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248. 定年後は今までとは違う仕事をしてみたかった ・・・  (2018/07/29)  


「今までとは違う仕事をしてみたいかった

 私は8年前に外資系企業を定年退職しました。それまでの仕事はコンピュータ・ソフトウェアの販売でした。それがなにゆえ定年後の仕事に中古車輸出を考えたのか?いろいろ勉強した結果、自分が定年後の仕事に求めているものが、分かった。

・一人で仕事ができること

・自分自身で決断できること

・時間と場所に柔軟性があること

・他人からの指示に従う必要がないこと

 では何を仕事にすればそうなるのか。定年後、自由になった時間を使って、まずはアメリカ留学時代の同級生、ガーナ人を尋ねガーナに旅行することから始めたのです。


「悩むより、迷うより、まずは行動を、が私のスタイル」

 アフリカ大陸への旅行は始めてでした。最初に感動したのはイタリア・ローマ空港を飛び立った飛行機が日の暮れかかるサハラ砂漠の上空を横断した際の眼下の景色でした。

 ガーナの友人宅に10日間ほど滞在しましたが、その間に気がついたことがありました。彼等の生活レベルはまるで映画「3丁目の夕日」の舞台となった昭和の時代のようだったことでした。工業先進国からはいろいろな製品が輸入されてくるものの、一般庶民の所得レベルからするととても最新のものは買えません。そんな中で人気があったのが日本製の中古品。たとえ中古でも日本製品は絶大な信頼を得ていました。なるほど、何か日本製中古品で貿易をしてみるのが良いのではないかとのヒントをここで得ました。

 帰国後具体化したのは中古車輸出の”仕事”でした。この仕事を選んだ理由の1つは、前述の4項目が満たせそうなこと。もう1つは新規参入がしやすかった点でした。一般の人には無縁でしょうが、実は中古車買い付け先の「中古車オークション会場」が東京近郊だけでも10会場程度があります。そこで買い付けをすれば、中古車専門の陸送業者がいて車を港へ移送してくれます。また、港には中古車の輸出を手配する乙仲さんが複数あります。その1つと契約し、そこに陸運局で取得した輸出許可書類を送りさえすれば、あとは(私が買い付けした車を)乙仲さんがどこへでも輸出手配をしてくれました。

 つまり、中古車の買い付けさえ出来れば、あとはほとんどオートマチックだったのでした。さて、客(当初はアフリカにいる買い手)はどうやって見つけるか?当時はソフトバンク系のネット仲介業者、トレードカービューがありました。一般の方が目にすることはないでしょうが、いわば今で言う”メルカリ”のような会社と言えばイメージして貰えるでしょうか。支払いについても、この会社が仲介してくれ、買う側も売る側も、安心して取引が出来ました。


「先人の知恵に学べ」

 さて、中古車の輸出を始めた私に車の知識はあったのか?いえ、まったくありませんでした。実際、アフリカの人からの希望を聞いてみて私が知らなかった車種が沢山あることに気がついたくらいですから。(例えば,トヨタのカローラ、コロナは知っていても、トヨタ・ラウム、イプサムなどは名前すら知りませんでした)

 輸出というからにはそれなりの知識も必要だろうと、東京都中小企業振興公社が開催している有料のセミナーにも複数講座参加してみました。もっとも後に、この知識は私には不要であることが分かりましたが。というのも、輸出の部分はすべて乙仲さんが代行してくれるからでした。むしろ必要な知識は経理についてでした。正確な処理をしようと考えれば考えるほど、これについては苦労させられました。そこで利用させて貰ったのが会計ソフト会社が主催する無料セミナーと税務署。税務署と言うとなんだか近づきがたい印象がありますが、事前に訪問を打診しておいて行けば、専門家がきちんと説明してくれました。


「新しいことを始めようとする時、成功のカギは何?」

 こんな具合に私が中古車輸出の仕事を始めた8年前(2010年当時)のことを思い返してみました。今、あらたに中古車輸出をしたいと希望しているモンゴル人のご夫婦、特に希望の発信元であるご主人に、成功の鍵はこれですよ!とお伝えするとすれば、それは何だったのだろうか考えてみました。いろいろ考えた末に出てきた答えは、あらたな仕事を始めるのだという「覚悟」、分からないことを先人に尋ねることが出来る「コミュニケーション能力」、そしてそれを着実に前に進める「実行力」 ということでした。

