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288. 人は変われるか?  ・・・ (2019/11/03)


 前回の話しの中で人は(おいそれとは)変われないとお話ししました。それについてもう少し私なりの考えをご紹介したいと思います。

 30代半ばだったかと思います。場所は虎ノ門の交差点、相手はTOTOの側から神谷町方向に横断歩道を渡ってきた。私も気がつきましたが相手も私に気がつきました。彼は小学校の同級生のY君。交差点の真ん中でお互いに相手を指さして「え〜」と驚きの声をあげました。双方仕事中だったにもかかわらず、いづれからともなく「喫茶店に行こうよ」と声掛け合いました。

 小学校を卒業して20年ぶりの再会でした。彼は霞が関の官庁の1つで働いていました。私は、アメリカ留学を終え、一時期外国語専門学校で働いた後で転職した先が、霞が関内にあった国際交流団体でした。そんな私の小学校卒業後の活動(一旦就職したのちそこを退職しアメリカ留学をしていたこと)などを伝えると彼が私に言った言葉がこれ、

 ○○君、変ったねぇ〜。あの大人しかった○○君がねぇ〜と、とても感心してくれた。

 そうなんです、私は小学校時代も、その後も、人見知りする大人し〜い子供だったのです。そんな私が単身アメリカに留学するようになるなんて彼には想像出来なかったのでしょうね。


 次のエピソードはこれ。

 ○○さんがスキューバダイビングするだなんて信じられない〜。

 これはIT系記事を書くフリーランスのライター(女性)さんに言われた言葉。当時(PC9801全盛)パソコンソフト、パソコンソフト業界に詳しかった私は趣味でパソコンソフトの紹介記事も書いていたし、一部のライターさんとも交流があった。前述のような言葉を言われたのは、どうやら私がパソコンオタクのように思われていたことからでしょう。もっとも、そんな私がなにゆえスキューバダイビングをしていたかと言えば、ひょんな出会いで(四国くらいの大きさの)フィジーとその離島、マナ島へ行き始め 、体験ダイビングというのをしてから海に魅せられたのでした。自分が知らない領域に触れることの出来る機会があるのであれば、やってみたい、と思うのでした。


 最後にもう1つエピソードを。

 (私が言うのもなんですが)良く転職を決断出来ましたねぇ。私だと、こうした状況の中に飛び込むことができないもので。

 これは私に自社への転職を誘ってくれた社長の言葉でした。

 話しは遡って。50歳の時、それまで勤めていたイスラエル系コンピュータソフトベンダーの日本法人を辞めようかと考え始めていた時のことでした。イスラエル人のトップとは小さなオフィスを一緒に立ち上げ、文字通り苦楽をともにした仲でした。立ち上げから3年半が過ぎ、たった4人で始めたオフィスも20人に増えていましたところでボスのイスラエル人が、米国シリコンバレーにある本社に帰任することになり、自分のここでの役割も終わりにしてもいいな、と思ったのでした。

 そんな時、以前から知っていたある社長から声がかかりました。彼の会社、英国本社が米国企業2社を買収したもので、日本にある支社2つも、統合するというのです。3つの会社が1つに統合されるにあたり、自分以外に2人の部門責任者が必要になります。2つ目の部門責任者は彼よりも年上。しかも、ついこないだまでは日本の支社長として会社をまとめてきたのですから、簡単に彼に従ってくれそうになかったのだそうです。
 残った1つの部門は、ずっとトップが不在で統制が取れていない部門。ここを私に任せられないだろうか、ということでした。私と2つ目の部門責任者とは同年代であること、また割と誰とでもやっていけそうな私の性格を買ってくれてのことのようでした。このオッファー、もしかすると火中の栗を拾うことになるのかもしれませんが、私にとってやってみたことのない仕事でしたので、お受けすることにしたのでした。その要請を受けた際に言われたのが前述の言葉でした。





 私は若い頃から自分を変えたいと思ってきました。きっかけは大学生時代のふとした経験があったからでした。大学時代、高校時代のクラス会があり新橋の料亭の息子、同級生がいた。彼のアレンジで、10人程度がその料亭に集まりました。まずは先生を囲んで全員が座った。先生が一人づつ名前を言い、高校時代の覚えているエピソードを話してくれた。で、私の順番が来た。まずは私の名前、○○君、というところまではスムースだったが、そのあとが出てこないのだ。私が高校時代どういう生徒だったのか、先生の記憶に残っていなかったのだ。これは正直ショックでした。
 今なら分かりますが、先生という職業は山ほどの学生を教え、何年おきかでそれら生徒を卒業させているのですから、よほどインパクトのある生徒でない限り詳しいことなど覚えていなくても仕方がないでしょう。つまり、先生が覚えているのは、う〜んと悪く先生を困らせてきた生徒。もしくは成績が良く目立った生徒でした。
 そういう言い方からすると、私は特別成績が良いわけでもなく、また特別素行が悪くもなかった。平たく言えば、ごく普通の、どこにでもいるような生徒だったわけだ。

 そんなことが背景にあったからかもしれません。ある頃から「自分を変えたい」と思ったのです。そして前述のように、昔を知っている人から見れば、以前と今とで違った生き方をしている人間となったのでした。


 そんな私にしても、変えられる部分と変えられない部分が人間にはある、と思っています。コンピュータ屋さんはコンピュータを7つのレイヤーに分けて考えます。人間をこのレイヤーに例えるなら、さしずめ3つのレイヤー、卵の殻、白身、そして黄身です。卵の黄身の部分はコアとなる部分、持って生まれたハードウェア的な部分。これはおいそれとは変えられないものだと思っています。私が、自分の意思と行動でもって変えられるのは白身の部分。この部分は変えようと思えば変えられる可能性のある部分だと思っているのです。

 余談ですが、ある本によれば、日本人とアメリカ人はこの3層の厚みの持ち方が違うと。日本人は殻が厚く、見知らぬ人を簡単には受け入れない。かたやアメリカ人は殻が薄く、見知らぬ人とでも直ぐに親しくなれる。しかしその後がまた違うのだそうです。日本人の場合は、一旦受け入れてしまうと、一気にプライベートな領域まで受け入れてしまいます。方やアメリカ人は、表面はフランクで初対面の人とでも直ぐに打ち解けるように見えるが、そのあとプライベートな領域には簡単には受け入れない、というのです。アメリカに留学した経験を通じて考えると、この節にも頷けます。
 かつて東京ディスニーランドでキャプテンEOというテーマ館でこの曲を上映していた。


 さて、話を戻して。マイケル・ジャクソンの歌に「Another Part of Me」(もう1つの自分)というのがあります。そう、多分、人間って自分自身も気が付いていないもう1つの自分が残っているのでしょう。人間、自分を変えるのは難しい課題なのでしょうが、自分を作り変えたいと自分自身が本気で思っているのなら変えられると私は思っています。


















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