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83.定年後のリアル ―お金も仕事もない毎日をいかに生きるか ・・・ (2011/09/04)

【著者情報】
 勢古 浩爾(セコ コウジ)
1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に34年間勤務ののち、評論活動に入る。1988年、第7回毎日21世紀賞受賞。

【目次】・・・ 2010年1月出版
第1章 身分はただの素浪人

第2章 「リアル」も千差万別

第3章 もう六十歳とまだ六十歳のあいだ

第4章 なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい

第5章 さみしいからといって、それがなんだ

第6章 元気な百歳ならけっこうだが

第7章 貧乏でもほんわか生きたい

第8章 飄々と



 この本を買った理由は、「まえがき」に書かれた視点がユニークだったから。今までに、シニア向けと銘打った本を何冊か読んだが、勢古氏のような切り口で書かれた本は出会っておらず、とても面白かったのだ。

 まず、定年退職が近づいてきた人にとっての心配事は以下の3つ、という。

1.お金の問題 ・・・ はたして食べていけるのかという不安

2.やりがいの問題 ・・・ 「おれ、なにするかなあ」である

3.健康問題 ・・・ 60歳代ではまだ体は動く。が、いずれ切実な問題になることは必定

 ということで、これから定年を迎える人、もしくは、すでに退職をしてしまった人に向けて書いている。それも、著者の背景になる中小企業定年退職者としての視点で、である。(確かに、大企業を定年退職した人、それなりの役職にあった人(それなりの収入のあった人)にとっては、こうした本を読む必要はないのだろうから)

 さて、この著者、この3項目を書き出しておきながら、本書にはその「答え」はない、と言い切るのが面白い。続く言葉が、

 わたしは読者に喧嘩を売っているのではない。だれかに自分の人生の「答え」を求めるようなことは、いい加減にやめにしましょう、といいたいだけである。あなたの方が彼ら(有名人や学者など)より、生活者としてはよほどまとも、ということはあるのである。どこまで行っても、あなたの老後であり、あなたの人生である。自分で考えるしかないのである。

 これがこの本のタイトル「自分のリアル」という言葉につながる訳だ。つまり他人の経験なんて所詮、他人の経験で、定年者が考えなければならないのは個人の問題、つまり「自分のリアル(現実)」を見つめるしかない、というのだ。

 そして最後の章で著者はこう言っている。

 いまさらこんなことをいうのもなんだが、定年後はどう生きていけばいいのか?などという問いは、自分の内部だけでしか成立しない。他人に訊くべきことではない。で、でてくる答えはひとつである。「好きに生きよ」である。「好きでなくても、今の生活しかないのなら。それで生きよ」である。

 せっかく、長年の会社勤めから自由になったのだ。流行の言葉でいえば、今こそ思い切り「自分らしく」、好きに生きればいいのである。



 この話し、目からウロコ、というよりは、やっぱそうだよねぇ〜、という印象でした。私ごとで恐縮だが、1976年、米国が建国200年を迎えたその年に、1年間アメリカで過ごした。アメリカ国内に親戚もなく(その後、友人は沢山出来たが)、何かの時に頼るものはお金だけだと思った。 
 渡米した当初は英語もまともに出来ず、毎日が解決しなくてはいけない小さな出来事の連続だった。そんな中で思ったのは、「自分の人生は自分で作るしかないのだ」というしごく当たり前のこと。そのことが分かるまでにさほど時間を要しなかった。

 そんな私もこの渡米以前は、どちらかというと女姉弟の末っ子で、「へなちょこな都会ボーイ」だった。この1年が、その後の私の生きる上での考え方を大きく変えさせた。とても良い人生勉強の1年だった。


 急に話しは変わるが、サンドイッチショップ、サブウェイをご存知でしょうか?まずはこちらをご覧ください。






 以下は IT 関係の仕事をしていた時代のお話し。米国西海岸で行われたインターネット関連のイベントとシリコンバレーの企業を視察するグループのリーダとして渡米した時の話しです。

 ちょうど午前中の企業訪問を終えたので、バスの運転手さん(米国人)に、どこかでランチをしたいので案内して欲しいと頼んだ。連れていってくれたのがこのサブウェイだった。上の絵を見ると分かるように、まずはどんな種類のサンドイッチなのか。次に、パンの種類と長さを選びます。次は野菜の好き嫌いがあるといけないので(例えば、玉ねぎとかピーマン?)何を入れて良いのか悪いのか、そして最後のドレッシングは何にしますか(辛味ソースを入れる、入れない、など)?を店員から矢継ぎ早に聞かれる。店員にしてみれば、客の好みは一人一人皆違うので、サービスの一環として、1つ、1つ、丁寧に確認し、客の好みに沿おうとしてくれる訳だ。

 英語の問題もあったのでしょうが、その時の視察メンバーのお一人(最年長)から、こう聞かれました。「○○さん、ここには定食というものはないのですか?」と。


 ※ 日本サブウェイでは、ご注文に迷ったら「おまかせで」と申しつけてください、とある。日本出店に際して考えたのだろう。


 ふとその時のことを思い出した。私は単に教育の違いだけ、と思っているが、自分らしく好きに、が出来にくくなっているような気がする。小さな親切、大きなお世話、という言葉があるが、まさに日本における(学校、社員)教育は、定年後の自発的な生き方を疎外していると思う。というのも、私が定年になって一番苦労したのは、自分は何をしたいのだ?を探すことだったから。


 最後に補足しますが、このお話し、どちらが幸せなのか、ということとは全く別の次元のお話しですので。




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