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 コップの水は飲まずに、溢れた分だけを飲めば良い ・・・ 『マルサの女』より


 タイトルだけ読むと、何のことだか分からないですよね。実はこれ、老後の生活資金のことを言っているのです。

 先日、高校時代の同級生T君とランチを一緒しました。彼の家のお墓は港区の麻布十番のとある有名なお寺にあるのだそうです。そんなことで、近場に住む私に声がかかり、一緒にランチをすることになりました。


 その時、私が同じ同級生S君から「(オマエが)自分には多少は蓄えがある」なんてオレに言うのはイヤミだ、と言われたことを話しました。
 私にしてみれば、多少の蓄えがあるのが普通で、定年して蓄えもないというのは心細くないのかなぁ、という印象だった。

 その彼は深川育ち、古い江戸っ子気質とでも言うのでしょうか「宵越しの銭は持たねぇ」という感じ。
 例えば、競馬で当たったら夫婦で「何に使おうか」と会話するのだそうです。
 彼、70才まで働いた後に定年となった。定年まで給料は下がっても、月々定額の収入があったため、定年後の生活をそれまで真剣に考えたことが無かったようだ。
 それが70才になって始めて考えるようになって、もしかしたら多少不安になったのかも?


 まあ、人に寄っても違うとは思いますが、私の性格では、競馬や宝くじで儲かったとしても「まずは一旦預金して、それから考えよう」言うでしょう(もっとも私は競馬も宝くじもやりませんが、、、)


 S君のことも良く知っているT君に、ランチを一緒した際に、意見を求めたところ話しをしてくれたのがコレだった。

 コップの水は飲まずに、溢れた分だけを飲めば良い

 彼のライフスタイルは、定年まで働いて蓄えた預金には手をつけず、定年後の働き(週5日午前中だけパートでマンションの管理人をしている、給料だけで日々十分生活出来るのだそうだ。

 私もそうだが、若い頃と違って我々の世代になると、あまり欲しいものもなく、日々の生活に必要なものの買付以外にはあまりお金は使わないのだそうだ。

 彼(奥さんも)、定年前は「銀行」に勤めていた。ゆえにこんな発想が出来るのだろうと感心したのだが、彼いわく、この言葉は彼のオリジナルではない、というのだ。

 なんと、1987年公開の映画、『マルサの女』に登場したモーテルの経営者(脱税していた)が言った言葉なのだそうだ。。

 ※ 『マルサの女』国税局査察部(通称:マル査)に勤務する女性査察官と脱税者との戦いを、コミカルかつシニカルに描いた映画。


 まあ、蓄えが有ればあるなりに生活すれば良いし、蓄えがなければ無いだけに生活すれば良いだけなのだが、私はT君が教えてくれたこの言葉、「コップの水は飲まずに、溢れた分だけを飲めば良い」に同感だった。
 シニアになって、大病でもしたらこの蓄えを取り崩せば良いし、特に大きな出来事もなく過ごせたなら、その蓄えは子供に残せば良いのだから。


 私の場合、お陰様で、定年後も(中古車輸出の)仕事を持っているし、年金も貰っているし、ローンのような借金もない。そんなこんなで、60才までに蓄えた資金には手を付ける必要は(有り難いことに)無かった。そんなことで私も彼のこの考え方に、無理なく同調出来そうだ。

 シニアの皆さん、皆さんはどんなライフスタイルでお過ごしですか?




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