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43.定年のご挨拶状が届き始めています ・・・ (2009/09/06)

  昭和24年生まれは今年定年を迎えます。私は早生まれ、(昭和25年2月)なもので、彼らの身の振り方を、心配とともに、自分はどうすべきか考えながら見守っているところです。 この1〜2週間に、数件、ご挨拶状をいただきましたが、紹介します。。なお、以下○○となっている部分は、具体的な社名が書かれている部分ですので伏せ字といたしました。


 中学校時代の親友で、何よりも仕事が好きという彼。若い頃、あまりに熱心に仕事をする(残業をする)ものだから、組合から彼の上司にクレームが来たほど。(笑) クラス会でも、いつもすみっこで、ニコニコしながらウィスキーの水割りを飲んでいました。「大丈夫、楽しんでる?」と聞くと、「楽しんでますよ」と返事する寡黙な人です。

 
拝啓 残暑の候 益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、私ことこの六月末日をもちまして(株)○○○を定年退職致しました。1968年に入社以来四十二年余り、○○部品整備、○○整備、計量管理の業務に携わってまいりましたが、皆様方のご支援とご鞭撻により大過なく過ごすことが出来ましたことを感謝申し上げます。

今後も健康に留意し、新たな時間を過ごしてゆきたいと考えております。

末筆ながら皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げまして退職のご挨拶とさせて戴きます。




 前述の同級生に紹介された人。40歳を過ぎて私がIT業界に転職した時に、いろいろ教えて貰いました。 ご本人、定年延長は望まず、60歳から再度、何かチャレンジをしたい、という元気な人です。


拝啓 秋気の訪れを感じるようになりましたがますますご壮健にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。

さて私儀 お蔭様で本年8月21日をもちまして元気に還暦を迎えることができました。還暦を人生の節目として、このたび8月20日をもちまして、
(社)○○○○○○を退職いたしました。

思えば(社)○○○○へ入社以来、当時(財)○○○○、(社)○○○○など約40年の長きにわたり、微力ながらIT産業の振興に努めてまいりました。この間、大過なく勤務できましたことは、ひとえに皆様のお陰の賜物と深く感謝するしだいです。

なお、引き続き生涯スポーツの振興および政界のお手伝いをはじめ社会貢献をする所存でございます。
今後とも一層のご指導とご厚誼を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

未筆ではございますが皆様のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、
お礼かたがたご挨拶とさせていただきます。

敬 具



 こちらは大学時代の友人で、年上なもので、定年では私の先輩。現在は風光明媚な神奈川県のある町で暮らしています。楽天グリーティングカードを送ったら届いた返事が以下でした。


 ご無沙汰しています。きれいな絵と音楽のレターで癒されるようですな。定年を迎える時に、いろいろな思いを巡らせ、決断がつかなかったり、迷ったりの日々を思い出します。結果的には、まあまあ、良い線を経てきているのではと、満足をしているこの頃です。

 (・・・・ 現在の仕事の話し ・・・)

 したがって、昼過ぎまでは毎日海を眺めながらパソコンに向かっており、飽きると家庭菜園や庭の手入れ。ヨガにワイフとでかけたり、合気道にでかけたり・・・。金銭的には、やや窮屈ですが自由度は高く、専門知識を生かして勉強が中心の生活で言うことありません。すべて、ネットで探し得た仕事です。ありがたいことです。更なるネットの生かし方もあると思うのですが、お知恵を拝借したいですな。では、また。お元気で。





<管理人>

 前にも書いたかと思いますが、60歳での転身は、さしずめ「中学校」から「高校」へ進学するようなもの、と私は思っています。確か高校の進学率が、いまや90%超 だったかと思いますが、同様にに、60歳で何もしないということは考えにくく、多くは何かを始めることでしょう。

 中学までは(60歳までは)、「親が行けというから」とか「義務教育だから」とかいう理由で学校に行っていたかもしれません。しかし高校は(60歳からは)、基本、自分が行きたい、と思う方向へ行けば良いのだと思います。

 これからは、お互い、好きなことをやって”楽しく”暮らして欲しいですね。




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