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308. アフターコロナ、むしろ私のようなシニアが生き易いのかも ? ・・・ (2020/06/14)


 コロナウイルス流行以来、いろいろな人が、いろいろな意見を述べている。読んだ中で私が参考にしているのが、国際政治学者、三浦瑠麗氏の意見。三浦氏のブログ「山猫日記 2020年03月11日」にこんなことが書いてあった。



 そもそも、人間社会は「未知のリスク」を高く見積もってしまう傾向があります。今般の新型コロナウイルスについては、まだまだ解明されていない点が多いのは事実です。特に、ウイルスは変異して性質が変化する可能性もありますから、十全な対策を行うことは当然です。ただ、社会に存在する無数のリスクと比較して均衡ある対応を行っているかどうかについては、絶えず検証が必要であろうと思います。

 一例をあげると、2018年の日本におけるインフルエンザの死者数は3,325人、2019年の交通事故による死亡者数も同様に3,215人です。かと言って、私たちは、冬の間は大型のイベントは自粛しようであるとか、交通事故を無くすために自動車を廃止しようとは、もちろんなりません。それは、社会が、インフルエンザや交通事故のリスクについては既に織り込んでいるからです。ところが、新型コロナウイルスに対するリスクは未知の部分が多い。



 読んでみて私の新型コロナウイルスに対する考え方は「正しく恐れよ」となった。そこで3月あたりからの新コロナウイルス騒ぎの中、自分に何が起こったのかを振り返ってみたのが以下です。


<困ったこと> 

 <代案>

アフターコロナ  

 区の図書館が閉鎖された  Amazonプライムビデオを楽しんだ  外出自粛解除後も、ネットで取り寄せ、最寄り
の窓口で受け取る方式なので心配はしていない
 映画館が閉鎖された  Amazonプライムビデオちょうど先頃終了した
DLife 放送の番組、SUITSの続編を観ることが
出来たのは大きかった。
 私は映画好きだが映画館へは当分行かない
だろうと思う
 区営のスポーツジムが閉鎖  もともと体重維持が目的だったので、ならば
早足ウォーキングで代用可能、と。
 区営ジムが再開されても、当分、入場の人数
制限があり予約制とのこと。当分行かないだろう。
 ゴルフが出来ない  ゴルフ場(ゴルフそのものは屋外活動ゆえ
問題は無く閉鎖にもならなかった。しかし
都心に住む私が埼玉まで電車で行くことには
遠慮があった。
(よって二ヶ月ほど県をまたいだ移動を自粛)
 やっと自主規制を終了しゴルフ場へ行ってみたが、
ランチは簡単な弁当のみ、風呂も無し(せめてシャ
ワーは欲しいのだが)
 以前より最高気温が30度を超える日はゴルフは
していないので、結局次回ラウンドは秋になるかも?
 旅行が出来ない  実は1月末に家内を連れてイタリアへ行った。
タイミングが後ろにずれていたら大変なことに
なっていただろうと思う。
 海外旅行は相手国の事情もあるので、当分
無理と覚悟している。
 現時点で行きたいと思っているのは、アフリカと
南米(アルゼンチン)。となるとかなり時期を後ろに
ずらし、旅行が可能になるのは2022年あたりかも?
と覚悟している。
     

 <少し困ったこと>

 <代案>

アフターコロナ  

 外食が出来ない(しずらい?)  もとより外食より自分で料理して食べる方が
好きなので問題無し
 好きなラーメンや、好きな寿司屋へは店内が
空いている11時台に行くようにしている
   持ち帰り  外出自粛期間中に、Hottmott、マクドナルド、
吉野家を1度づつ利用したが特にコロナを意識して
のものでもなかった
     

