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273.  定年まで自分で事業を始めるだなんて考えもしなかった。それがなにゆえに?  ・・・ (2019/04/14)


 私は人脈にめぐまれたお陰で60才までは次々と新しい仕事のお誘いをいただいた。お陰でITの世界に身を置いた40才からの20年で4度転職しています。一般的な転職と違うのは、自分が何かをしたいから転職をしたいと言うよりも、いつも先方の社長から「(外資の)日本法人立ちあげ」もしくは「数年たった日本法人の立て直し」をするので手伝って欲しいと頼まれてきたことでした。

 私としてはまだどこかで働きたいと思う気持ちはあったものの、さすが60才になり、そうしたお誘いも無くなりました。人脈からくる引き合いが無くなり、頼りどころはハローワークしかなかったのです。定年後、失業保険を受け取りがてら品川のハローワークに通い、備え付けのパソコンで調べてみたが、自分がやりたいと思える仕事は結局見つかりませんでした。


きっかけを作ったこの2つのことが次のステップのスタート地点となりました。

1つは、ガーナへ旅行をしたこと、

2つ目が、CDA(キャリアデベロップメントアドバイザー)資格講座を受講したこと、

 ガーナ旅行で知ったことは、日本では廃棄されるような生活物資、たとえば中古車などは、彼らの人気の対象だったことが分かりました。(詳しくはこちらをご覧ください

  またCDA講座受講は、本来は他人にキャリアの作り方を指導するアドバイザーを養成するためのものだったが、なんのことはない自分のキャリアを作ることのヒントになった。(なんでも無駄と思わずやってみること。そうしたことの中からでも、ヒントは見つかるという典型的な例かもしれませんね)

 さて話しを戻して、そのヒントの1つが、このバリューカード。自分の仕事に対する「価値観」を再確認させるためのもの。15枚あるカードから自分が選んだカードはこれ、「自立性」というものでした。これぞまさに私が自分がやろうとしている「仕事」に望むものでした。




どこかに依存するならば、それを納得がいくまで確認すべし

 それで次は3つ目 の要素、「トレードカービュー」という中古車の世界における「メルカリ」のような存在を知ったことでした。この会社の説明会では説明員の「話が出来すぎで」納得がいかず、結局、実際にこのトレードカービューという看板で中古車輸出をしている方のお話しを聞くことが出来てようやく納得がいき、加盟することにしたのでした。(別途、古物商 ライセンスを取得しておく必要がある)

 このトレードカービューという場を通じて海外(主に右ハンドル車利用の東アフリカ)に中古車を販売することにした。まずは(加盟料を払って)加盟し、研修を受けたお陰で、何をどうやるのかの概要が分かりました。次は具体的な行動を私自身が起こしていくこと。一番大事なのは通える距離にある「中古車オークション会場」に加盟し、中古車買付の場を確保することでした。この際、簡単そうで案外難しいかったのが「保証人」2名を用意することでした。若い人などは「保証人」をたてることが出来ず、自分で直接中古車オークション会場から車を調達することを断念した人もいたようでした。(この場合は、既に加盟店となっている人にお願いをし、手数料を払って中古車入手をすることになります。むろん、利益は目減りしますが)

  ※ トレードカービューは2014年頃、大手輸出企業の事業拡大のあおりを受け低迷し 、ついに2018年暮れに身売りしました。




・ とまあ、簡単にいうとこうしたステップを踏んだ私は、定年前とはまったく畑違いの中古車輸出なる仕事を始めたのでした。

  定年後起業の要因を自分なりに分析してみると、まずは定年後も働きたいという「思い」があったこと。そしてそのことを実現するために「行動」を起こしたこと。この2つにつきると思います。


 そうは言っても40年近く大きな会社の一員として働いて来た人などは、定年になってみて、自分が何をしたいのかが分からないことでしょう。私も似たような経験がありますので、そのお話しをしましょう。

 かつて私が50歳頃勤めていた会社で、外資系企業にありがちな本社の統廃合で、日本にある部門そのものがなくなり、更に部下を解雇せざるをえなくなりました。私をこの会社に誘ってくれたのは社長、責任を感じたのか別なポジションを用意してくれたのですが、その温情だけで会社に居残るのは本位ではなかったので、最終的に私も退職することにしました。
 そんな時、以前から存じ上げていた人(ある企業の経営者)が、私に起業を勧めてくれたのです。3カ月ほどこの会社にデスクをお借りし創業のプランを練ったのですが、結局その時は、私自身、何をしたいのかが見つかりませんでした。私に期待してくれたこの社長には申し訳なかったのですが辞退させて貰いました。その後、また別な人からのお声がけで再度別な外資系IT企業「勤め」にと戻ったのでした。

 つまりこの部分は、(私のように若い頃から起業など考えたことのないタイプの人間には)ある意味「機が熟す」のを待つ必要があるのかもしれませんね?そういえば子供の頃、親から”勉強しろ”と言われても気が乗らない時もままありましたよね。同じなのかもしれません(?)。

 時々、もし何も仕事をしていなかったら長い定年後の時間に私は何をしていただろうかと考えることがあります。貧乏性なのか、何もしない、ということに耐えられなくなっている気がします。ともあれ、自分で起業し仕事をして、当然苦労はありものの、とても充実した毎日が送れています。



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