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269.  「弘兼流60歳からの手ぶら人生」 を読んで ・・・ (2019/02/24)


 「課長 島耕作」シリーズなどを書かれた弘兼憲史さんが、ご自身について書かれた本、「弘兼流60歳からの手ぶら人生 」を読んでみました。この本を読まれた方それぞれに自分の人生と照らし合わせてそれぞれの感想を持たれることと思いますが、私も自分の感想を項目に分けて書き連ねてみました。

            <目 次>

第1章 持ちものを捨てる(60歳とは起承転結の「結」;つまらない「見栄」や「こだわり」があるから捨てられない ほか)
・ 60歳から人生を広げる必要はない

 私は60歳になってから、従来分野(外資系IT企業)とは畑違いの中古車輸出で起業しましたので、その部分では人生を広げてしまっていますが、個人としての付き合いは定年ともなれば自然に減ってきますので、あるがままにそれを受けとめています。

・家も肩書きもいらなくなる
 肩書きは勤め人時代もそれほど意識はしませんでしたが、起業してのちにも名刺が持てることの意味はあったように思います。「居場所の社会学」という本を読んで感じたのですが、年寄りでも若い人でも、自分の居場所がないと感じている人は多いようです。定年して名刺が持てなくなって自分の存在すらなくなった印象を持つシニアもいるようですので、もしそうしたことが気になるのであれば、「ゆる起業」で良いから何か仕事をすることにすれば良いでしょう。そうすれば名刺は持たざるを得なくなりますから。

・持ち物を半分にしよう
 私の場合、奇しくもそれをやらざるを得ない状況に至りました。母が亡くなって相続の問題を片付けたところで築50年の自宅を建て替えようかと考え始めました。たまたま散歩がてらに立ち寄った住宅展示場で3階建て住宅を見た家内が、2フロアを人に貸せば、よしんばシニアであっても建築費はローンにすることが可能と聞き、「いいね」と言ったのでした。
 それまでの50年、三世代で暮らして来た家。最後は我々夫婦二人でしたが、残された荷物だけは三世代分。建て替えるということはしばし仮住まいとしてどこかのマンションの一部屋を借りて退避しなければなりませんので、いやがおうにもそのほとんどを処分せざるをえませんでした。

 幸い時間はあったので、売れるものは売ってしまおうとおよそ半年をかけて「ブックオフ」と「ジモティ」「メルカリ」でがんばりました。また売れなくても大型家具など処分費用のかかるもの(例えば両親が使っていたベッドは、無料にすることでジモティ登録者に引き取ってくださる方が現れ大助かりでした。それでもなお残ったものは、解体時に廃材とともに処分して貰いました。

 「車」も処分してしまい、必要な時はカーシェアを利用するようにしました。これによって経費(ガソリン代、車検費用など)は大幅に減らすことが出来ました。70歳になれば、(所得次第ですが)都営交通機関が無料で利用出来るようになるので、車を持たないという判断は、それを先取りした感じもありましたね。
 日用品の処分後の話しですが、「本」は基本、区の図書館で借りることにしました。今はネットで区内にあるすべての図書館の蔵書が検索出来、しかも最寄り図書館までデリバリーし、それが到着するとメールで連絡してくれるシステムが出来あがっています。これを利用していると、面白いことに購入して読んでいた時代よりもずっと多くの本を読むようになりました。

 最後まで捨てられなかったものは両親が残した写真、また我々夫婦の子供の成長記録など。子供達に相談すると、本人たちは無頓着で「捨てて良いよ」というのですが我々夫婦にとっては思い出のある品々、これはもう我々夫婦が死んだのちに我々夫婦とともに葬って貰おうと思っています。


第2章 友人を減らす(本当に信頼できる友が一人いればいい)

 友達についてはこんな風に考えています。大学時代の仲良しが10人ほどいて、その幹事役が熱心で年に1〜2回は集まりの場を用意してくれました。私にしてみれば、定年後に個人事業を始めて忙しかったこともあり「会うのはたまにでいいよ」という考えでした。 
 また感動というものは繰り返されると感動でなくなってしまいます。そこで幹事役には、お互いシニアでも仕事をしている同級生とは情報交換の意味もあるので別として、定年生活を謳歌している人とは(現状のとらえ方がかなり違うので)数年に1回会う程度にしたいと伝え、了解を得ました。

・年賀状、中元、歳暮はやめる
 もとより勤め人時代も中元、歳暮という習慣はほとんど持たなかったのですが、例外として続いていたのは年賀状だけ。勤め人時代は人脈を広げたいという考えがベースにあったので仕事用、個人用で計300枚程度年賀状を出していたかと思います。
 現在は定年して9年目、個人・仕事と合わせても、およそ70枚程度に減っています。来春には70歳になるので更に減らすべく、次回年賀状でアナウンスし、メールが可能な人はメールでのみで年賀状のやりとりをさせて頂こうかと思っています。

