様子を見て、「この様子なら大丈夫」と思ってくれたのではないかと思います。ちょっと特殊なビジネスである中古車輸出ゆえ、奥さんに手伝って貰うことはなかったものの、好意的に見守っていてくれたことは私の大きな支えでした。





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