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349.  京都精華大学、サコ学長、日本を語る(朝日新聞出版)   ・・・ (2021/08/29)



 <著者等紹介>
 サコ,ウスビ[サコ,ウスビ] [Sacko,Oussouby]
1966年5月26日マリ共和国・首都バマコ生まれ。81年、マリ高等技術学校(リセ・テクニック)入学。85年、中国に留学し北京語言大学、東南大学で学ぶ。91年4月、大阪の日本語学校に入学。同年9月京都大学研究室に所属。92年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程入学。99年、同博士課程修了。2000年、京都大学より博士号(工学)取得。01年、京都精華大学人文学部専任講師に就任。02年、日本国籍取得。13年、人文学部教授、学部長に就任。18年4月、学長に就任。研究テーマは「居住空間」「京都の町家再生」「コミュニティ再生」「西アフリカの世界文化遺産(都市と建築)の保存・改修」など。社会と建築空間の関係性をさまざまな角度から調査研究を進めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 ウスビ・サコ、アフリカ(マリ共和国)出身のサコ学長が日本を語るという本(2020年7月20日発行、1650円)。出版社の説明によれば、本の概要は以下のよう。

 マリ共和国出身の京都精華大学長、ウスビ・サコ氏の自伝。幼少期、中国留学、日本人との結婚、子育て、学長就任。波乱に満ち「なんでやねん」の連続だった日々をコミカルに回顧しつつ、日本社会や教育の問題点を独自の視点で鋭く批判する。





 いつものように、私の視点を入れずにこの本を知って貰う一番手っ取り早い方法がこの本の目次を列挙すること。具体的には、

<目次>
第1章 赤の他人に教育されるマリ―サコ、すくすく育つ
 いつも遠い親戚という人やら含め(本来の6人の家族以外に)30人もの人が同居していた中で育ったというアフリカ独特の環境が彼のオープンさを作ったのかも

第2章 ヨーロッパだけが世界じゃない―サコ、異文化に出会う
 彼の国、マリ共和国はフランスの植民地だった。つまり若い頃の彼にとってはフランス他欧州こそが世界だったのだろう。しかし、たまたま中国に留学することになり。さらにそこから日本へ留学するという流れが生まれた。そこで得たものは?

第3章 マリアンジャパニーズとして生きる―サコ、家庭を持つ
 日本人女性と結婚し、家庭を持つことに

第4章 十人十色の学生たち―サコ、教鞭をとる
 日本の大学で教えていく中で、日本人独特の考え方に触れ、いろいろなことに気付く

第5章 一緒に、大学をつくりたい―サコ、学長になる
 自ら発言し、自ら行動するとモットーとしていたために、ついには京都精華大学の学長になることに

第6章 ここがヘンだよ、日本の学び―サコ、教育を斬る
 ・学校に期待しすぎる日本人
 ・平等をはき違える日本人
 ・能力を活かせない日本人
 ・すぐにあきらめる日本人
 ・若者を自殺に追い込む日本

第7章 大学よ、意志を持て―サコ、大学を叱る

第8章 コロナの時代をどう生きるか―サコ、日本に提言する
 この本が出版されたのが2020年の7月、つまりこの本をまとめている最中にコロナの流行が始まったはず。そんな中で著者は、欧州の国々に植民地化されてきたアフリカの国(マリ共和国の場合はフランスの植民地に)出身として、欧州を初めとする先進国の弱さを指摘。
 同様にして日本を分析しているが、それによれば日本人は政治に関心がないのに政府に依存しようとしていると。結論的には、サコ氏の日本人に対する警鐘は「他人は解決してくれない」と言う。

 多くの人は、日本に生まれ海外で生活したことなどない。このことから、自分が知っているルールだけが唯一の日本だと勝手に信じている傾向がある。サコ氏は、日本国籍を取得しているが、一般に我々が言うところの日本人ではない。それがゆえに、日本人の多くが勘違いしている点が良く見えて来ている。

 今のコロナ禍の中で、外に自由に出にくい今であればこそ、こうした本を読んでみると良いだろう。そうすると、自分が置かれている「位置」の不自然さが自然と見えてくるはず。



補足:
 私自身は1976年、1年間アメリカで留学生として暮らした。帰国後、大学の国際交流部門で働いていたが、当時流行したパソコンに興味が出てコンピュータソフトの業界団体に転職、米国企業、展示会の視察を企画運営。その後、IT業界内の人脈の広さを買われ、イスラエル企業東京支社のスタートアップに関わったのを皮切りに外資系コンピュータ会社の立ちあげ、立て直しを複数の会社で経験した。



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