 すべて止めてしまう前段階としてメールという方法で年賀状を残したのには訳があります。かつて勤めていた法人時代、嘱託で居ていただいた元銀行の店長経験者の方、10年のブランクをおいて再度年賀状を頂くようになりました。どうやら「一旦年賀状は止めます」言ったものの長生きするにつれ、やはり昔出会った方々と限定的にでも縁を繋いでおきたいと考えた様子。それを参考にすると、完全に年賀状を止める前段階として、メールによる手間のかからない方法でのみ残しておこうと考えた次第です。

 ちなみに、この元銀行店長経験者のお陰で、当時の社団法人のある会員さん、返済を受け取るのを渋って困っていた銀行への返済完了が成り、いまでもこの銀行店長経験者に感謝している様子でした。この時のことを双方、懐かしく思っておられる様子。ならばとお二人との会食の場を設定しました。お二人ともとても懐かしがって、また喜んでくれました。
 その際あらためて気がついたのは時間の経過。無頓着な私も、気がついてみるとその法人を辞めてから20年もたっておりこの、この元銀行店長経験者さんも90歳と高齢になっていたのです。
 20年ぶりにお会いしたこの方から、それはそれは丁重なお礼のお葉書を頂戴したのですが、当日、あまりに足下がおぼつかないことを思い出すにつれ、何かあってもいけませんので、これで最後としたいと思いました。とまれこの方の人生の終盤に、喜んで頂ける場を設けることが出来たことは私にとっても良いことが出来たと嬉しく思っています。

・同窓会で今の自分を確認する
 私自身は何度か転職して来ましたので、定年前の同窓会参加は、自分の現状が同期と位置づけがどう違うのかといったことの確認の意味合いもあったと思います。しかしそれも今は、互い定年になって、何がなんでも同窓会に参加したいといった思いは無くなりました。まあ、皆が元気でいてくれればそれで良い、といった感じです。
 この本の中にもありましたが、現在が良ければこそ参加してくれているのだと感じる部分がありました。典型が離婚した女性。ごたごたしたであろうステージを終え、落ちついたからこそ同窓会に参加してくれる訳です。それ以外でも、やはり各々が同窓会に参加出来る環境にあればこその参加だと感じました。


第3章 お金に振り回されない

・老後不安とは、すなわちお金の不安である/人生の困難の9割はお金で解決できる
 これはその通りだと思います。幸い、転職を重ねた私も50歳台半ばまでは年俸も右肩上がりで、またイスラエル系IT企業からのストックオプションもあり(最後の米国系IT企業の退職金制度そのものが無かったものの)人並みに退職金相当も手元に残りました。
 定年時に住宅ローンなどの負債もなかったことから出来た「定年後起業」。その意味でも、そこそこラッキーと思っています。

・お金に振り回されず生活をサイズダウンする/ 60からは生活もお金も身の丈に合わせる
 定年になって会社からの月々の受取額が無くなった訳ですから、年金+預金で生活するしかありません。ここで一番不確実な要素は余命。いったいいつまで生きられるのかは神のみぞしる世界。ここは細く長く生きることを前提にして考えるしかありません。

  仕事をやっていると分かりますが、利益を出す方程式にあるファクターは2つだけ。@売上を上げる、Aコストを下げる、です。前述Aのコストを下げることで実現するか、私のように少なりといえども事業を行っていくことで多少なりとも収入を得るのか。ここで言う収入はたとえ高額でなくとも貯蓄が目減りするのをただ眺めるだけでなく、うなぎのタレよろしく継ぎ足し継ぎ足し出来るだけで、かなり心理的には楽になります。繰り返しますが、細く長く生きるための知恵を持つことですね。


・お金を無闇に増やそうとするから損をする

 若い時代から株などの運用経験があれば良いでしょうが、定年になってから貯金を殖やそうと欲をかいて株運用をすると大幅に目減りすることにもなりかねません。まずは正しい運用の知識を持つことがまず先でしょう。
 ちなみに私の場合は若干ゴルフ関連の株を持ったことがあるだけで、基本は預金、私の場合は「外貨預金」で多少なりともリターンを得ようとしています。
 いずれにしても運用は、ゆとりある資金でやるべきもので、競馬で一発当ててやろうか式は、身を滅ぼすことにもなりかねません。くれぐれも無理、無茶はしませんように。



第4章 家族から自立する
・家族はひとつという幻想を捨てる/身辺整理の難敵、「家族」

  元NHKアナウンサー、下重暁子さんの書かれた本に「家族という病」 (幻冬舎新書)というのがあるようですが、年を取るにつれ家族関係が複雑になるケースもあるようです。「相続」という言葉も「争続」という表現をするケースもあるくらいですから、冷静にそれらをクリアしていくしかないですね。
 私の場合で言えば、家族の一人(姉)が離婚したのですが、お金の問題、子供との関係、結果健康を害するなどが続き、その余波が(両親が存命の時代は両親のところに)私に来ることは避けられませんでした。ほとんどの不満は生活が不安定なことから来るようでしたので(私が相続した親の財産は土地だけでしたので、それを母の希望通りに売らずに済ませるための)現金を用意出来るかどうかでした。
 私の住んでいるエリアは地価が高いので、代替わり(相続)時には、土地を処分して、というケースが多いようです。見ていると古くからあった家がいつのまにか売却されてマンションになっていたりしますから。幸い私の場合、外資系企業時代に得たストックオプションが役にたってくれました。すべが、とは言いませんが課題の多くがお金で解決出来ることも多いので、そのためにも資金のゆとりがあるといいですね。

