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287. 自分の身に起きたことは全て「他人」 の責任?  ・・・ (2019/10/27)


 前回の話し(自分の身に起きたことは全て自分の責任)の対とし考えてみよう。あなたの周りにいないだろうか、会社が悪い、上司が悪い、親が悪い、兄弟が悪い。こうなるともう解決の糸口さえ見つからなくなる。自分が変われないにも関わらず「相手が悪いのだから変わるべきは相手なのだ」と言い出すケース。

 至近なケースで例をあげると。大学時代の同級生で真面目で勉強もそこそこ出来た男がいた。大学4年、卒業を翌春に控えた夏、彼と二人で九州から沖永良部島まで旅行した。私との相性は悪くなく、どちらかが不機嫌な時はもう一方が引くことでことでことを収めた。彼と一緒にいて感じたのは年齢の割に純粋なところ。が、その後のことから、その純粋さはもしかすると幼稚さに繋がってしまったような気がした。

 大学を卒業し、大手建設機械メーカーに勤めた。働き始めて数年後に職場で知り合った女性と結婚した。彼の自宅は東京の郊外だったが相手の女性が住んでいたのは会社からほど近かったこと。こうしたことから彼女(一人娘)の親と同居となった。どこでどうなったのか必ずしも明確に知っている訳ではないのだが、彼ら夫婦に子供が出来たことから話がややこしくなったようだ。相手の親にすれば、一人娘が生んだ孫、可愛くないはずはない。彼が仕事を終えて会社から帰ってくると、そこには彼女家族の世界が醸し出されていたようだった。それならば、それで良さそうなものだが、彼はこう言ってしまったそうだ。「オレはこの家に養子に入った訳ではない」と。そんな一言から相手の両親と折り合いが悪くなったようだ。間に挟まった奥さんはさぞ困ったことだろう。
 たまたま彼らは職場結婚。彼らの問題を上司も知るところとなり、上司の計らいで群馬県の工場への転勤しては?という話しになったようだ。そんな時彼が思い出したのは、転職経験のある私だった。相談に来たので、工場への転勤で彼のポジションがどうなるのかを聞いてみた。本社からの転勤なので、責任も権限も、さらに給与まであがるという。私の答えは単純だった。もろ手を挙げて、上司に感謝しつつ転勤しろ、と。最初は、どこか釈然としない様子ながら転勤していった。
 それから数年して彼に会うと、東京より物価も安く住みやすい土地、思い切って自宅を建てることにしたとのことだった。子供も増え、楽しい生活が続いたようだった。そんな平凡な生活の変化は尊敬していた工場長が定年退職したことがきっかけだった。それまで副工場長だった人間が急に態度が大きくなったようだ。まあ、そんなことは世の中には良くあることなので、受け流しておけばよいことなのだろう。が、彼は違った。面と向かって不快さを表情に現わした。そんな彼を疎ましく思う副工場長は、彼を群馬工場から本社勤務に移した。最初は地方勤務を嫌がっていた彼だが、その後群馬に馴染んで家まで建てているのである。おいそれと東京へ引っ越す選択肢はなかった。結果、群馬から東京まで毎日2時間かけて通勤した。
 ある意味見せしめ的な勤務地変更だったのだろう。彼はそのまま数年本社に置かれた。毎日の長距離通勤は、彼の性格を変えてしまったようだ。ようやく群馬工場に戻して貰った頃には髪の毛も薄くなり始めた頃だった。戻ってみた群馬工場はすっかり彼無しで進む体制が出来あがっていた。彼が戻っても重要な仕事はあてがわれなかった。工場敷地の管理、別な言い方をすると、工場敷地の雑草刈りなどの雑用も彼の仕事の一部となった。数年の遠距離通勤が骨身に応え、さらに窓際的仕事しか与えられない彼はすっかり性格が変わってしまったようだった。

 こんな彼が定年になり、仲の良かった仲間の呼びかけで泊まりがけで伊豆まで来てくれた。サラリーマン時代の不遇さからか、同期で役所勤めだった友達に「お前たちは良いよなぁ」と皮肉を言った。公務員だった同級生は、一般企業に比べ自分達は楽だったのかもと反論はしなかった。その中の一人、たまたま神奈川の市役所勤めで定年を迎えた男と帰りの電車が一緒だった。彼が私に、「外資系勤めなんてさぞ大変だったんだろうな。オレなんかには想像出来ないような厳しい世界だったんだろうなぁ」と。しかし、よくよく聞いてみると、彼の役所人生の中で、同じ役所の中から二人、自殺者が出ているという。確かに私はビジネスマン人生の半分を外資系企業にて過ごした。厳しいと言えば確かにそう言えるかもしれない。会社の業績が悪いと解雇される社員が出るなどと言ったこともあったので、そんな意味ではYESだろう。でも待てよ、自分が外資系企業に勤めていた期間に、同僚から自殺者なんて出ただろうか。答えは「NO」だった。つまり、外資系企業に勤めるような人は、多分、それなりに覚悟をしていて、普段の給料は一般よりは多少マシなものの、会社の業績、海外本社の都合によっては、解雇されることがありうるのだということを理解しているのだ。そんなだから、自分の仕事に責任を感じて自殺までするような人間はいなかった。

 さて、話しのイントロが長くなりすぎたので本題に戻しましょう。前述の彼のことを何人かの同級生が心配し、その後電話をしたりしたようだ。その中のひとり、中堅企業の経営者のひとりがこう言った。確かに、彼は副工場長に睨まれて、不遇の時間を過ごしたかもしれない。しかし話しを良く聞いてみると、ある時代には、彼の仕事ぶりを会社が評価し、ご褒美のような形で中国へ市場視察にやらせて貰っているという。つまり企業経営者となった男に言わせると、イヤだったことばかりを我々に話してくれたが、本当にそうだったのだろうか、と。長い会社勤めの中で、良い時期だってあった。なぜそれに感謝せず、嫌だったことだけを記憶に残し、それに「乗っかって」しまっているのか。

 ここでいう「乗っかる」ある不毛空間に入りこみ、ダメだった理由だけに固執して周りが見えなくなった状態のことだった。この空間から抜け出すには、会社が悪い、上司が悪い、時代が悪い、悪い、悪いという世界を抜け出すしかない。このために成すべきことは、あったこと、良いことも悪かったことも、両方を事実として自分で受けとめ、その事実を承認して上げることかと思い。

 人はおいそれとは変われない。自分が変われないのに、相手に変われと言うのは無理なこと。ならば「乗っかる状態」からの抜け道は、一旦、自分の身に起きたことを事実と受け止め、それも私の人生一部なのだとすることのような気がする。勿論、言うは易く行うは難しであることは承知の上でです。






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