帰国後からハローワーク通いが始まりました。その時点で、実は3つのパターンを想定して模索を始めていました。
1.IT企業で働いてきたその時代の人脈を辿って、どこかに働き口を見つけること。
2.ハローワークで、新しい出会いを見つけること。
3.人を頼らずに自分で仕事を始めること。
の3つでした。まず、1番目ですが、丁度前年の2009年の暮れ頃は不況のまっただ中、在職中に「定年になったらうちに来ませんか?」と声をかけてくれていた人もいたもので、それを当たってみました。しかし前述のように、不況のまっただ中、採用どころか人減らしをしたいのが実情のようでした。
いつまでも、そうした過去の人脈にしがみつくのは、自分らしい生き方ではないので、ならばと失業保険の受給と並行して、ハローワークのデータベースから、何か自分がやりたいと思えることを探すことにしました。データベースから検索、といったことはIT企業にいたこともあり、さして難しいことではないのですが、なかなか自分の思いにフィットするものはありませんでした。
前述のように、私は早生まれゆえに、定年後の職探しの点では、かつての同級生達が先行していました。そんな彼らから聞いたのは、挫折感と混乱でした。理由は、「
高年齢者雇用安定法の改正」にあるようでした。この改正は、急速な高齢化の進行等に対応し、高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため、事業主は、(1) 定年の引上げ、(2) 継続雇用制度の導入、(3) 定年の定めの廃止、のいずれかの措置を講じなければならないこととする、ということなのだそうです。
同級生たちは、ハローワークのデータベースから、これはと思うものに応募書類を出すのですが、上記の国の施策とは関係なく、個々の企業の本音がありました。書類上は国の指導に従って、年齢不問となっていたとしても、雇用主としては本音としては、より若い人を雇いたい、ということのようでした。そんなことで、希望を持って応募した同級生達は、出しては断られの連続だったようでした。不採用通知が来るならばまだ良いそうで、梨の礫(
なしのつぶて)、というのも多かったそうです。私としては、これを聞いただけで、ああ、これにしがみつくのはよそう、と思いました。
ハローワークでは、別途相談員による相談窓口も設けてくれています。そこで知ったことが2つ。1つが「
東京人材銀行」のこと、もう1つは、相談員の人が持っているCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)という資格のことについて、でした。
「東京人材銀行」は、管理的・技術的・専門的職業について、求人・求職の受付及び職業相談・紹介を行っている機関で、東京で言えば有楽町にありました。贅沢な、と言われてしまいそうですが、今ひとつコレと思わせる対象が見つかりませんでした。
さて、もう一つの方、CDAについてインターネットで調べてみると、国家資格ではないのですが、転職を始め、仕事全般についての相談に乗ってあげるための基礎を勉強し、それを職業とするための認定試験からなっていました。私自身、転職経験7回という経験から、もしかしたらこの資格を持つことで何か人の役に立てるのでは?と思い、ある学校へ通うことにしました。
3ヶ月の通学のあと、資格試験も受けてみましたが、試験の方は起業のタイミングとも重なったもので、試験は通過することが出来ませんでした。しかし、この通学の期間に得た最大のモノは、自分が何をしたいのかが明確になった、ということでした。
前回ご案内した、創業「
寺子屋塾」へは、自分自身2010年の講座に参加していました。参加してみて感じたのは、創業・起業以前に、自分が何をしたら良いのかが分からない人が圧倒的に多かった、という印象でした。
考えてみれば、そんなものかもしれませんね。人が、一番知りたいことは「自分のこと」であり、また一番分からないのも「自分のこと」なのだと思います。それゆえに、「銀座の母」とか「新宿の母」なる人たちがいて、彼女たちのところへ行く人の多くは、「私はいつ結婚出来るの?」とか、「私の未来はどうなるの?」とかいった自分自身のことを聞きに行くわけです。そうなんですね、一番分からないことって自分のことだし、一番知りたいのも、自分のことなんですね。
ということで、60歳で何をしようか考える時は、まず自分が何をしたいと思っているのか、何をしたら満足感が得られそうなのかを、煮詰めておくことがスタート地点に立つことになりそうですね。
次回は、私が今までとは全く違う分野の現在の仕事を始めた経緯についてお話したいと思います。では。