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  9.11があったあの頃 ・・・ (2021/09/12)


 ニューヨークのジェイコブ・ジャヴィッツ・コンベンション・センターでは、その前の年も展示会 Internet World が開催されていた。この年は仕事としては行く予定はなかったので、ならば休暇を取って久しぶりにニューヨークにでも行ってみるか、、と考えた。

 あの日、テレビを見ていた娘が「父さんが行く予定にしているのはニューヨークだよねぇ?ビルが燃えてるよ」と。テレビを見てみるとワールドトレードセンターが燃えていました。その後の経過はご存じの通りです。

 ちなみに、ジェイコブ・ジャヴィッツ・コンベンション・センターは緊急支援物資の保管場所に。当然Internet World は中止となっていました。


 アメリカ・テキサスに住むかつての同級生のケリーとそんな話をしていると、彼が「せっかく休暇取ったのならばオレとキャンプに行かないか?」と。テキサスのローカル空港( abilene, texas )に到着すると彼がキャンピング・カーで迎えに来てくれていて、そのままキャンプに直行した。行先はBig Bend National Park他。途中、何度か検問があったりしましたが、東洋系の私を気に留める警察官はいませんでした。国立公園で見た満天の星、あれほど多くの星があるのを見たのは人生で始めでした。


 この旅行期間中に、入院していた父が亡くなりました。キャンプ場は携帯の電波が届かず、彼の自宅に戻ってきて初めてそのことを知りました。翌朝一番でケリーが飛行場に連れて行ってくれました。

 私自身にとっても、いろいろなことがあった年でした。






 アメリカがアフガンから撤退した。それまでに20年の年月と100兆円以上の戦費、2400人以上の米兵が死から生まれたものは何だったのだろうか。

 振り返ってみると、開戦当時の大統領であったブッシュ氏の演説からしておかしかった。ブッシュ氏いわく、アメリカが日本の軍事政権を倒したお陰で日本は民主国家になった、と。どうやらアフガンにも同様な期待を持っていたの?


  日本国内では、当時の軍事政権に反対する意見はあったが、政府に反対するタリバンのような戦闘組織の存在はなかった。戦後の日本人の動きを見ていると、「これからはデモクラシーの時代だ」と、新しい体制を日本人も歓迎し、ひたすら民生品の充実と、それを背景にした市民生活の向上を目指して活動した。

 どう考えても、日本はアフガニスタンのモデルにはなりえないのではないかと思えるのだが。まあ、そのうちに、どこかの研究者が理論的に説明してくれることと思います。それまで待ちましょうかね。






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