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145.今年も「創業寺子屋熟」の講師を務めました  ・・・ (2013/10/03)

 こちらの講師をお引き受けするのも、今年で3回目となります。その前(3年前)には、私自身がこの「創業寺子屋塾」の受講生でした。それから起業し経験した苦労、失敗談をお話しています。1時間のお話しと、それに続く30分のQ&Aでしたが、部屋を出たあとも、おいかけてきてくれた方が何人かおられて、立ち話と名刺交換をしました。これからしても、そこそこ受け入れられたのかなと思っています。





 今回の講演の最後にまとめとして、お話したのは「定年後(特に中古車輸出という意味だけでなく)仕事をしていて良かったと思っています」とお話をしました。

 実利的には

−息子に尊敬して貰えました。
  そもそも、会社勤めの人間は、自分が一生懸命働く姿を家族に見せてあげる機会はまずありません。しかし、定年後の仕事では、自宅で仕事をしていますので、私が深夜まで仕事をしている後ろ姿が見えるので、家族が実感を持ってがんばっている私を見てくれたようです。もっとも、勤め人ではないので、12時間フルに働いている訳ではなく、午前中働いて、お昼御飯のあとは少々昼寝をして、なんて時もありますが(笑)

−銀行預金残高が横ばいになりました。
  定年後の心細さの最大の要因は、いくら退職金があろうとも、減ることはあっても増えることがないという事実にです。私の場合も、中古車輸出だけで生活が成り立つほどの稼ぎはないのですが、現状の年金とで、まあまあ横ばいを維持出来ています。つまり、うなぎのタレよろしく、継ぎ足し、継ぎ足しが出来ているお陰でカメに入っているタレ(預金)が減らないということです。

−名刺が持てる
  組織にいた人間が、定年後にさびしく思うことの1つがこれかもしれません。私のように仕事をしていれば(自営業ですから)好きなタイトルをつけた名刺を作れば良いだけですので。

−アンケートなど職業欄に「無職」と書かなくて済む
  別に40年も働いてきたのですから、定年後に無職になったからといって恥じることは何もないのですが、勤勉な団塊の世代ゆえ、無職と書くことにためらいはあるでしょう。その意味で、青色申告の小さな個人経営でも、「自営業」と書けます。人によっては、これもプライドを維持する意味で大きいものかもしれません。


 精神的には

−私にとっては、一昨年の心筋梗塞から退院し、翌年夏の富士登山。それとオーバーラップするものがあります。

 まあこんなストレスフルな仕事を続け、何が楽しくてやっているのか自問自答しました。多分(富士)登山と同じなのだろうと思います。登山途中はほとんどしんどいばかり。そんなしんどい中でも、登山道沿いの高山植物の花の美しさに感動したり、気象の変化に驚いたりもしました。(実は昨年の富士登山で、初めてブロッケン現象なるものを見ました。自分の影が目線の下にある雲に投影されていて、自分が手を振ると影も手を振ったことからも、自分が写っていることを実感し、感動したものでした)。

 今の仕事でも、日々のやりとりの中に、ちょっと楽しみが見つかればこそ、続けていける訳です。また(富士)登山同様、頂上へ到達出来た時の達成感、爽快感、満足感かな?と思っています。まずは70才までは続け、その後は体力、(狭い駐車場で中古車の移動をする必要があるので)車の運転能力との相談ですが、75才あたりまでかな?と思ったりしています。

 75才以降は、昔行ったフィジーや、コタキナバルへ夫婦で旅行をし、ゴルフをしたりして残りの人生を楽しみたいと思います。それまでは仕事、仕事。



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