282. 参加しない理由を「斟酌」してみても意味などないのかも
・・・ (2019/08/18)
同窓会に誘う立場(Part I)、偲ぶ会に誘われそれを断る立場(Part II)
の両方を経験して感じたこと
最近、ひょんなことで小学校時代の同期会(クラス会ではあまりに参加者が少なくなっているもので学年単位で実施)の幹事を頼まれました。というのも、私のクラスは長い間幹事が不在であったこと、また、なにせ50年も前の話し、何人くらい来てくれるのかまったく予測出来なかった。
私がいたクラスは53名だったのですが(当時それが1学年で6クラスもあった)、小学校同窓会事務局が把握していてくれたのが20名分(男子13名、女子7名)でした。その名簿にもとづき往復葉書で案内を出してすぐに2名分が宛先不明で戻ってきてしまいました。また1月経った時点での返信率は男性13名分のうち半数だけでした(往復葉書で出したにもかかわらず、、、です)。
今でも卒業した学区域に住んでいる人もいて、たまたま、返事のなかった男性を町中でみかけた幹事仲間のひとりが彼に声をかけてくれたそうです。返事は「オレ、同窓会なんて興味ないんだよね」だったそうです。
私が幹事をひきうけ、小学校同窓会事務局と連絡を取る中で分かったことは、当時の担任だった人がこの2月に亡くなっていた(多分90歳前後)ということでした。私はこの先生を尊敬していました。私たち子供に対しても、一人の人格として扱ってくれたからでした。
しかし、同級生の皆が私と同じ感情を持っていたのかどうかは分かりません。もしかしたら、ある人は先生が苦手だったかもしれません。また、(担任のことではなく)同級生の中にキライな人がいたかもしれません。さらには、古希を迎えた現在、必ずしも良い状況ではないのかもしれません。
そこで思ったのです。同期会に参加しない人がどういう理由で参加をしないのかなど「斟酌」してみたところで意味などないのかもと。
曽野綾子さんの本のタイトルに「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」があります。(私がこの本を読んだ時の感想は「こちら」に)。
これをヒントとしてみると、いま私がすべきことは、参加したいと言ってくれた5人に「参加して良かったよ」と言って貰えるよう準備をすることだと思えました。
たまたま今回、双方の立場を経験して感じたことです。