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339. 節約のススメ  ・・・ (2021/05/16)


 コロナ禍で飲食店の店主の皆さん、固定費をどうやって下げるか苦心していることと思います。

 定年後私が個人事業を始めるにあたって経営者の友人二人と食事をし、言われたのが固定費を極力落としてスタートしろ、と。具体的には、無理でない間はオフィスは借りずに自宅をオフィスに使う、また一人で仕事が回せる間は人は雇わずにやれ。そうしてスタートしてみたら良い、と。

 10年超事業を続けてきたが、折に触れ、経費(固定費)を見直してきた。というのは、売り上げが伸びない時にすべきことはコストカットするしかないからだ。利益は売り上げと経費の差。ならば売り上げが伸びないのであれば、経費を切り詰めて以前に近い利益を確保するのが定石かと。


 最近自分の行動を面白く感じる部分が見えてきた。かつては何かを買う時、たとえば自家用車を買う時は同じモデルの中の最上位車種を選んできた。自動車メーカーは私のような購買者の傾向を良く見抜いていて、スタンダートモデルから始まってデラックス、更にはスーパーデラックスと、ちょっとづつ見栄えを良くしたモデルをラインナップし、より上位車種(より高額車種)へと購買者を誘導し儲けてきた。

 それが今は逆なのだ。同じ機能ならより安いモデルを選ぶようになった。例えば腕時計。時間が分かればそれで充分、しかも今や低価格でも内部はクオーツ時計、ということは1,000円程度の腕時計でも10万円以上の腕時計でも時間の精度にそんなに大きな差は出ないのだ。ちなみにこの1,000円時計、電池交換をしようとすると交換手数料を含めて1,000円する。ならばと、電池が切れたらまた新しい1,000円腕時計を買うようにしている。私にしてみれば、これって(まだ電池交換しさえすれば使える時計を使い捨てにしているのは)結構贅沢な使い方だと思っている。

 ※ かつては、旅館に泊まる際には、腕時計などの貴重品を袋に入れて帳場に預かって貰っていた時代もあったなんて今では信じられないでしょ?(笑)


 失業中の男性の頭を散髪してあげているところなのだとか。(ガーナ旅行記 より)

 世の中には、引っ越してもまだ以前の床屋さんに電車に乗ってまで通うこだわりを示す人もいるが、私にはそこまでこだわる意味がよく分からない。

 70歳を過ぎ、ヘヤースタイルにも気を使わなくなった。世の中に1,000円カットなるチェーン店が現れたので当初はそこに通ってみた。いくらヘヤースタイルを気にしない私も、毎回カットしてくれる担当者が異なるもので、仕上がりにバラつきがあることには少々抵抗感があった。

 それ以前は地元の40年ほど通っていた床屋さんで4,000円を払っていた。ある時、隣の区へ行くとシニア料金を設定している床屋さんがあり平日限定でシニア料金が 3,000円だった。仕上がりは長年行っていた床屋さんと遜色がなかったので、あらたにこの床屋さんに行くようになった。
 そうこうしていて、ある日隣の区の商店街を歩いていてまた別な床屋さんの看板を見つけた。そこでは同じくシニア料金の設定があり、なんと値段は 1,850円ということだった。店はシニアの母親と息子の二人で経営していたが、そうしたお店がゆえに出来る価格設定なのかもしれない。設備は以前の床屋さんに比べ見劣りしたが、私には自分の頭の仕上がりが一定以上でありさえすれば、気にもならなかった。

 なんで自分がこう変わったのか考えてみた。1つには、自分で事業を始めたことからコスト意識が生活にまで及んだこと。もう1つは、その輸出先が発展途上国のアフリカだったことからかもしれない。


 最近読んだ本に、”河合 薫 著「 コロナショックと昭和おじさん社会 (日経プレミアシリーズ)」があった。それによれば、著者の河合薫さんが学生にキャリア教育の一環として講義の中で「やりたいことをやって欲しい」と話したところ、多くの学生の感想は「勇気が出た」といった反応だった中で一人だけ「先生は恵まれているからそうしたことが言えるのだ」と反発してきた学生がいたのだそうだ。聞いてみれば、母子家庭でそんな夢みたいなことを描くゆとりさえなかったのだそうだった。

 曾野綾子さんの著書に時々出てくるが、神様は人間を平等になど作ってはいないし、人は自分が生まれる場所(神様が決める場所)も選べない。確かに、もしかしたら上の写真にある髪を刈って貰っている男性が私だったかもしれないのだから。言えることは、皆、その置かれた位置で精一杯生きていること。





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