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337. 「捨て本」 堀江貴文 著  ・・・ (2021/05/02)


  コロナ自粛の中、人生で今ほど沢山の本を読んだ時期はなかっただろう。その中で、堀江貴文氏の本が一番多かったかもしれない。かつてライブドアの社長をしていた頃の彼にはまったく興味がなかった。そんな私がある時書店で彼の本を目にし、手にとってぱらぱらとページをめくって拾い読みをした。あっ面白そう、と購入。依頼、時々彼の著作を読んできた。何が面白いかと言えば、余分なものに配慮するのではなく、いろいろな贅肉をそぎ落としたかのような発言に、案外物事の本質があるのではないかと思ったから。

 けっこうな冊数になるので、もうそろそろ彼の本はいいかな?と思っていた。
 この本「捨て本」は自分で購読希望を図書館ネットにリクエストしていたことを忘れていた。ある日図書館から「貸し出しの準備が出来ました」と連絡が来た。ならば読んでみるかと手にしてみた。


 この本を読んで思い出した言葉がこれ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 だ。本来の意味とは微妙に違うとは思うが、この言葉を思い出した。なぜか?彼、モノに執着しない。有罪判決を受け長野刑務所に収監され、その後刑期を終え出てきた訳だが、そんな経緯があればそうなるのかな?とも思ったが、どうやら、そういう傾向はあるにしても、彼、もともとそうした考え方の人だったようだ。

 
 この本の中で面白かったくだりがここ。

・気持ちさえあれば、制限された現実の環境を、自分の望むとおりに変えることはきっと出来る。

 
モノ、人間関係に興味がないからといって、けして投げやりな人生を送っている訳ではなく、けっこう前向きなのだ。


 ドイツのメルケル首相のアドバイザーでもある未来学者ジェレミー・リフキンの言葉だそうだが、この本の中で紹介されていた。

・いまから25年後には、多くの企業や消費者にとって、所有というコンセプトは、限られた、古臭いものになるだそう」

 もう1つ、

・かつてアリストテレスは「概して、持つことより使うことに、はるかに大きな豊かさがある」と唱えた。

 これらの考えは71歳になった私にはとても良くわかる。人生を重ねてきて、必要なもの、欲しいものが減っていき、それらが減った分、自分が自由になった気がするからだ。

 将来、万が一、妻に先立たれ、その時まだ自分が自由に動き回る体力があるならば、留学時代の同級生で、いまは一人でガーナで暮らしている彼との同居生活を選ぶだろう。東京にある自分の家は人に貸せば15万円くらいにはなるとゴルフ仲間の不動産会社社長が言ってくれた。この家賃収入と年金を合わせれば、何も持たずとも、そこそこ自由に動き回れるだろう。



注)勝手に家内が先に逝くと決めて計画をしているようだが、もし私が先に逝くなら、私がいなくなったあとのプランを私が考えても意味などない。私がいなくとも、家内は自由に老後を生きていくだろう。心配などしていない。もちろん、望むらくは、家内に看取られながら逝きたい。




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