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327. いつから曾野綾子氏の考え方に共感するようになったの? ・・・ (2020/12/06)


 前回ご紹介した堀江貴文さんの本は「ビジネスを取り巻く環境」を物事の本質から掘り下げ、シンプルな結論に導くのを得意とする点を面白いと思ったのでした。読み始めたのはここ8〜9年、また前回ご紹介した本の数々は多くは図書館で借りたものでした。


 かたや曾野綾子さんの本は、「人間の本質」をクリスチャン独特の感性から掘り下げて指摘している。始めて曾野さんの小説と出会ったのは、かなり以前(2−30年前)に日経新聞での連載されたもの「神の汚れた手」が始めでした。

 (その後、「神の汚れた手」は上下巻として出版されている、さらには手軽な文庫本にもなっています)

 曾野さんの視点は、今までの本にはなかったもので、それに触れたくて曾野綾子さんの本を読み続けているわけです。幸いなことに曾野さんは書く量が豊富な作家なもので、次々に新しい著作が世に出てきて、お陰で楽しみが途切れません。ちなみに初期の頃は本を購入していましたが、これ以上書棚の本を増やしたくないもので近年はもっぱら図書館の蔵書を借りてきて読んでいます。


 さて、曾野綾子さんが書かれた「人間の道理」は今年(2020年)10月に出版されたもの。ということは、日本がコロナ禍の真っ直中にいる時に、曾野さんならではの視点で現代(コロナ禍の時代)と過去を比較してみたもの。


第一章の項目を見ただけでも、言わんとすることが推測出来るだろう。


・病気に罹らず生き延びることだけでも幸運

・明日まで生きていられるかさえわからない

・人間は病気をコントロールできない

・ワクチンと抗生物質で助かる命は限られている

・人間があちこちで見捨てられている国もある

・望んでも生きられない命もある


  と続く
 

 曾野さんの世代(1931年生まれ)以前の方々は、「この世に安全があるなどと信じたことがなく育った」世代だという。なにせ戦争中は、たった一晩の東京大空襲で、約十万人が焼け死んだのを目の当たりにしたのだから。

 そうした世代の人、更にはクリスチャンとして「神」の存在を意識する曾野さんならではの言葉が続く。いわく、「今度の地震でも、比較的老年の人はほとんど動揺を示さなかった。多くの人は、幸福も長続きはしないが、悲しいだけの時間も、また確実に過ぎて行く、と知っている」 からだと言う。

 私のような戦後派(1950年生まれ)にはこうした実感はありませんが、少なくとも言わんとすることは理解出来ます。 


 具体的に、どんなものか紹介しているのが、「望んでも生きられない命もある」の章にありました。(以下、文中から抜粋)

「助かりませんか」

「だめだと思います」

 彼らが喋るのをやめたのは、その時、その子の母と覚しき女が入ってきたからだった。彼女は、副院長たちのいるのにも目もくれず、眠っている子のそばに腰を下ろした。それから、「霞ちゃん、霞ちゃん」と目も醒まさず応えもしない子を呼んだ。

 もっとも、その母が、病児の名を口にしたのはそれっきりだった。彼女は小さな寝台にこれ以上寄りそえないほど小さな木の椅子を近づけると、黙って眠っている子の頭を、いつまでも繰り返し撫で始めた。


 ふと気がついた。 最近読んだ本にあったことがらからだった。東京都議会議員、入江のぶこさんが書かれた「 自ら学ぶ子どもに育てる」・・・息子2人が東大に現役合格したワーキングマザーの子育て術、だ。

 ちなみに入江さんのプロフィールは、
 大学生時代にフジテレビ「FNNスピーク」でお天気お姉さんを務める。その後フジテレビ報道記者の入江敏彦氏と結婚。カイロ支局長となった入江氏と長男と共にカイロへ移住。イスラエルで次男出産。1994年12月ルワンダ難民取材のためにチャーターした小型飛行機が墜落し、乗っていた入江氏が死亡。6歳の長男と生後11ケ月の次男と共に日本に帰国する。

 この本の中に、変わり果てたご主人との再会のシーンの記述があります。

 ナイロビ(ケニアの首都)市内の遺体安置所で、私は夫と再会を果たします。小さくなった身体には包帯が巻かれていたため、本当に夫かどうかわかりません。「包帯をとってほしい」とお願いしたところ、日本大使館の方は躊躇しながらも頭部の包帯をほどいてくださいました。
 そこには、真っ黒に焼け焦げた入江敏彦がいました。あまりにも凄惨な現実に、入江の父・雄三と兄・武彦は「見てはならない」と母・弓子を押しとどめたほど。一方、「どんな姿になっていようと、夫を残らず目に焼きつけておきたい」と思っていた私は夫の姿を見るや否や、思わず遺体を抱きかかえ、その頭を撫でていたのでした。     (中略)

 夫の頭を撫でるたびに煤で黒くなる掌。ほんの少しだけ頭部に残っていた髪の毛。それらのすべてが愛おしく、永遠に目に焼き付けておきたいと思うのでした。



 シチュエーションとしては、見送る対象が、子供であったり、夫であったりと異なるものの、肉親の最後に立ち会った思いには近いものがあるでしょう。入江さんの場合は、その後、まずは生活のために仕事に、そして子供達の将来のための教育をと、ご自身の人生を捧げている印象でした。


 入江さんのような経験でもしない限り、我々が戦中派以前の、曾野さんが書かれたような世界を目の当たりにすることはないのでしょう。曾野さんの場合は、戦中派ならではの経験をその後の活動にも活かされています。自身が海外邦人宣教者活動援助後援会を設立し代表となっています。この後援会の活動は主にアフリカ、それも観光客などがけして足を踏み入れることのない奥地で活動する宣教者達のために支援を行い、さらに支援したお金や資材がきちんと現地に届き、活用されているのかを、各案件ごとに曾野さんご自身が出向いているのです。(現在は、ご本人が高齢のため、次の代にバトンタッチされているようです)

 このあたり、曾野さんが日本財団の会長を(無給で)引き受けた際にも活かされたようです。ややもすると、国際協力、国際支援などと言っても、資金、器材を贈るだけで、それらはきっと活用されるだろうという勝手な思い込みだけで何の確認もしていません。
 私も60歳を過ぎてから2度ほど中古車輸出の仕事でアフリカに行っていますが、曾野さん流の、現地に出向くことがこうした発展途上国とのやりとりでは必要なことなのだということが理解出来るところです。

 そうなんです、曾野綾子さんとの繋がりを感じるのは、私がアフリカに行くようになってからでした。観光旅行的なガイドブックは対象がアフリカであったこともあるのですが、実際に行ってみた方のお話しはあまりありませんでした。その点、曾野さんの本からは、作家らしい記述もあって、とても良く現地の様子が分かりました。 

 参考:「私のアフリカ旅行記

 出来れば、私が80歳になる前に、もう一度行ってみたいと思っています。幸いなことに、2010年に接種を受けた「黄熱病」の予防接種の有効期限が、以前は10年とする、とあったものが永久有効とする、と変わったのも助かりました。ちなみに黄熱病の予防接種は、受けるまでの段取りが大変なんです(参考





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