・定年後の男の価値はゼロ、奥さんからはそう思われている

 せいぜいそうならないよう、定年後には、お金を稼いでいる時代とは違う良好な関係を奥さんと持てるよう配慮することですね。(苦笑)

・適切な距離を保ち、奥さんに嫌われないように
 夫婦二人きりになって暮らすには、それぞれの空間があった方がいいですね。拙宅の場合、私はパソコンデスクの隣の空間でテレビ+ビデオのある居間で、家内は寝室かキッチンで本を読むかiPadでゲームをやるかという距離感です。めっきり夜更かしが苦手になった私は9時半には寝てしまうもので、家内は10時からテレビ、例えば「家売る女」などの番組を見て楽しんでいるようです。

・奥さんと一緒に旅行」という幻想も捨てる
 国内は日帰りバス旅行が年に1〜2回、海外旅行は年に1度程度。その際は英語の話せる私が添乗員兼ツアーガイドですので、そこそこ満足してくれているようです。なにせ飛行機では窓側が家内の席、ワイン等の注文はすべて私の役割、さらに出入国カードも自分の分と家内の分を記入して、家内はサインだけすれば済むようにしてあげていますから。
 ホテルにつけばフロントやポーターとのやりとりは勿論、夕食の場所選びから注文まですべて家内の希望に添うようにしています。これで文句を言われたら割に合わない(笑)

 

第5章 身辺整理をしたその先に(何はなくとも料理せよ!;60を過ぎたら共働きが当たり前 ほか)

 区の施設を利用して「シニア男性のための料理教室」と行ったものにも参加しました。若い頃アメリカ留学を経験し、自炊も経験していますので、料理は苦手ではありません。むしろ自分好みの味付けは自分でやるしかないと思っていますから。というのも私の家系は甘党、父はお酒がまったくダメでした。かたや家内の方は一升酒の家系。いきおい料理もそれに合ったものになります。ですので、例えば家内がカツ丼を作ると、今ひとつ甘さがありませんで、醤油辛い感じがします。なのでそうしたものは自分で作るか、家内が作る時も、味付けだけ口を挟ませて貰っています。そんなこんなで、なんとかそこそこ良好な関係でいられています。

・60を過ぎたら共働きが当たり前
 私の仕事(中古車輸出)は浮き沈みがあり、3年やっていると相手の市場が飽和してきます。例えば東アフリカ市場、中小零細が開拓しそこそこ市場規模が大きくなってきたら大手にとってうま味があるとばかりに資本を投下して大規模に市場を席捲してきます。こうなったらコスト的にはもう中小零細では太刀打ちが出来なくなります。
 かたや家内はシルバー人材センターから紹介されるお仕事が性にあっている様子。次々とお仕事を貰い、週末なども試験監督のお仕事にとスーツを着て出かけていきます。若い時は学校の先生をしていた家内は、若い頃は子育てのために専業主婦でしたが、定年後、特に私の仕事が不調な時などは、髪結いの亭主に近い状態になります(笑)。朝の食器荒いは私がやり、家内が出かけると掃除機をかけるのは私の仕事となります。特に不満はありません。

・ゴルフのすすめ
 先輩の薦めで定年前(53歳の時)に始めたゴルフ。60歳半ばまではまずまずだった飛距離も、ここへ来て着実に落ちてきました。ゴルフ場メンバー同志の組合せでご一緒する方々とも面識が出来、いろいろお聞きしてみると、一時期ケガでゴルフが出来なかった時代があったとか、数年前は病気で入院していた、などといったお話しも聞きます。それがこうして今はお互いにゴルフが出来ているわけですから、神様に感謝しながら楽しい(へたな?)ゴルフを月2〜3回やって楽しんでいます。
 シニアのゴルフには、以前のようにボールを遠くに飛ばすには関節の柔軟性を維持することも必要です。歩くことも、時々行く公営のスポーツジム通いも、すべての努力がゴルフへと繋がっています。ゴルフが、まさに健康を維持するための目標であり、バロメータとして有効に作用しています。感謝!!

・遺言状と自叙伝を書く
 母が公正証書を作った際、一緒に公証役場までお付き合いしましたので、その時期が来れば私がやっておくべきことの1つとして認識しています。自叙伝を書く気はありませんが、こうしてホームページに書き連ねていることが、ある意味自叙伝的な側面もありますので、それで十分と思っています。

 


<編集後記>

 シニアの感心ごとにはパターンがあるようです。

1.お金のこと(受ける年金と旅行などに使うお金のバランス?)
2.人間関係(夫婦間、家族、友人)
3.健康のこと(大病をするまで気がつかない日頃の健康作り)
 といったことのようですね。

 その意味でも、先輩シニア達がどうやってそれらをクリアしていったのかを知識として知ることは意味あることだと思います。




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