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283. 単騎待ちをするから上がれない?  ・・・ (2019/08/25)

 私は麻雀はやらないのですが、この用語だけは知っていました。麻雀において、和了(アガリ)に必要な牌が残り1枚となった状態のことだそうですね。

 中古車輸出の仕事を始めてみて、どうしてもリスクとして抱えざるを得ないのが、在庫リスク。この車種なら売れると見込んで仕入れ、ネットで告知しても反応が来ない時もある。そういう場合はどうするか?仕入原価を切ってでも、いわゆる「損切り」しないと、更に傷口が広がることになる(保管料がかさむからだ)。2010年に中古車輸出の仕事を始めて以来、ずっと在庫リスクから逃れたいと考えてきた。

 それが実現したのが、ウガンダにパートナーが出来た時だった。彼との関係をつくるべく、身元引受人になり、彼を日本に呼んであげた。アフリカの人は、来日しても、その後行方不明になってしまう人が多いようで、在外日本大使館も、おいそれとVISAを発給してくれない。ウガンダの日本大使館と電話で話すなどして、ようやく彼のVISAが降り、来日が出来た。そんな苦労をした彼とのビジネスもウガンダの経済状態の変化で3年で終わった。

 次はニュージーランド向けの輸出だった。中国人ディーラが何度か日本に足を運んで、当初は自分で日本に銀行口座を開いて、日本の中古車オークションに自ら加盟するつもりだった。しかし、いづれも非居住者では対応して貰えなかった。そんな経緯から彼に頼まれて私が日本での中古車調達の代理をすることになった。いまはインターネット時代なので、またニュージーランドと日本は時差が少ないので、彼が日本の中古車オークションをネットで調べ「いついつ開催の」「○○オークション」で「出品番号○○」の車の買い付けをして欲しいとメールで依頼してくるようになった。

 ウガンダのパートナさんとのビジネスをしていた時は、まだ在庫販売の部分(ウガンダ以外に買い手を見つけるビジネス)が続いていたが、ニュージーランド向けでは完全に在庫販売の呪縛から解放された(無在庫販売に)。もっとも良いことはそうそう長続きしないもので、これも3年で終わった。というのも、ニュージーランドにいる彼、別な方法で、より安く仕入れる方法をみつけ、そちらに切り替えたからだった。

 昨年は、ある方を介してモンゴル人ご夫婦を紹介された。なんでもモンゴル向けに中古車輸出をしたいのだとか。モンゴルは近くて遠い国(アフリカよりもずっと近いが、相撲取りにモンゴル人が多いこと以外は、ほとんど何も知らなかった)なんとか実現し、仕事にからめてモンゴルに行ってみたいと思った。
 奥さんの方は日本の某大学の大学院まで出ている人であったため、私が中古車輸出のポイントをまとめ、また業者さんとのやりとりなども実地でお見せすると、それらをどんどん吸収していった。半年かけてご指導した昨年秋口、私がお教え出来ることはほぼ教え切った感があったので、ならばこれから買い付けを開始しようという段になって分かったことがあった。あまり日本語が話せない旦那さん(庭師の仕事をしている)と、小さなお子さんがお二人いて、生活資金で手いっぱいで事業資金までは手が回っていなかったようだ。
 これは私のミスでもあるが、最初にきちんとヒヤリングしてから指導をスタートすべきところを、紹介者がきちんとした方だったもので、思いこみ違いをしたことによるものだった。


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 「60歳の壁」で著者の植田氏が書いておられたことが蘇ってきた。

 軍資金を準備する
 お金が全然ない状態で新たな仕事に挑戦すると、仕事を立ち上げた翌日からいきなり売り上げを立てるプレッシャーに苛まれ、将来に向けてのビジョンの達成よりも、明日のパンが大切になってしまう。ゆえに、ある程度の軍資金が必要、と。
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彼はアメリカのパスポートを持っていたお陰でVISA無しで来日出来た

 とまあこんなことで2018年は、目立った輸出実績もなく終わってしまったが、次が難しかった。困った時の友達頼みと期待していたアメリカ留学時代の同級生(ガーナ人)が、昨年から離婚裁判で時間を取られているのだ。奥さんもガーナ人だが、聞けばガーナの銀行家の娘さんなのだとか。彼が(不動産)ビジネスでそこそこ成功していたもので、親戚から知恵を付けられたようで「財産はきちんと分けて貰っておけ」と言われていたそうだった。彼自身は、アメリカ生活30年、もう十分仕事もしたし子供も大きくなったので、ガーナに戻りたがった。そんなあたりも夫婦のすれ違いの要因になったようだった。

 結局、別れることになった。それまで住んでいた戸建ての家を彼女と娘のために残してあげていたが、まだローンが残っていたようだ。しばらく後に聞いた話しでは、奥さんの稼ぎだけではそのローンが払いきれず結局人手に渡ったようだった。
 私も詳しくは知らないのだが、アメリカ、特にカリフォルニアでの離婚裁判では、思いのほか女性側の地位が高いようだ。あらためて奥さんが裁判所に訴えて、生活費などを追加要求した。日本でも同様だが、裁判にはことの他時間のかかるものだ。結果、彼はガーナでの仕事を放りだして、カリフォルニアに通算1年くらい戻っていなければならなくなった。彼は慰謝料を払うために、ロサンジェルスに多数所有していたアパートを売った。このことから今度はカリフォルニア州の税務署への手続きまでもが必要となり、さらに彼のアメリカ滞在期間が増えることとなったようだった。

 元奥さん、かなりねばったようで、ついには裁判官が「次回で最後にしましょうね」と言ってくれたそうで、彼もこの言葉で救われたようだった。ガーナ人の彼、ようやく私が提案する中古車輸入の話しに乗って貰える気分になってくれたのが今年(2019年)の夏だった。ただ、裁判費用(弁護士への謝礼)などでことのほかお金を使ったようで、当初欲しがっていた日本製のSUVの話しは飛んでしまい、現実的なところで「軽トラック」2台を輸入してくれることになった。(多分、1台は自分で仕事に使い、もう1台は売って費用補てんに使いたいようだ)

 どこまで本気なのかを確認したく、彼に「日本は10月から消費税が上がるから、もし車を買うなら9月までがいいよ」と伝えてみた。これにはきちんと(?)反応してくれ、9月中に購入し、私がガーナへ輸出することで方向がまとまった。もっとも海外との(特にアフリカとの)ビジネスは、入金するまで分からないが、、、。




「単騎待ち」

 70才が近づいていたこともあり、再び在庫販売には戻りたくなかった。ならば廃業する前にやることは、根強い購入希望を私に伝えて来てくれるガーナの友人の要望には応えたいと思った。彼にも伝えたが、別に仕事の関係があろうがなかろうが、友達であることは何も変わらない、と。ただ、仕事の関係が無くなると、私がガーナに行くことももう無くなると伝えた。どうやら、彼も、お互いに、日本とガーナを行ったり来たりをもうしばらく続けたいと思ってくれたようだった。持つべきものは友達だ。

 次のビジネス候補を常に複数持つようにすればブランクの期間など持たなくて済むのだろうが、ニュージーランドとのお仕事以降、モンゴル、ガーナといつも単騎待ちだった。結果、それが上手く動かないと仕事なし状態になってしまう。私も年明けで70才、途絶えてしまえば、それも運命さと(大げさ?)受け入れ、定年後10年続けた事業を終わりにしてもいいと思っていた。さて、さて、どうなりますことやら。





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