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280. 過去が押し寄せてきた・・Part II   ・・・ (2019/08/04)
 

 「年を取るということは自分の記憶の重圧に耐えることだ」。定かではないのですが、どこかでこんな文を読んだ記憶があります。

 以前、私の別ホームページ、「癒しの島、マナ島」復刻版にも書きましたが、旅行先に「フィジーのマナ島」を選んだのはほんの偶然のことでした。

 1991年、パソコンソフトが描く世界に夢を感じていた私は、胆石の手術で大学病院に入院し、ゆっくりと今後について考える時間が持てた。このことがきっかけとなり仕事(大学職員)を辞め、IT業界へ転職した。IT業界でのキャリアなど無い私が足がかりとして選んだのは業界団体。入ってみて分かったが、パソコンソフトについて詳しい人、夢を描く人などは誰もおらず、これで良く仕事が回っているなと感心するとともに、自分の立ち位置が決まった。
 事務局トップは(悪人ではないものの)とにかくいい加減な人。そんなだから組織はバラバラ。1カ月、とにかく人心を落ち着かせることにしたが、その間私のところに涙の訴えに来た人が数人いた。愚痴を聞いてあげることで溜まったそのストレスから逃れるべく、旅行した先がたまたまフィジーの離島、マナ島だった。ここにはまってなんと毎年、10年以上も訪問するリピーターとなった。


 で、本題に。私がここで「いい加減な人」と表現した人が今年3月に亡くなっていたことが先日分かった。恐らくは90歳前後であったはずだが、まあ好きなように生きてきた人だけに本望であったことでしょう。連絡してきた人によれば「偲ぶ会」を催すので、そこへのお誘いでした。

いろいろ考えた末、二つの理由から参加しないことに決めた。

1.今となってはどうでも良いことではあっても、もし振り返えるとなれば、私の口からは「惜しい人を失くしました」などといったコメントなど出そうになかった。そんな私が参加すべき場所としては適当ではないと思った。

2.別団体に移動するにあたり、後任(女性)は私自身が探して連れてきた。私のあとを後任がみごとにまとめあげてくれていた。そこには、もはや自分と繋がる人間はいなかった。

 私は業界団体にいる間に自分の夢を実現させ、更にその組織を足がかりに外資系IT企業に転身した。その間、後任は、なまじパソコンソフトに思い入れなどなかったお陰で(?)人を育てることに注力したようだった。


 別団体で働いた期間は3年半だったが、スタート時からこの団体に足りないものを探し、二人の部下(一人は派遣スタッフの女性)に手伝って貰い、矢継ぎ早に必要な策を実現していった。お陰で前任者が減らしてしまっていた会員数をスタート時にまで戻すことが出来た。言葉でいうと簡単なようだが、実際には落ちかけてきたバーベルを受けとめて、さらにそこから持ち上げるに匹敵する努力が必要だった。その分、やりとげた満足感は大きかった。

 ちょうどインターネットの流れの始まった時代は私をワクワクさせるに十分であった。年に1〜2回は会員企業の役員クラスを伴って米国ラスベガスの展示会、そしてシリコンバレーの企業訪問などを実現。私の企画した視察旅行、内容が良かったことは、日経新聞産業部の記者から「自分も同行させて貰う訳にはいかないだろうか」との打診を貰ったことからも証明された感があった。



 私がこの団体で一通りやってこれたことに満足を感じていたところに、東京事務所立ち上げ後のイスラエル企業から声がかかった。というのも、この会社(日本支社)、イスラエル人二人きりで立ち上げたばかり。シリコンバレー本社(R&Dはイスラエル)の社長が来るにあたって、会社と製品紹介の記者発表をしたいという。場所こそ彼らがアメリカンクラブに探してきたが、どんな案内状を作って、どんなメディアに送れば良いのか、まったくアイデアも人脈も持ち合わせなかった。ならばと、会員になってくれることを条件にお手伝いし、なんとかやりぬいた。その後日本支社長が、イスラエル人二人だけで会社立ち上げは無理なことが分かったので、一緒に日本支社の立ち上げをやって欲しいと依頼してきたわけだった。

 私が去ったあとの団体は、私がいい加減と称したトップが後任を連れてきたが、前任者である私が作ったものを次々に変えて行ってしまい、結果、なんのことはない再度の会員数の減少を招いた。最後には、当時有名だったインターネット関連団体に差し出すことで消滅した。



 偲ぶ会への参加打診が来るまで30年も前の話など思い出すことはなかったが、一旦、思い出し始めると、過去がどっと押し寄せてきた印象で、疲れを感じるところとなった。

 そこで思い出したのが私が30代に受講したある啓蒙セミナー(3日と半日で25万円)で教えて貰ったこと。その1つが「過去を事実と認めればそれで「完了」出来るが「未完了」 のままにしておくと、いつまでも思い出に蘇ってくるのだ」と。つまり、一旦思い出したものを、事実として書き出す作業が、私の過去を過去のものとして終わらせるための作業となるのだ。

 意図してきたわけでもないのだが、私がホームページを持っている理由の1つがこれだったのかもしれない。さっ、これで1つ終わった。
 




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