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261. 会社が生き甲斐まで管理してくれていた時代があった ・・・  (2018/12/09)  


 私が就職した昭和47年頃は景気も上向いており、初任給が46,000円だったものが2年ほどで6万円を超えました。1年かけたベースアップが1,000円程度だった先輩たちからはぼやきが聴こえてきました。こうもベースアップのテンポが早かったのは初任給相場のアップが背景にあり、高い初任給を提示しないことには新卒が集められない、という理由からでした。


 明治生まれの社長は、当時の経営者に見られた「社員は家族」と思うタイプだったようです。ゆえに、会社に労働組合が出来た時はかなり憤懣やるかたないようでした。つまり、私はこんなに社員のことを考えてやっているのに、いったい何が不満で組合なんて必要なんだ!ということのようでした。

 当時この会社には300人の社員がいましたが、私が就職した翌年、なんと熱海までの社員旅行を実施しました。後にも先にも、長い私の俸給生活で、総勢300人もの宴会に参加したのはこれだけでした。

 当時の風潮はどこの会社も似たり寄ったりだったようで、会社主催で社員の家族も交えた運動会を開催するところも少なくなかったようです。つまり会社が「生き甲斐」まで世話をしてくれた良き時代でした。


 その世代が定年となって困るのは当然の帰結でした。そもそも「生き甲斐」などというものは個人的なもの。たまたま時代が良かったもので「生き甲斐」まで会社が提供してくれてしまった訳です。小さな親切大きなお世話、という言葉がありますが、まさにそんな感じでしょうか。そんな人たちが定年になり会社を離れた訳ですから自立出来ないのも無理ないでしょう。




 (12月初旬)おりしもフランスのパリで労働者によるストが頻発しているようです。フランスには王制を倒した「パリ革命」というものがあり、「権利は戦って勝ち取るもの」という考えが国民の間に染みついているようです。

 そんな国民性ですから、日本の労働組合団体がフランスに視察に行き、「有給休暇の消化率はどれくらい?」と聞くと、彼らはその質問の意味が分からないといったそうです。彼らにしてみれば、権利として勝ち取ったものを行使しないなんてまったく考えられないからなのだそうです。

 そこで反対にフランス人が日本から来た労働組合団体の関係者に聞いたのだそうです。「日本における有給休暇の平均日数は?」と聞いたそうです。最初、日本人にはその質問の意味が良く分からなかったそうです。ようやく答えたその回答にフランス人が驚いたのは、1日単位で休暇が取れることだったそうです。というのも、彼らフランス人にとって休暇というからには”月単位”があたりまえと考えていたからで、1日単位なんてものは休暇でも何でもない、と呆れたそうでした。


 若い人たちの言葉に「自分探しの旅」というのがあるそうですが、我々シニア世代も、定年を前にして今一度「自分探し」をしてみた方が良いかもしれませんね。


<編集後記>
 私の場合、「自分探し」ではなかったのですが(どちらかというと定年後の仕事ネタ探し)、定年後の手始めはアフリカ・ガーナへアメリカ留学時代の同級生を訪ねた旅でした。そこで得た経験が(定年後)中古車輸出を始めたきっかけでした。




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