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212. 人は生まれる場所を選べない ・・・  (2017/04/16) 


 前回の書き込みを読んだ知人からメールが届いた。「財政的に豊かな地域に住んでいると公共サービスも充実していていいですね」と。私としては、メリットあり、デメリットあり、と書いたつもりだったが、まあ現時点だけで捉えればプラスの方が多いかもしれない。

 そんな中で思い出したのが、10年以上前に知人から聞いたこの言葉。「人は生まれる場所を選べない」だった。彼、私よりもひとまわり若いが苦労人。訳あって15才で家を飛び出した。その後、自衛隊に入隊、そこで通信などの技術を学んだ。除隊後、一旦、IT企業に契約社員として勤めたが、まわりの同世代があまりに受け身で人生を過ごしていることに見切りを付け、小さいながらもソフト開発会社を立ち上げた。現在は、コンピュータ周辺機器を有効利用させるためのソフト、デバイスソフトを開発、またかつての自衛隊で覚えたのだろう、暗号化ソフト開発にも独自性を出している。



 その彼から聞いた話がこんなだった。彼が自衛隊の武山駐屯地(神奈川県横須賀市)で演習をしていた時の話し。塹壕堀りを命ぜられ穴を掘っていると視線の先にフェンスがあり、その先に国道が走っていた。さらにその向こう側に喫茶店があり、自分と同世代の男の子が若い女の子を連れお茶をしていた。
 私が「それを見てどうでした?」と聞いた。当然、羨ましかったといったたぐいの返事を期待したが、実際は意表をついたものだった。人は生まれる場所を自分では選べないので、たまたま自分はこちら側にいて、彼はフェンスの向こう側にいる。でも、それはたまたまであって、もしかしたら彼がフェンスのこちら側で塹壕を掘り、私がフェンスの向こう側でお茶をしていたかもしれない。ゆえに、フェンスの向こう側にいる彼を羨ましがる必要もないし、むろん自分をみじめと思うことも無い、と。


 そんなことも踏まえて書いたつもりが前回の「与えられた環境のなかで生き生きと」。今ある状況をあるがままに受け止め、そのなかで生き生きしていければと思っている。 




 時々自分が作成したホームページを見るが、ふと目にとまったのがアクセス数を表示するカウンター。30,000アクセスだった(2003年の公開から数え353,046アクセス)。・・・ 4月14日19時51分時点





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