 ※コミュニケーション能力 ・・・ (情報聴取力、共感力、交渉力、説得力など)

 時代を遡って1976年、私が26才の時でした。英語力も不十分なままでアメリカに留学しました。その時の覚悟は「健康上の問題が起きたら、とにかく這ってでもいいから最寄りの飛行場にあるJALの空港カウンターまで行き、日本へ連れて帰って貰おう」でした。なぜってアメリカに到着した当時の私は言葉は分からないし知り合いもいない、まさに孤立無援(alone and unaided)な状態でしたから、何かあればこうするしかないと覚悟して留学しました。

 1年間のアメリカ留学を通じて私が理解したことは、

1.自分から働きかけないと(小さな日本という国から来た私のことなどに)誰も気にとめてくれない

2.しかし自分から働きかけをすると、アメリカの人の多くはきちんと反応してくれる

3.基本「話しをしたからといって必ず伝わるものでもないが、とにかく話してみなければ何も相手に伝わらない」ということ、だった。

 これが、異国に行った際、心にとめておかなければいけない最大のことでした。振り返ってみれば、中古車輸出の仕事を始めた時の「やれるはず」という思いの背景には、こんな確信があったような気がします。

 モンゴルのご夫婦が日本で中古車の買い付けをし、輸出するには何が必要か?奥さんは日本の大学、大学院まで出ているので日本語に問題はありませんが、ご主人はあとから来日したもので、また大人しそうな人でほとんど日本語会話は出来ません。そんなことから造園のお仕事をパートでやっているそうでした。奥さんとしては、彼が活躍出来そうな仕事として、モンゴル向け中古車輸出を考えたようでした。
 確かに、業界紙などを読んでみると、モンゴル人輸出事業者はいるようでした。ほとんどが、留学生時代に、中古車の買い付け認可事業者にお願いをして買い付けをして貰っているようでした。買い付けさえ出来れば、前述のように輸出専門業者(乙仲)さんがいますので、そこと契約さえすれば輸出は可能です。ここまでのことから、まずは日本語で中古車に関係する人達とコミュニケーション出来るようにしてください。これが「成功の鍵」だと説明しています。




 「やってみたことのないことであればこそ、やってみたいと思う」


 ただ、やり始めてみて分かったのは、今まで私がやってきたアフリカ向け、ニュージーランド向けは、車単体を専門船(RoRo船)で相手国へ送り、あとは購入者が到着した港で車を受け取ることが出来ました。ところが、モンゴルの場合は特殊でした。まず始めに中国まで船便で送る。次に中国で列車に積み替える、さらにモンゴルとの国境で列車の積み替えをしなくてはなりません。というのも、なんと線路の巾が違うのだそうです。今までの輸出が車単体だったが、モンゴル向けは諸事情で「コンテナ」にて輸出する必要があるとのことでした。

 更に更に、この複雑な流通経路のお陰で、モンゴル側で対応をしてくれるフォワダー(乙仲)が必要とのことでした。ほとんどのフォワダーさんは、あまり英語は得意ではなさそう。そうなると、モンゴル人とタイアップしてこの事業をやらないと、上手くいかないでしょう。幸い、今回のお仕事、モンゴル人ご夫婦からの依頼ですので、ここについては問題なしです。

 モンゴル向け輸出の流れが分かったので、これから 中古車買い付け−>輸出 という流れを始めます。ひとくちに中古車輸出と言っても、アフリカ、ニュージーランド向けは割とシンプルでしたが、モンゴル向け輸出を勉強始めてみて、国によってこうもやり方を変えなくてはいけないことが分かりました。ここでもその国向けなりの「ノウハウ」と「人脈」が必要ということでした。

 こうして分からないことを、1つ、1つ、調べ、さらにそこに必要な人脈(例えば、モンゴル向け輸出を得意としている乙仲さんと懇意になる)ことが不可欠。でも、そうしたことを、やっていくことを面倒とは思わず、むしろ知らない領域を知ることが出来たことが楽しいと思えるのも、私の取り得なのかもしれません。




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