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  都会の孤独死   ・・・ (2020/03/15)


 私は幾度かの転職を経験している。転職したからといって不便と感じたことはないが、しいて言うならば「同期」がいないということが唯一の欠落部分かもしれない。最初の会社の時だけは「同期」がいた。営業にいた私が仕事で困った時に、現場に行き「同期」に相談してみたりした。その時代、一番仲が良かったのがK君 。私が上司と性格があわず苦労した時には、彼と飲み屋に行っては私の愚痴を聞いてもらった。ちなみに彼は和菓子屋の息子、ともに下戸だったゆえ、徳利を2本注文しても飲み終えるのに時間がかかったものだった。

 その彼、K君 、新宿区の戸建てに住んでいたが、なんと孤独死した。

 私は彼と一緒にいた会社を3年半で辞め、26歳(石油ショックで日本経済が打撃を受けていた時代)でアメリカに留学した。K君は私が退職した1年後に会社を辞め、実家の家業である和菓子屋を継いだ。しかしせっかく継いだ店を数年後にはたたむことになった。というのも店舗は借家だったのだ。当時は、「地上げ屋」という言葉が流行っていた時代。土地のオーナーが、彼ら親子がやっている和菓子屋の場所を売りたい、ということで保証金(?)と交換に店をたたんだのだそうだ。しかしその数年後、保証金で余生を自宅で楽しく過ごしていたお父さんが亡くなり、しばらくしてお母さんも亡くなった。K君 、親が残してくれたものがあったのか、働くことなしに余生(というにはあまりに若かったが)をこの家で過ごしていた。

 彼、終生独身だった。特に性格が悪いわけでもないが、社交べたとは言える。特に人見知りするのでもないが、あらたな人間関係を作ることをとても面倒がった。片や私は留学から帰国し、結婚し、子供が出来たりと多忙な生活を送っていた。当時、彼と久しぶりにあった際に言われたのは、「オマエは人生を忙しく生き過ぎるよ〜」だった。たしかに長い余生を静かに暮らしていた彼にしてみてば、そう見えたのだろう。

 一度、前述の会社にいた時代の同期のM君の発案で、3人でランチを一緒した。その際も、外に出てくるように言っても、「あまり食欲ないんだよね〜」と渋った。最後には我々二人の希望に沿ってK君 の自宅近くのハンバーガショップに一緒してくれた。当時から食が細かったと記憶している。だからかは知らないが、私がぽっちゃり型なのに対し彼は細身だった。


 数日前にそのM君から電話があった。聞けばK君が昨年末に亡くなっていたとの手紙が彼のお姉さんから届いたのだという。M君、K君 のために何かしてあげたいという。というのも、M君もずっと独身で、母親を看取ってからは一人暮らしだったがゆえ、身につまされたようだった。
 遅ればせながら香典を送るにしても、K君がいなくなった実家に誰かがいるかは不明だった。幸い、K君とは幼馴染のS君がいることを私は知っていた。実は、世の中狭いもので、このS君、私の何度目かの転職した先で働いていた人だった。それでK君 とS君が幼馴染であることを知ったのだった。そのS君に状況を教えて欲しいと手紙を書いた。翌日このS君から電話があった。その内容が以下だった。


 12月始め、S君は、親戚が送ってきてくれたリンゴを近所に住む同級生のK君にも届けてあげようとした。しかし不在だった。翌日も行ってみたが家の中に電灯も点いていなかった。彼らはご近所同士でかつ幼馴染。幸い、双方のお姉さんも同級生なのでS君はお姉さん同士で連絡を取って貰って状況確認をしようとした。結果、K君 のお姉さんが訪ねてみれば、なんと弟は亡くなっていたというのだった。
 お姉さんとしても弟のことを心配していなかった訳ではなかった。連絡したいときには連絡がつくようにと携帯電話(PHS)を買って弟に持たせていたくらいだから。しかし、地上げで店をたたんでから定職に就いていなかったK君 、それでなくとも社交的ではない彼は、外との交流を面倒くさがった。亡くなる数年前から体調不良だったことが出不精に拍車をかけたのかもしれない。幼馴染のS君が誘っても外に出たがらなかった。


 そんなこんなを聞いて、かつて読んだ本、 岡本純子 著「世界一孤独な日本のオジサン」  のことを思い出した。この本の始めの部分にあった次の一節、”肥満より、大気汚染より、・・・、お酒より、あなたの健康を蝕み、寿命を縮めるものがある、それは「孤独」だ、とあった。今回のことを聞くと、まさにそのとおりになったようだった。


 余談だが、このストーリーに登場する、亡くなったK君、近所に住むS君、そして同期仲間のM君、いずれも独身なのだ。心配になってM君に「あなたは大丈夫なの?」と聞いたところ、彼が住んでいるのは戸建てではなく、マンションなのだそうだ。さらにマンションの管理組合の仕事もしているので、いやがおうにも人に会わざるを得ないのだそうだった。そんなことからすると亡くなったK君 よりはましな状況のようだった。


 なんとも不思議なものだが、これだけ人の多い東京で誰にも看取られることなく死ぬ人がいるなんて。

 私の母の時を振り返ってみると、老人福祉サービスがいろいろあり、昼間だけ高齢者を預かってくれるデイサービスや、独居老人の安否確認も兼ねて配食サービスというものもある。ちなみにこのサービスは、近くの公民館的な場所に給食センターから食事を届けて貰い、お世話係がそれに温かい味噌汁などを添え、高齢者に昼食を(数百円で)振舞うというもの。食事の栄養バランスへの配慮とともに、この場に来て貰うことで安否確認が出来るというものなのだ。

 「求めよ、さらば与えられん」というところだろうか。しかし、今回のK君 のように、求めてくれないとなんともやりようがない感じだ。




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