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296. あらためて私の定年起業はこんな感じでした  ・・・ (2020/02/16)

 


 数日前にやりとりした事務局の方とのメールによれば、当初25名を考えていた受講希望者が、あれよという間に増えてしまい40名にもなってしまったと。当然部屋のサイズの制限もあるのでそこで締め切ったのだそう。

 また今回は、いつもと受講者の構成が違うのだとのこと。従来ならば30代、40代、そして50代と世代の巾があるところですが、今回は50代の参加希望者が多いのだとか。そんなことで私の起業事例紹介も少しだけ話の内容を調節することにしました。(まずは結論を初めの部分で簡単に説明してしまうことに)



 私は転職経験が豊富で47才からだけで三度(4社)転職しました。いずれも相手の会社の社長と面識あっての転職ゆえ履歴書は求められませんでした。(採用されたあとで人事担当から求められて履歴書を出しましたが)
 で、相手企業の社長から私が依頼されたのは、会社の立ちあげ(外国企業の日本支社)、もしくは立て直し(海外本社の都合で買収した相手先の日本子会社を)と。とにかく毎日が充実していました。定年後のことを漠然と考え始めたのは50代半ばあたりからでしたが、平日に時間が取れなければ具体的な動きはとりようがなかったですね。


この時点では、まだどこかに勤めるつもりでした

 さて、定年なってですが、私、何度も転職をしていたにも関わらず、いつも次が決まっていた中での転職だった為「失業保険」は貰ったことがありませんでした。定年後、職探しがてら初めて失業保険を貰いに品川駅港南口にあるハローワーク通いをしました。
 IT企業にいましたので、IT分野であれば人脈もあり、60才以降の職探しも楽だったかもしれませんが、せっかくの神様から与えられたチャンス(?)、何か今までとは別なことをしたいと考えてのことでした。しかし結果としてハローワークでは次の仕事を見つけることが出来ませんでした。 
 あとで、かつてハローワークで働いていたことのある方に聞いたところ、すべての求人希望企業に「年齢不問」としておいて欲しいとお願いをしていたとのこと。勿論、実際に求人をしている企業としては、より若い世代の人を採用していたにもかかわらず、です。


きっかけはある行動から

 現在の中古車輸出に繋がったのは、定年後、米国留学時代の同級生を尋ねてアフリカ・ガーナへ行ったことがきっかけでした。アフリカでは日本製の中古製品がとても人気があり、ならば何か中古製品を扱う「貿易」をしようと考え始めました。(最終的にそれが中古車輸出という仕事に繋がるわけです)
 そんな経験があって、いつも講演でお話ししているのは、「迷うより、悩むより、まずは行動を起こしてみて!」です。

 とまあ、定年後に自分で事業を起こしたのは、私を雇ってくれる会社が無かったから、という、何とも”非積極的”な動機からでした(笑)


始めることも大変でしたが、継続することはもっと大変でした
           ・・・ 吉田沙保里さんが、どこかのコマーシャルの中で言っている言葉と同じです。

 そんな動機でスタートした中古車輸出ですが、なんと10年も続けてこれました。その間に知り合った同業者は3〜40人いましたが、皆、この10年の間に撤退(サラリーマンに戻る)、もしくは業態変更(輸出は儲からないと、国内販売に切り替えるなど)していきました。

 振り返ってみて、私の一番の取り柄は何だったのだろうかと考えてみると、それは仕事に必要な人脈作り(この場合は海外と)が上手かった、ということかもしれません。

 

まとめ ・・・ まずは、思うこと、そしてそれを行動にすること

 私は定年を機会に、それまで何の経験もなかった中古車輸出の分野で事業を始ました。その時考えたのは、

@自分が楽しいと思えそうな仕事を選ぶこと。

A自分は60才、減価償却を終えた機械設備みたいなものなので人件費は0円と考えること。

B高い売上げ目標などは設けずゴルフ代が出れば良いというくらい大らかに考えてスタートする。(ピーク時には2000万円を売り上げたが)

 そんなスタートだったので屋号も”ローガン(老眼)モータートレーディング”としたのでした。

 


 


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