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281. 過去が押し寄せてきた・・Part III   ・・・ (2019/08/11)

 先日税務署より連絡があり、一昨年満期で受け取った運用益分に対する税が納付されていないとのこと。遅ればせながら納税額を聞いて即日支払った。これが過去を思い出すキーワードになった。

 1999年、イスラエル企業の日本支社立ち上げを手伝ったことは前にお話ししたとおり 。私の好みとしては、小さな法人で大きな裁量権を持つ方が好きだった。もっとも実際の仕事は、まるでピッチャーとしてボールを投げ、即ファーストベースへ飛んで行きそれを守るかのように忙しかった。そんな私の働きにボスが米国本社にストックオプションを申請してくれた。



 数年後、私は米国東部に本社のある企業(日本支社)に転職していた。貰ったはずのストックオプションはイスラエル系企業が米国のE*TRADEに入れてくれているはずだった。日本でも株のやりとりなどしたことのない私にはサイトにログインしてみても、チンプンカンプンだった。偶然、同僚のアメリカ人でE*TRADEに口座を持っている人間がいた。彼に私の口座画面を見せたところ、貰ったはずの株が表示されていないと言われた。早速、一緒にE*TRADEに電話をした。このあたりはさすがネイティブスピーカーである。テキパキと質問をし確認してくれた。結果私の株がある口座のIDとPWをあらたに教えてくれた。アクセスしてみて驚いた。こんどは横浜在住の同姓同名の人の口座が表示され、そこに確かに私が貰った株がリストされていた。

 再度、同僚のアメリカ人がE*TRADEに電話してくれた。彼は、私の名前を伝え、これはまるでアメリカ人であればジョンとかボブといった名前と同様にオーソドックスなもの、どうして慎重に確認しなかったのかと抗議してくれた。電話口に出たE*TRADEのマネージャーは平謝りだった。万が一損害が出た場合は100%当社が弁償するとのことだった。それにしても(E*TRADEの口座はイスラエル企業米国本社が手配してくれたもので、私個人の希望ではなかったが)私レベルの英語力では海外に口座など持たぬ方が良さそうだ。今となっては笑い話みたいな話だが、同僚のお陰で事なきを得た。
 その後このイスラエル系企業が大手コンピュータ会社に買収された。特にお金の使い道があった訳ではなかったが、良いきっかけなので株を売却して全額日本の銀行に移した。スーパーカーの新車は無理としても、もしかしたら中古車なら買えたかもしれないが、そんな趣味はなかった。銀行に頼んで老後のために運用して貰うことにした。

 あれから40年というフレーズは「綾小路きみまろ」お得意のフレーズ。私の場合は、”あれから10年”。満期になる前にある出来ごとが起こった。90歳を超えてもなお元気だった母が亡くなったのだ。生前に公正証書を作ってくれていたが、母の希望は「お父さんが稼いで手にした土地(形)を残して欲しい」(一人息子の私に託す)と。亡くなってから分かったのだが、母は95歳まで長生きしたので終活として持ち物も預金もあらかじめ整理してあった。残った現金は自分の葬式代程度だった。特に私には不満などはなく、本人の意思を大事にしたいと思った。

 二人の姉のうち、離婚し精神的に不安定だった一人から異議申し立てが届いた。世の中には「争続」という造語もあるくらいだ。姉弟で揉めたくないので、家庭裁判所に「遺留分請求」の調停を依頼するよう伝えた。半年の調停後、所定の金額を払うことになったが、その時に前述のストックオプションが役に立つこととなった。というのも、私の居住地区、私たち家族が住み始めた50年前に比べると土地が値上がりしていた。ご近所でも、高齢な土地所有者が亡くなると相続の関係から売却せざるを得ないケースがほとんどのようだった。私が母の意思を大事にし土地を売らずに済ませることが出来たのは、このストックオプションのお陰だった。ただ結果としては、ストックオプションで手にしたお金はほぼ右から左へと消えていったが。

 人は私の住んでいるあたりの住民(女性)に対し「シロガネーゼ」と呼んでいるようだが、これをちゃかして私は「金がネーゼ」ですと言っている。不動産は持っていても、母の意思に反してまで売る訳にはいかない。金融庁が言うところの「年金+2000万円が必要」には届かない老後になった。まあ、健康ならば良しとしよう。

 ということで、10数年に渡ったストックオプション物語は終了した。


追伸:
 以前ホームコースのゴルフ場で知り合った人が、金融庁(財務省から出向)職員だった。彼いわく、「税務署くらいコスト意識が高い省庁はなく、コストに見合わないことはしないのだ」と。なるほどコストに見合うと思えばこそ私にコンタクトした訳だ。ところで、税務署に追加資料を提出すべく訪問したその日、帰宅してみると、この彼から「現在、アフリカで仕事をしています」とのメールが届いていた。よりによって、”この日”に3年ぶりのメールが届くとは 、なんという偶然だろうか。


 なんだか最近、いろいろなことが過去から現在へと繋がっていることを感じさせる出来事が続いてくる。そんなとし周りなのだろうか???


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