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2007年10月14日  川上 義正さん 「週刊ゴルフダイジェストに紹介されました!」

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  <管理人>既にこのホームページに何度か登場してくださった川上さんですが、今度は週刊ゴルフダイジェスト誌に紹介されました。
       以下は、雑誌掲載のことを紹介させていただくにあたって寄稿いただいた一文です。

 

  動機と過程と結果(Plan-Do-See)


  私の生まれて始めての海外パックツアー、オーストラリア東海岸3都市巡りツアーが消化不良だったのだ。これがすべての発端である。

  消化不良とは、何から何までが旅行会社によってお膳立てされているからだ。起床時間、食事の時間と場所と料理の中身、買い物の場所、行く場所等々のすべてが決められているのだ。これらが見事に流れ作業のコンベアに乗せられているのだ。これでは遠路はるばるオーストラリアに来てもオーストラリアを知ることは出来なかった。自分の思いが表現されない消化不良の旅だった。退職後には時間は余るほどにある。この物足りなさを穴埋めするために、余るほどの時間を再度のオーストラリア行きに使ったのだ。

  そもそも、オーストラリアを選んだのには理由がある。海外旅行に行くとしたら、まずは英語圏からだと決めていた。なぜならば私が接していた外国語は中学時代からの英語であるからだ。確かに、言葉が分からなくとも旅行は出来る。現に、私の妻と娘はガイドなしでフランス、イタリア、スペインに行った。結果は楽しかったと彼女らは言っていた。しかし、喋れる旅行は楽しみ、喜びが倍々増すると私は思うのだ。口と目と耳があれば何とかなると私の母は言っていたことを思いした。

 

  私の旅行には「ゴルフ」という付帯条件を付けていたのだ。そこでパースから日帰り可能なゴルフ場はと、調べ上げたら30コース有った。それを初回にして、30コース中の20コースを回れたのだ。このまま10コースを残したのでは、また消化不良に陥るに違いないと思えた。30コース全部回れば、「パースのゴルフ場を制覇した」と言う満足感と達成感を味わえる。と言う訳で2度目のパースゴルフ場めぐりに続くのである。思いのほか容易に回れたこと、楽しかったこと、知れば知るほどに更に知りたくなることが私の制覇欲を駆り立たせ、「西オーストラリア」まで範囲を広げたのである。

  その影に、私には忘れてはならない恩人がいるのだ。名前は早川真由。彼女はパースで日本からの語学留学生に現地の学校を紹介する「マックスリンク」を営んでいる。英会話学校の体験入学を勧められたのが縁で私は彼女と知り合ったのだ。

  私は、はじめから何年計画と考えていたわけではない。5日間のパックツアーの消化不良を90日間で取り戻せれば良しとしよう、程度の気持ちで出かけたのである。私はゴルフクラブを当時流行のキャビティタイプに買い換えていた。帰国するときにはクラブを捨てるつもりで、パースにはお蔵入りした古いクラブを持っていったのだ。

  先に述べたように、残り10コースを回りたいな、とは思っていた。しかし、再訪となるとゴルフバッグの持ち帰りと、また持ってくることを考えると難儀だった。彼女との会話がゴルフに及んだときに、彼女が「主人と一緒にゴルフをしようかな」と言う。ところが、ご主人はまだクラブを持っていないとの事だ。そこで私が「私のクラブを使ったら? その代わりに私のクラブを預かって!」と私には渡りに舟になった。

  もし、クラブを捨てて帰国する羽目になっていたら2回目以降のパース行きがあったかどうかは疑問なのだ。彼女が私のクラブを預かってくれたお陰で、私の制覇欲は「西オーストラリア」まで膨張したのである。早川真由さんは忘れてはならない私の恩人なのだ。

 

 



<管理人>

Golfing Westralia
新風舎 ¥2,100

  雑誌にも紹介がありましたが、川上さんがあえて日本での知名度の低い西オーストラリアのゴルフ場を周り始めたのは、ちょっとしたきっかけ。それは日本人があまり行かないところを、だったようです。しかし普通に考えるなら、もし本当に"本を売りたい"と思うならば、その対象は"出来るだけたくさんの人が興味を持つ対象にすべきところ。オーストラリアには、日本人にも有名なゴールドコーストだってある訳ですから。このあたりに川上さんの「何かを残したい、それも人と違った何かを」、という思いを感じました。

  今回、この雑誌を読んでみて、更にその思いは強くなりました。それは奥様の病気。なんと川上さんが何度か目の西オーストラリアのゴルフ場行脚している最中に、仕事の関係で日本に残っていた奥様が発病したというのです。それも乳癌に。旅の途中にした1本の電話でそれを知った川上さん、さぞ驚かれたことと思います。しかし、奥様の「どうせ病院にいるんだし、帰ってきても役に立たないから、そのまま(ゴルフ場)を回れば」の一言で思い直し、その回の訪問予定(90日間)を完了させたわけです。その後、奥様は川上さんの望み空しく他界されてしまったのだそうです。そのことがあった後も、西オーストラリアでのゴルフ場行脚を続けている訳ですが、こうまでしても成し遂げたい何かを持てるなんてすごいですね。また、それを認めてくださっていた奥様もすごいですね。

  最後に。八王子でご本人にお会いした際にも感じたのですが、テーマを持っている人は生き生きとしているなということ。そのテーマは、何であっても良いのだと思います。その何かがあれば、川上さんのように、生き生きとしていられるのですから。今も夢の実現に向けている川上さんの姿はシニアの人たちの良きモデルになってくれることと思います。

 


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