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45.定年ストーリー、「昨日・今日・明日」 ・・・ (2009/10/11)

    ヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画に、同タイトルの映画「昨日・今日・明日」がありました。
      出演はソフィア・ローレン, マルチェロ・マストロヤンニです。


  団塊の世代、中学校の同級生が3人集まりました。面白いことに、一人は定年したばかり(航空会社定年のA君)。そして私は、今まさに定年で辞めるところ(外資系コンピュータ関連の私)。最後の一人(大手光学機メーカーのB君)は来年、年明けに定年を迎えます。

  我々二人が感じていることを語り、これから定年を迎える友人に伝えようということになりました。


今回の内容とは何も関係はないのですが、たまたま集まったのがこのお店だったもので。
ちなみに、ここのカレー料理はとても美味しいです。もしご興味があれば写真をクリックしてみてください。



さて、先行の二人が何を感じているかをまとめてみると、こんな感じかもしれません。

  不安なこと

1.毎日職場へ行くことがあたりまえで、何をするかに迷うことはなかった人間が、「行く場所」と「やること」を失うことへの漠然とした不安感。
  確かに私は10年前に外資系企業の宿命で、半年ほど仕事にブランクがありました。毎日昼寝が出来ていいな、と思ったのは最初の1週間だけ。あとは、「昼間からこんなことをしていていいのだろうか」と不安感がつのりました。ですので、定年になったら多分こうなる、というあたりについても想像が出来た訳です。

2.収入が無くなることの不安。商売人と違ってサラリーマンは、家庭において、あまり資金繰りなどは考える必要がありませんでした。
  毎日、必要なものは必要なものとして使っていましたが、それは、あたりまえのことですが、毎月給料は着実に入るから安心して出来ることなのです。それがある時から給料が振り込まれなくなった時に気がつくのですが、収入は無くなっても、支出はきちん、きちんと出て行く、という現実です。これに気がついた時、別な不安が始まります。

3.何の組織にも属さないことへの、漠然とした不安。名刺が無くなると、自分の存在まで無くなってしまったような気がする訳です。
  ちなみに、たとえ話に、「定年になっても、毎日、奥さんにお弁当を作ってもらい、毎日、日比谷公園へ行き、鳩にえさをやって夕方まで過ごす」というのがあります。これほどではないにしても、先に定年している友人のA君は、定年になっても通勤定期を買って、毎日ではないけれど千葉から東京まで出て来ているという。名刺も、「個人用のものを持っているのでは?」と思い聞いてみると、やはりその通りでした。


 恐らく程度の差こそあれ、定年された皆さん、同様な不安を持つのではないでしょうか。


 定年問題を論ずる時に計画しずらい要素が寿命。退職金などが手元にあって、それをいったい何年間で使うと想定すれば良いのか。この計画の分母(余命)が決まりません。また、今までの生活は維持したいけど、レベルは落としたくないと思うのも当然なこと。

 過去あった事例としては、野村監督の奥さん、野村沙知代 氏が脱税をした際の説明がそれでした。ご主人が現役を引退したあと、老後のことが不安で脱税したのだとのこと。あれだけ稼いでいそうな野村夫婦でもそうなのですから、我々サラリーマンに不安がない訳がありません。

 別な例を紹介しますと、ある大手企業の系列会社の社長さん。私がある方の紹介でお会いし、ゴルフを一緒した時は「ベンツ」でゴルフ場まで来ていらっしゃいました。それが、顧問を経て、最終的に完全に引退された後でゴルフに一緒した際には、国産中古の「バン」でゴルフ場へ来られていました。やはり定年になって、節約をしなくては、との思いがあってのようでした。とても会話の楽しい方で、ゴルフをいつも以上に楽しいものにしてくださっていたのですが、いつしか疎遠になってしまっています。とても残念です。



 さて、話しをもとに戻しますが、集まった3人の友人の中で最初に定年を迎えたA君。エンジニアとして40年近く勤めあげました。とにかく仕事が好きで、若い頃、あまり残業をするものだから、組合から彼の上司にクレームがついたようです。そんな彼ですから、定年になってからの落差には大きなものがあったはず、と推測しました。

