ホーム目 次 / 前ページ次ページ  


320. 「他人をバカにしたがる男たち」 河合 薫 氏著を読んで ・・・ (2020/10/11)

 他人をバカにしたがる男たち (日経プレミアシリーズ) [ 河合 薫 ]

 この本の裏表紙にはこう書かれていました。

 駅やコンビニで暴言を吐く、上だけを見て仕事する、反論してこない人にだけ高圧的、相手の肩書き・学歴で態度が別人−−−こんな人、気になりませんか?本書では、女性の中でも進む、現代人の「ジジイ化」に焦点を当て、健康社会学の視点から、わが国にはびこる「ジジイ」と「粘土層」の生態を分析。70歳現役社会で男女が輝くヒントを紹介します。


 この本では、SOC(Sence Of Coherence)という言葉が良く出てくる。著者の説明によれば「首尾一貫感覚」、別な言葉では「人生のつじつま合わせが出来る力」だそうです。
  さて、この本の中から私が注目したところを以下にリスト(青文字部分)してみました。

 本に紹介されていた人は、オーストラリアで緩和ケアをし、多くの人の最後を看取った人の言葉が紹介されていました。それによれば、

 人々は最後のときまで「幸福とは選択の問題だと気付かない」と指摘。多くの人たちば、古いパターンと習慣にとらわれ、慣れ親しんだことに安住し、変化を恐れるがゆえに「満ちた足りている」と自らを偽るというのです。

 選択とはまさしく、「自分で自由に決めること」と




 私が26歳でアメリカに留学した時代に、親と離れ、一人になって思ったことは、「自分の人生は自分で作る」だった。アメリカ人の同級生にこうした話しをすると、何をいまさら当たり前のことを言うのか?という感じだった。同様に、帰国してから日本人の友達にこれを話すと「変わったヤツ」と思われたようだった(笑)。

 常に自分の人生での選択は、組織のためでも、家族のためでも(結果的には家族の為になるようには考えたが)なかったように思う。自分がやってみたいと思うことを、そこそこやれて来たと感じている。この本に書かれていた、「死を目前にした人が挙げる5つの後悔」

 ・他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を生きる勇気があれば良かった

 ・あれほど働かなければよかった

 ・自分の気持ちを率直に表現するだけの勇気があればよかった

 ・もっと友達づきあいをしておくべきだった

 ・もっと幸せな人生を送ればよかった


私は、これらを感じなくてすみそうです。


    *************


 ひとつの組織で長年生きてきたビジネスマンは、多かれ少なかれ男性特有の”計算”をしながら生きてきた人たちです。例えば、

 ・これ以上の出世は望めないだろう。

 ・これ以上、自分の能力を伸ばすことはできないだろう。

 ・これ以上、新しい仕事に取り組むことはできないだろう。

と自信の揺らぎに支配され、次第にそれがある種のコンプレックスに変わり、身動き出来なくなってくる。


 私がこうした計算をしなくて済んだのは、留学のために最初の会社を辞めたこと。1つの会社にいて、永年勤続とか、同期とかいう存在が無くなったことからだろう。留学から帰国して就職して以降は、そのいずれからも縁が切れた。となれば、ひとっ所に長くいることに差ほどの意味は私にはなく、より良い場所があれば、そこに自分を移して、そのステップごとにあらたな経験を身につけ、いわば拡大再生産をするかのように生きてきた(働いてきた)こと。

 転職しても営業としての肩書きはいずれも似たようなものだったが収入だけは着実にあがってきた。つまり幸か不幸か、前述のような男性特有の”計算”をする必要はありませんでした。


    ************


 属性や肩書きは、他者の目を惑わす幻です。それに溺れることなく「日本太郎」というひとりの人間としてちゃんとやる。自分が大切にしている”道具”を忘れることなく、いくつになっても、どんなに偉くなっても、きちんと仕事と向き合う。そのくり返しで「仕事が自分のカタチ」になってゆくのです。

 40代以上で”自己受容”が出来ている人は、例外なくSOCが高い」と書きましたが、彼らは「自分がそこにいる意味」を常に自問している人でした。

 「私がここにいる意味を見失わない」ために、無心で目の前の仕事を、自分の”道具”でやりきる。その愚直さが、彼らを支えているのです。




 著者の略歴についてはご存じの方もいらっしゃると思いますが、著者がなぜこの本を書いたのかという背景を分かりやすくするために以下にリストしてみました。

 ・大学卒業後、ANAに入社

 ・気象予報士としてテレビに出演

 ・大学院に入り、「人の働き方は環境が作る」をテーマに研究を始めた

 著者が仕事をしようとするとき、著者(個人)対相手は企業(役職者)という図式だったでしょう。私などは米国留学から帰国したあと、一時的に大きな組織に属したこともあったが、大組織ならではの論理に呆れて、タイミングを見て、より私に裁量権が与えられる小規模組織(主に外資系IT企業)へと転職してきた。しかし著者は、選んだテーマから、どうしても大きな企業と対峙せざるを得なかったのでしょう。そんなご苦労から、大企業の人たちを観察したことから生まれたものをこうした本にされたのでしょう。


 一般的には50歳からの転職は難しい、と言われるが、私の場合50歳少し前からの転職だけで4回、いずれも相手企業に知人(社長)がいて、「立ちあげ、もしくは立て直しを手伝ってくれませんか?」と誘われた。それら企業にいた当時、製品の性格から取引相手は大手IT企業だったが、私は好んで営業相手にも外資系企業を選んだ。というのも、日本の大手IT企業は、意思決定に時間がかかり、外部の人間として相手をしていても、いろいろやりとりが面倒な相手と感じていたから。


 こうして、自分で考えて自分で行動する行動習慣があったお陰で、定年後、従来とは畑違いの「中古車輸出」を始めても、特段困るようなことはありませんでした。

 それも(定年後起業も)10年がたち、さて次はどうしようかな?と考えているのが今です。コロナ騒ぎで、動きが取れない感もなくはないのですが、肯定的に考えれば、社会全体が停滞しいるのですから、猶予期間を貰ったと受け止めても良いのかも?と思っています。



 


ホーム目 次 / 前ページ次ページ     
 

inserted by FC2 system