 <困らなかったこと>

 アフターコロナ 

  ライブハウス、バー&ナイトクラブ、
パチンコ、雀荘
 以前からそうした場所へ行くことがなかった
ので閉鎖されても(私自身は)全く困らなかった。

 同左

 居酒屋  あまりお酒が強くないので、ワインかビール
を自宅で家内と飲むの程度で十分。

 同左

 公共交通機関の利  通勤利用者の時間帯を外して利用

 同左





 コロナ後の日常生活はどうなっていくのだろうか、またはどう変えなければいけないのか?を考え始める人も多い。私(シニア)にとっては、10年前の定年生活の開始がコロナ以上に自分の生活習慣を変えた。そのお陰と言って良いのかどうか分からないが、新型コロナだからといって、特に何か変えなければならないものはあまりなさそう。

 ちなみに私の定年後変化は、必ずしも縮こまったものではなかった。定年後アフリカに旅行して、それがきっかけで未経験の領域、中古車の輸出も始めてみた。大変だったが楽しかった。それも今年で10年になる。


 定年後何年かして息子と相談して家を建て替えた。それまで持っていた車は自宅改築の際、しばし仮住まいをせざるをえないので処分してしまった。運転免許証は今も有効だが、ほとんど車を運転することはない。都心に住んでいると全くと言って良いほど車がないということの不便はない。(東京以外に住まわれている方に説明すると、へぇ〜、と言われるのが、都心でのショッピング、駐車料金は無料ではありません。一定額以上の買い物をして始めて駐車料金が無料になる、ということを)

 今春70歳になって「東京都シルバーパス」を貰ったことによる行動範囲の変化はとても大きかった。まるで若い頃アメリカに留学し、中古車を買った時のように私の行動範囲を広げてくれた。

 たとえば、毎月末に銀座4丁目近くのビルの1階に翌月分の「星占いカード」が置かれる。家族皆、それを見るのを楽しみにしている。今回は銀座四丁目へ行くのに一筆描きよろしく都営地下鉄だけで回ってみることにした。今までなら営団地下鉄で銀座へ出るところを、地元から都営地下鉄に乗り東銀座に出る。出口は歌舞伎座近くだ。そこから歩いて銀座四丁目へ出るが5分とかからない。いつものビルで「星占いカード」を貰ったあと、徒歩で有楽町まで出る。駅前ビルの地下に万世がラーメン屋を開いているのだ。太めの麺の上に豚の唐揚げ(パーコー/排骨)が乗っている。これが美味いのだ。(たまにしか食べないから更に美味しく感じる?)

 ラーメンを食べ終わったら、好みのパン屋さん、麻布十番のモンタボー に行ってみることに。路線図を見ると、日比谷からだと三田線に乗って一旦三田駅へ。そこで都営浅草線に乗り換え、少し戻る形で大門へ、そこでまた乗り換えて二駅、麻布十番に到着する。パンを買ったあと、今度は都バスで移動することにする。品川駅・経由・五反田行きのバスが来たので、それに乗り、品川駅へ。そこから目黒行きのバスに乗り換えて自宅へ向かう。シニアゆえ、時間はあるので、その時間を使ってお金はセーブ(無料)することが出来た。また路線を考えるのも程よい頭の体操になっている。


 ちなみに日比谷のこの地下街には、カツミ模型が店を構えている。実はこのカツミ模型店、私が小学生時代に住んでいた魚籃坂下(港区)に店があったので、どこか懐かしい。魚籃坂下については偶然がもう1つ。昨年書店で見つけた本、国際政治学者、三浦瑠麗氏の「孤独の意味も、女であることの味わいも」の中で以前、魚籃坂下に住んでいたことがある、と書いてあった。以来、彼女の書いた本を何冊か読み、親近感を持ち、また信頼感を持ったのだった。



 こんな具合に、むしろ広がった行動範囲、特に自宅前を行き来している都バスラインを利用し、お隣の品川区にあるショッピングセンターへ行くことが増えた。床屋さんも品川区だし指圧も同様だ。

 ふと思い出したのが、吉川英治さんが、娘さんが結婚した時に贈った詩のこと、


 倖せ何と人問わば 娘はなにと答ふらん 

珠になれとはいのらねど あくたとなるな町なかの 

よしや三坪の庭とても 楽しみもてば草々に 

人生植えるものは多かり


 そう、「定年になったら人生はほとんど終わり」、などと私は考えたことはない。”楽しみ持てば”、、、だ。




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