 彼に、「これをやっていると幸せ、と感じるようなものはない?」と聞きました。私としては、当然仕事以外、例えば趣味に付いて聞いたのですが、彼は、「仕事が好きで、仕事(機械との対話のようなこと)をしている時が幸せだった」と。私のような、いい加減で、遊ぶのが好きという人間と違って「こりゃ〜重傷だわ」と思わせるものでした。

 確かに、定年まで続けていた仕事のように、大きな収入にならなくても、何かゴルフ代くらい稼げるものがあると良いのですが、私のような転職経験豊富な人間にとっても、この「これをやっていると幸せ、と感じるようなもの」というものは、いざ聞かれてみると、すっと言葉になって出てこないものですね。


 いろいろ3人で話した中から、こうしたらよいのかも、と思われるのが以下です。

1.映画「最高の人生の見つけ方」ではありませんが、定年前にこの映画のストーリーのように、幸せ探しをして、死ぬまでにやっておきたいことのリスとを作ってみると良いかもしれません。

2.余命が決められない以上、何か毎月少額でもいいですから、気持ちの支えになるような収入源を用意すること。以前、私が借りていた駐車場のオーナーがそれでしたが、家を建てた時に床を1フロア分高くして、1階部分を駐車場(5〜6台分)にして、毎月の収入を確保し、定年後も好きなゴルフを続けていました。これなどは、定年のずっと以前から考えていないと出来ないことですね。

3.社外に人脈を作っておくこと。私以外の二人は、日本でも有数の大企業に勤めています。社内にいろいろの人材がいますので、人脈的にはその中で十分満たされたのかと思います。しかし、定年でそこから離れてもなお、それらを維持出来るのかは微妙です。むしろ、地域とか、趣味の繋がりとかで、会社組織とは別な人脈が、役に立つ時があります。


 私などは3番目に助けられています。近年は、一般に大手企業と呼ばれるもととは縁がありませんでした。しかし、人脈だけは結構持っているかな、と自分でも思うものがあります。この夏の定年旅行(学生さんの卒業旅行みたいなもの?)をしてきました。仕事を通じて知り合ったフィンランドの国会議員の方を訪ねての旅行でした。


 今、次の仕事を模索している中で、今度は米国留学中の同級生との縁で次が見つかりそうなのです。彼はアフリカのある国の富裕層の子息。アメリカに留学して私と知り合ったのですが、彼はその後もアメリカで仕事を続け、同国人の奥様との間にはお二人お子さんもいました。彼の近年の仕事は証券関係だったのですが、ある日彼からのメールによれば「アメリカは疲れたよ」でした。きっと私などには想像出来ない苦労があったのでしょう。

 彼は家族ごと帰国を決意しましたが、既にお姉さんが先にアメリカからアフリカへ帰国してビジネスをしているのもあってか、彼も帰国してビジネスを立ち上げるとのこと。それが、たまたま「日本」とからむ仕事だったもので、ならばと私がジョインすることになった、という訳です。


 さて、こんな具合ですので、周りの人は私に、「○○さんは顔が広いですねぇ」と言ってくださいます。しかし私にしてみれば、人間が一生の間に出会える人間の数なんて、そんなに大差ない、と思っています。違いがあるとすれば、一度繋がったご縁を、細くてもいいから、長いお付き合いへと繋いでいくマメさでしょうか。


 さて、さて、以前書いたことの繰り返しですが、定年は義務教育である中学校を卒業すること(子育てを終了し、住宅ローンを払い終える)です。高校進学(60歳を過ぎての就業)は義務ではありません。であればこそ、いままでの仕事とは違って、好きなこと、やっていて楽しいと思えることをしたいし、するべきと思っています。

 これをお読みの方で、これから定年を迎えようという人の、何かの参考になれば幸いです。 <50歳からの手習いゴルフ、管理人>




<編集後記> 何の悩みでもそうですが、悩んでいる時は「一人で抱えないこと」です。考えてみると、私なども定年時の不安をこうして中学時代の同級生とシェアしたり、インターネットホームページに綴ることで解決している部分もあります。

 既に定年された先輩方には、「ああ、あの時はこうだったな」と思いあたる話しもあったかと思います。そんなお話しを、これから定年を迎える人たちにシェアしていただけると嬉しいですね。




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